29.折りたい鼻っ柱。/朱に交われば紅くなる2
本編
結局、その日は解散と相成った。
机上の空論とはまさにこのことで、データも何も揃っていた状態で、雁首揃えてうんうん唸っても、大したものは出てこない。
三人寄れば文殊の知恵というが、そもそも「なにを考えるのか」の指針すら立っていないのでは文殊の倍、知恵があっても役に立たない。
旅行計画だって、どこに行くのかを決めてから立てるものだ。雪国に行くのか南国に行くのかも決まっていないのに、服装は決められない。
「すみません。自転車取ってくるんで、これで失礼します」
そう。
紅音(くおん)は学校まで自転車で来ているのだ。
ファミレスに持ってきても良かったのだが、駐輪場が無いと困る。適当に店先に停めてもいいのだが、どうせ、帰り道の途中で学校の前を通るのだ。別に問題は無いだろうと思い、学内の駐輪場に停めたままになっている。
それを分かっている両先輩はそれぞれ、
「ん、帰り気をつけてな~」
「明後日、必ず何らかの良い報告をいたしますから、お楽しみに」
そう言って去っていった。加えて付き合いの長い二人も、
「んじゃあ優姫(ひめ)は、買い物して帰るから、先に行くね~」
「お、んじゃ私も行こうかな。確かお醤油が少なかった気がするし」
「あ、うちもなの。一緒に買いに行こ?」
「うんうん。いこいこ」
と、二人で話をつけ、
「じゃ、まあほどほどにね~」
「あんまり歩き回ってると鍵閉めちゃうよ~」
とだけ告げて、とっとと消えていった。向かう先は駅前のスーパーだろう。あそこが一番安いらしいからな。
さて。
そんなわけで現在紅音の元には月見里(やまなし)だけが残っているわけだが、
「?どうしたんですか?」
困った。
いや、困ることは何もない。いつも通り、自転車を取ってきて、それを押しながら家まで向かえばいいだけだ。ただ、問題は、
(月見里は俺の家を真逆の方だと思ってるんだよな……)
そう。
なにを隠そう紅音は月見里に一つ嘘をついている。
あの日、紅音は月見里との会話のため、わざと家の方角を逆に“設定”した。
そこまではいい。
問題は、今、その嘘の代償が、そのまま紅音に反射してしまっている部分である。
さあ、どうしたものか。
そんなことを考えながら歩いていると、月見里が、
「紅音の家は、駅とは逆の方なんですよね」
思わず振り返る。その視線の先には紅音よりも驚いた表情の月見里がいて、
「あ!いや!別に他意はないんです!ただ、別に、私について駅まで来てもらうのは悪いなって!そう思っただけで!」
紅音は一言だけ、
「……なんで、分かったんだ?」
月見里は少し視線を落として、
「……あの日、見ちゃったんです。西園寺(さいおんじ)くんが、駅とは反対方向に自転車で返っていくのを。駅から……ごめんなさい!」
またしても全力の謝罪。むしろ謝るべきは紅音なのに、
「それで……後から八雲(やくも)さんに聞いたら「そうだよー」って。それで、知ったんです」
あの幼馴染は。
まあ、そこで嘘をつくようなやつでもないし、もし守り通したいのであれば、先に言い含めておけば良かったことでもある。それをしなかったのはきっと、紅音がそれを望まなかったからだ。そう思いたい。
紅音が、
「すまんな。あの日はどうしても、色々聞きたくてな」
「聞きたかった?」
「そ。例えばなんで成績上位にいたのか、とか。なんで突然順位を下げたのか、とか。ほら、俺からしてみれば貼りだされる数字以外のことは分からないだろ?だから、何があったんだろうなってのはずっと気になってたんだ、実は」
「そ、そうなんですか」
「そうなんです。だって、仮にも佐藤の次につけてるやつだぞ?それがいきなり成績を落とすなんて何かないとおかしいと思うだろ」
「そういうもの、ですか」
「ああ。俺はな、月見里。同士なんじゃないかって思ってたんだよ」
「同士?」
「そ。ああ、この人は俺と同じで、佐藤に勝利しようとしているのかなって。だから、その順位がいきなり落ちたら、どうしたんだろうって思うんだよな。まあ、よくわからん仲間意識だ。別に仲間だったわけでもないのにな」
しかし月見里が、
「そんなことないですよ」
「ん?」
「仲間だった、と思います。私も一位を目指していた、ということは佐藤さんに勝とうとしていたことになります。だから、一緒かなって」
「さとう」とか「かとう」とかややこしいな。ただ、
「ま、取り合えず今回に関しては仲間だ。打倒・佐藤陽菜(さとう・ひな)!ってな」
そう言って拳を前に突き出す紅音。それを眺めながら月見里が、
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「ん?いいぞ。なんでも聞いてくれ」
「それじゃあ……あの、なんで西園寺くんはそんなに佐藤さんに対抗心を燃やしてるんですか?」
あぁ。
そう来たか。
ただ、これは至って単純だ。
「鼻っ柱をへし折ってやりたいって思ってから、かな」
「鼻っ柱を?」
「そう。今日も見たから分かると思うけど、あいつ漫画から出てきたんじゃないの?ってくらい高飛車お嬢様っぽいだろ?」
「そう……ですね」
「あいつさ。成績発表の時もそんな感じでさ。俺の隣ですっごい自慢げにしてたんだよ。しかもあろうことか俺に順位を聞いてきて、「貴方、大したことありませんのね?」だぞ?それでなんか「あ、こいつ、へし折ってやろう」って思っちゃって」
「思っちゃいましたか」
「まあ、流石にあれだけ言われて引き下がるわけにもいかないしな。正直、順位に興味は無かったんだが、」
嘘だ。
むしろ、そこには「興味を持たないという興味」があったはずだ。
「しっかりと試験対策をして、挑んだ次の試験で無事に一位を取ったってわけだ」
月見里は感心し、
「それで一位になれるなんてすごいです」
「まあ、コツを掴めば難しいもんじゃない。今度教えようか?」
「知りたいです」
なんと貪欲だ。紅音よりもよっぽど成績に興味があるらしい。
「それじゃあ、試験前になったら勉強会でもやろうか。場所はいつも通り、」
「西園寺くんの家」
「え」
「西園寺くんの家、なんてどうでしょうか?」
どうでしょうか、と言われてもどうしようもない。
確かに、紅音の家は優姫と二人で暮らすにはあまりにも大きすぎるもので、勉強会をするくらいはどうということもない。
しかし、なぜそこを指定した?
他にもいくらでも選択肢はあるのに。
これではまるで、
「お、どうした。まだ帰ってなかったのか?」
声がする。
紅音と月見里は同時に振り向くと、学校の敷地内に見覚えのある姿が確認できた。
橘(たちばな)である。
遠目からでも感じる“圧の強さ”は流石だと思う。どうやらもう校門前まで来ていたようだ。
橘は小走りで二人の元にやってきて、
「二人だけか?他のは?」
他の、というのは恐らく明日香(あすか)先輩や葉月(はづき)先輩のことだろう。紅音は淡々と、
「先輩たちは帰りましたよ」
そんな返しに橘は納得せず、
「いやいや、それ以外にもいただろう」
「それ以外って……葵(あおい)たちですか?」
「そうだ」
何故知っている。
ただ、そんなことも橘にはお見通しだった。
「いや、先ほど葉月くんから連絡があってな。事の詳細は知ってるんだ。どうやら、俺が助けられる事態ではなさそうなのが残念だがな」
なんとまあ。
ただ、要は葉月先輩が動いてくれていただけなので、むしろ感謝するべきことかもしれない。
紅音は軽く会釈し、
「ありがとうございます。なんか、気にしてもらって」
橘は腰に手を当てて「はっはっはっ」と笑い、
「気にすることはない。それが部長ってもんだからな。しかし残念だ。俺にも球筋から考えていることが分かるくらいの実力があったら、稽古の一つでもつけてやれたのかもしれないが……」
なにやらぶつぶつとつぶやいていた。
月見里が、
「あの、部長さんはこの時間まで何を……?」
そんな言葉で、洗脳でも解けたかのようにはっとなり、謎のポーズを決めて月見里を「ズビシ」という音が出そうなくらいに指さして、
「良い質問だ月見里くん!」
「ぴゃっ!?」
無暗に月見里を驚かすのはやめてほしい。
橘はそんな紅音の心の声などどこ吹く風で、
「これを見ろっ!」
バッと目の前に一枚の紙きれを差し出してきた。紅音と月見里はその紙に目を通し、
「部活動申請書類?」
そこに書いてあることをざっくり翻訳するとこうだ。
部活動に関する【部活名の変更】の申請を生徒会長の権限で承認しちゃうぞ。
生徒会長・冷泉千秋
ちなみにカッコ内には恐らく橘が書いたと思わしき、やはり達筆な文字で「部活名の変更」という趣旨があり、その下には、長々と書かれた文言を完全無視する形ででかでかと筆ペンで「青春部」と書かれていた。よくこの書類を提出しようと思ったな。承認した方も承認した方だ。
「え、っていうか承認……ってことは」
橘は居直って眼鏡をくいっと直し、
「そうだ。本日付けで、俺らの部活動は青春部になった!やっと認めさせてやったぞ!はっはっはっ」
やはり誇らしげに笑い飛ばす橘。
色々と聞きたいことはある。
だが、一番はやはり、
「あの、一応聞きますけど」
「なんだ」
「あの部活、青春部って名前になるんですか?」
橘は「なんでそんなことを聞くんだ?」という顔で、
「そうだが?」
「……ちなみに活動内容は?」
「青春さ!」
言い切った。
言い切ったよこの人は。
上がこれなら下もあれ。本日も新聞部もとい青春部は間違った方向に全力疾走中みたいだった。なんなんだ、これ。
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