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20.変わるもの、変わらないこと。/朱に交われば紅くなる

本編

 これでいい。

 物語は全て終わったのだ。

 月見里(やまなし)は葵(あおい)という強力な味方を得たのだから、友達を作ることなんて訳はないはずだ。引っ込み思案で、思考が後ろ向きだからもしかしたら、最初は苦労するかもしれない。

 けれど、性格は悪くない。

 いや、良すぎるといってもいいくらいだろう。

 一人で放っておいたら、悪いやつに騙されてしまいそうだ。

 そう、例えば“俺”みたいな。

 だから、これでいいのだ。

 物語に必要なのは、不格好で、一つのことしか出来ないけど、極めたそれは誰よりも強くいやつだ。友達思いで、自分のことでもないのに憤って、勝てもしない勝負を挑んじゃうようなそんな熱いやつなのだ。

 だから、物語の幕を下ろそう。

 自らの手で終わりを告げよう。

 大丈夫だ、世界はそれでも回っているのだから。

 月見里朱灯(あかり)を主人公とするサクセスストーリーから、本の一人登場人物が退場したとしても、大勢に大きな影響など与えるはずはない。

 そのはず、だった。

 だから、

「もう何日も来てないらしいの……」

 葵の口からその言葉が出たときには、正直言って信じられなかった。

 あれからの数日間、月見里は一度も授業に出席をしていないという。

 流石にこうなってくると、学校も動かざるを得ない。実際に、担任の教師からも月見里の家に連絡をしたらしい。ところが、

「親御さんの話だと、家は出てるみたいなの……」

 そう。

 そこが不可解なところだった。

 今回の月見里がとった行動を、判明している部分だけ並べればこういうことになる。


 月見里、自宅を普通に出て、学校に向かう。
 ↓
 授業には一切現れない。
 ↓
 目撃情報もない。
 ↓
 しかし、家には毎日帰宅している。


 傍から見ていれば、普通に登校しているように見えるし、実際に連絡を貰った月見里の母親は大層驚き、暫く話がかみ合わなかったらしい。

 そりゃそうだ。親から見れば普通に登校しているように見えるが、学校側からしてみれば、最悪事件に巻き込まれた可能性も想定しなければならないレベルの状況だ。

 ただ、

「結局、月見里本人とは連絡が取れてないんだな?」

 そう。冠木(かぶらぎ)の言う通り、本人との連絡が取れないのだ。

一応、家には帰ってきているため、親との意思疎通は出来ていると思われるが、そちらからの情報もないらしい。その代わり「少しそっとしておいてほしい」という旨だけが伝えられたそうだ。

 幸い、月見里は紅音と違って優等生だ。一度病気で休んだ以外には遅刻も欠席も欠課もない。そのため、出席日数的には全く問題がない。

 また、成績に関しても、常に学年の50位以内には入っていることから「よほど何週間も休まなければ大丈夫だろう」という結論が導き出され、取り合えずは静観&親に任せるという選択肢を取っているというのが今の状況だ。

 だが、葵はそれでは納得せず、

「紅音。連絡してよ。連絡先しってるんでしょ?」

「あ、ああ」

 連絡先、教えてやろうか。

 思わず、そう言いかけた。

 だって、そうではないか。今、月見里との連絡を最も欲しているのは、八雲(やくも)葵をおいて他にはいないはずだ。

 その彼女が今、紅音を介さないと連絡が取れない。これほどもどかしいことはないのではないか。

 もちろん、紅音だって心配だ。ただ、その度合いはやっぱり葵の方が数段上なのではないだろうか。

 紅音はそんなことを考えながらメッセージを打ち、送信する。内容はこうだ。


「何日か学校、来てないみたいだけど。大丈夫か?葵も心配してる。なにか、手伝えることがあったら言ってくれ」


「取り合えず連絡は入れたぞ。前みたいにすっと帰ってくればいいが」

「そう、だね」

 沈黙。

 無限とも思えるその時間。外からは時折はしゃぐ声が聞こえてくる。今はまだ昼休みだ。通常ならばもう、冠木と紅音で、のんびり昼食を取っているころだ。

 暫くして葵が、

「こない」

 時間にして、数分だったと思う。

 もし、スマートフォンが手元になかったり、見ていなかったとすれば、十分あり得る時間。

 しかし、そのあまりにも短い空白期間を、葵は「異常」と捉えた。

「どうしよう……こんな時お姉ちゃんならどうするんだろう……」

 お姉ちゃんとはつまり八雲茜(あかね)のことである。葵を輪にかけたマイぺースと、数倍に強化した「問題処理能力」と、一生かかっても覆せないほどの差を持つ「包容力」を持ち合わせた、いわば「スーパーお姉ちゃん」だ。

 その力には紅音も大変お世話になったのだが……確かに、この場に彼女がいたのならば、妙案を思いついてくれたに違いない。ちなみに今は海外にいる。

 更に沈黙。

 やがて、均衡を破るように冠木かぶらぎが、

「少年」

「はい、なんですか?」

「彼女……月見里は知ってるのか?少年がここに足しげく通っていることを」

「それは……ええ、知ってますよ。ここにいることが多いって話、しましたし」

 それを聞いた冠木は肩が動くほど大きく息を吐き、

「やっぱり、か」

「やっぱり……?」

 やっぱり、とはいったいどういうことだろうか。

 紅音がその真意を冠木に問おうとした瞬間、

「あの、」

 カランカラーン

「失礼しまーす……と。お、いたね」

 突然。

 学生相談室の扉が開き、備え付けの鈴がなった。紅音たちが視線を向けると、

「……なんだ朝霞(あさか)か」

 朝霞だった。当の本人は紅音の発言は全く気にもかけずに、

「よ」

 とだけ挨拶をして、葵に、

「ねえ、八雲さん。確か月見里さんを探してるんだったよね?」

 葵は、そんな言葉に飛びつくように、

「!?うん!探してる!」

 朝霞はあくまでも冷静に。

「そうだよね。そんな八雲さんに朗報。月見里さんだけどさ、さっき図書室のあたりでみかけたよ?」

「ほんとに!?」

 声が大きい。それでも朝霞は淡々と、

「うん。流石に見間違えってことは無いと思う。声をかけてみたんだけど、聞こえなかったみたいで、反応してもらえなかったけどね」

 反応してもらえなかった。

 あの月見里にか?

 そんなことがあり得るのだろうか。

 葵はそんなことには全く目もくれずに、

「分かった。ありがと、朝霞くん。お礼はいつか必ずするから」

「うん。まあ、気長に待ってるよ」

 葵は、

「ほら、図書室だって。いくよ!」

 紅音の手を掴、

「…………紅音?」

 めなかった、なぜか。答えなんて言うまでもない。紅音が握り返さなかったからだ。

 葵は信じられないものを見るような目で、

「紅音?行くよね?月見里さん、学校には来てるんだよ?ほら」

 もう一度、今度はゆっくりと手を差し出して掴、

「……っ」

 めなかった。

 なぜか。

 それは。

「なんで……?」

 葵がその手を痛いくらいに凝視する。

 答えはさらに簡単だ。

 紅音が手を引っ込めたからだ。

 なぜかは紅音自身も分からない。

 葵は不機嫌を隠さずに、

「このヘタレ」

 言い捨てて、学生相談室の扉を力いっっぱい開いて、鈴がなるのを思い出したのか、ゆっくりと閉め、その場を去っていく。

 朝霞はそれでも淡々と、

「ついていけばいいのに」

「な?なんでだろうな?」

 紅音は疑問をぶつける。しかし、朝霞はそんなことお構いなしといった感じで、

「んじゃ、俺はこれで。すみません、冠木(かぶらぎ)先生。お騒がせしました。あと、よろしくお願いします」

 それだけ言って、葵よりも静かに学生相談室を後にする。

 静寂。

 扉一つ隔てた先の、昼休みの喧騒が別世界のように感じられる。

 いや、事実別世界なのだ。

 こちらとあちらは、全くの別物なのだ。

 紅音は強引に、

「んじゃ、お昼にしましょうか。昼休みもあまりないですし…………先生?」

 静止。

 その視線の先には、今まで見たことのないような雰囲気の冠木がいた、

 その表情は、怒りでもなければ、悲しみでもない。強いて言うのであれば……慈しみ?

「西園寺」

 冠木はそれだけ言って、カウンターの中をごそごそとまさぐった上で、

「ほれっ」

「うわっ」

 缶を投げてよこした。部屋の中に放置されていたものなので、当然ぬるい。そのラベルを見た紅音は、

「……俺、甘い方が好きなんですけど」

 無糖。

 つまりはブラックコーヒーだ。

 ちなみに紅音が好きなコーヒーはマック○コーヒーだ。乳分として、練乳を100%使用し、ミルキーな美味しさを実現しているあれだ。コーヒーではないという文句は受け付けていない。

 冠木は相変わらずのほほえみで、

「たまにはいいだろ。飲んどけって」

 意味が分からない。

 ただ、貰ったものをふいにするのもよろしくない。紅音は缶を開けて口をつけ、

「……にっが」

 いつも思うが、これを「美味しい」と表現するのは一体どういう舌をしているのだろうか、全く理解できない。

 冠木は、そんな紅音の反応を見ながら「ははは」と笑って、

「美代(みよ)ちゃんには内緒な?」

 ポケットからおもむろに煙草とライターを取り出すと、火をつけて、吸い始める。紅音はあきれ顔で、

「……この部屋、禁煙ですよね?」

 そう。

 学生が相談に来る場所、ということもあってなのか、この部屋は全室禁煙に設定されていた。ただ、そんなことを知らない冠木ではないようで、

「分かってる。だから言ったじゃん。美代ちゃんには内緒って」

「はあ」

「大丈夫だって。美代ちゃん、旅行かなんかで暫くいないから、換気すればバレないって。火災探知機も、これくらいの熱じゃ反応しないのは確認済だし」

 そういう問題ではない。

 ただ、珍しいなと思った。

 冠木は基本酒飲みではあるものの、煙草を吸っているのはあまり見たことがない。
それこそ、阪神が優勝を逃すことが決定した日くらいのもので、それ以外のタイミングではたばこのたの字も出てこないような人間なので、紅音のようにしょっちゅう会う機会が無ければ「喫煙者」というイメージはわきにくいのが実情だ。

 その彼女が今、煙草を吸っている。

 しかも、本来は禁煙のはずの、学生相談室内で、である。

 それが何を意味するのかは、紅音でも分かる。

「あの……なんかすみません」

 そんな謝罪に冠木は、

「別に少年は悪くないさ。もし悪者がいるとしたら……そうだなぁ……神様?」

「……また随分と大きなところに飛びますね……」

「まあ、例えの話だよ。とにかく、少年が悪いわけじゃない。かといって、八雲ちゃんが悪いわけでもない。じゃあ、誰が悪いのかって、責任の所在を探したら、神様に擦り付けるのがちょうどいいんじゃないかなってね」

 紅音はジト目で、

「バチあたりますよ」

 冠木はあっけらかんと、

「かもしれないね」

 沈黙。

 やがて冠木がぽつりと、

「月見里はさ、少年が思ってるより、ずっと強い子だよ」

「…………はい?」

 飛んでいた。

 飛び過ぎていた。

 あまりにも話が飛躍し過ぎていて、理解が追い付かなかった。

 流石に冠木もそれは分かっているようで、

「少年はさ……可能性が見えちゃってるんだよ」

「なんのですか?」

「嫌われる可能性」

「…………っ!」

 固まる。

 嫌われる可能性。

 そのフレーズに、紅音は一切の反論が出来なかった。

「月見里はさ、凄く引っ込み思案で、後ろ向きで、いろんなことを考えられる良い子だよ。それは多分紅音もよくわかってると思う。けどね、その実凄く芯の強い子だよ」

 言葉を切って、

「だからさ、大丈夫なんだよ、友達になってやっても」

「友達に……」

 月見里と、友達になる。

 その選択肢が頭になかったわけではない。事実、周りから何度も提案をされていた。けれど、回避し続けていた。なぜか。答えなどとっくに出ている。それは、

「それは、駄目でしょう」

「なんでだい?」

「だって、今の月見里は……俺のことを見過ぎている」

 自覚はあった。

 今の月見里という存在は間違いなく、紅音を心のよりどころにしている。うぬぼれではない。

 事実、彼女は、“紅音がフェードアウトして少ししてから”学校にこなくなったではないか。これではいけない。紅音だって、いつまでも月見里のことを見ているわけにはいかない。それでは彼女のためにはならない。

 だから、

「そりゃ、俺を信頼してくれるのは嬉しいですよ?だけど、俺はそんな人間じゃないんですって。それに、俺とずっといたら、俺みたいな人間になっちゃう」

「なにがいけないんだ?」

「え……?」

「だってそうだろう?別にいいじゃないか。私は少年みたいな若者は好きだよ」

 紅音は「好き」の部分がひっかかり、反論が遅れる。

「で、でも」

 そんな紅音を冠木が畳みかけるように、

「少年はさ、“朱に交われば赤くなる”ってことわざを知ってるか?」

「それは……知ってますけど」

「これな、私思うんだ。どうして「朱」に交わったのに「赤」くなるんだって。そりゃ、確かに二つは似た色だ。でも厳密には違うだろ、クリムゾンとワインレッドは厳密には違う色だけど、どちらも赤色っていうカテゴリには入ってる。だからさ、いかに誰かと交わって、影響を受けても、本質までは変わらない……んじゃないかって」

「これ、そういう意味合いでしたっけ?」

 多分違う。ただ、冠木はそんな細かいことは気にするなという具合に笑い、

「まあ、厳密にはな。ただ、実際は相手の影響を受けたって染まり切ったりはしないと私は思うぞ。だから、大丈夫だ。少年のヘタレなところとかは、月見里にうつったりしない」

「だからヘタレって、」

「それに」

 冠木は紅音の反論を無理やりねじ切り、

「こんなことわざもある。類は友を呼ぶ」

「……何がいいたいんですか」

「少年は月見里と自分は違うみたいに考えてるけどな。私から見たら、割と似た者同士だってことだ」

 そこまで言い切ると、歩み寄って、紅音の背中を思いっきり叩き、

「大丈夫だ、骨は拾ってやる」

「死ぬ前提なんですか……」

 冠木は付け加えるように、

「それに、だ。お前と八雲は幼馴染だけど、その思考回路は全く似てないだろ?だから大丈夫だ」

 確かに。

 紅音と葵の思考回路に似通った部分があるかどうかは、むしろ探す方が難しいくらいだ。

 全ては屁理屈だ。

 けれど、

「そう、ですね」

 取り合えず、踏ん切りはついた。

 月見里を探しに行こう。


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