46.すれ違う心。/朱に交われば紅くなる2
本編
会社の社長。
借金を抱えた。
ある日突然いなくなった。
それが、文(ふみ)の夫にして、陽菜(ひな)の父親だ。
「どう……して?」
陽菜から最初に出た言葉は、再開の喜びでもなければ、今までどこにいっていたのかという失跡でもない。ただただ純粋な疑問だった。借金を背負い、突然姿を消した、自らの父親。それが突然目の前に姿を現した。思考が追い付かないのだろう。
陽菜の父親と思しき人物は途切れ途切れに、
「どうしてと言われても……やっと戻ってこれたからさ」
「戻ってこれたって……どういうこと?」
「そのままの意味だよ。ほら……僕は会社の経営で失敗してしまっただろう?だから、全てをあいつに任せて……立て直しを図ったんだよ。そのおかげで、漸く元通りに戻せそうなんだ。だから、戻って来た」
立て直しを図った。
それはつまり、
「倒産……したんじゃなかったんですね」
思わず口をはさんでしまう。
ただ、そんな言葉にも陽菜の父親は全く嫌な顔をせずに、
「そう。資金繰りが上手くいってなかったのも事実だし、借金を抱えてたのも事実だ。だけど、別に会社自体を畳んだわけじゃなかったんだよ」
そんな言葉に陽菜が絞り出すように、
「なら、どうして……どうして、居なくなったりしたの?」
陽菜の父親は言葉を選ぶようにして、
「……正直、戻ってくるつもりはなかったんだ」
「どうして!」
「その資格が無いと思ってたからね」
「…………!!」
言葉はない。
だけど、その表情から、考えていることは手に取るように分かった。
資格がないって何?
そんなの勝手ないいわけでしょ?
そんなプライドでお母さんに寂しい思いをさせたわけ?
でも、実際に出てきた一言は、
「……ごめん、今日は帰って」
自らの父親に対してではなく、紅音(くおん)への言葉。
「荷物、取ってくるから」
それだけを言い置いて、陽菜は家のドアを開け、中へと消える。扉を閉める音はあくまで静かだった。
沈黙。
残されたのは紅音と、陽菜の父親。
接点なんてあってないようなものだ。こちらから話しかけるにも今の話を聞いた後ではあまりにも気まずすぎる。
と、思っていたら、
「えっと……陽菜の彼氏かな?」
「…………違います」
夫婦と言うのは思考回路が似るのだろうか。
「ただの同級生です。今日はちょっと……一緒に出掛けてただけで」
デート、という名目については触れずにおく。
「あの……陽菜……さんのお父様なんですよね?」
陽菜の父親はむず痒そうに照れ笑い、
「お父様、なんて呼び方をされるような人間じゃないよ。佐藤(さとう)一陽(かずあき)。呼び方は……まあ、適当に。でもお父様はないかな。おじさんとか、一陽さんとか。その辺で」
「じゃあ、一陽さん」
「はい」
「こんなことを聞いていいのかは分からないんですけど……どうしてこのタイミングで戻ってきたんですか?」
質問をぶつけられた一陽は 表情を渋らせ、
「彼氏君……じゃなくて、えっと」
「西園寺(さいおんじ)です」
「西園寺君。君は、美人局、というものを知っているかね?」
「美人局……」
唐突だった。
あまりにも唐突過ぎて、一瞬理解が追い付かなかった。
しかし、それも一瞬だ。
要は、
「……引っ掛かったんですか?」
「…………理解が早いね。要はそういうことだ。それで借金を抱えて、会社を傾けて、どの面を下げて家族に会うんだ?」
「それは……」
つまりはこういうことだ。
一陽は美人局に引っ掛かった。
それはつまり、文という妻がいながら、他の女性に手を出そうとしていたことに他ならず、あえて細かな認識をすっ飛ばしていうのであれば不倫とそこまで変わらない事実がそこに転がっていたはずなのだ。
だから合わせる顔が無かった。
だから、失踪した。
けれど、
「それなら……なんで戻ってきたんですか?」
そんな言葉に一陽は、
「失踪宣告って言葉を知ってるかな?」
「しっそうせんこく……ですか?」
「そうだ。失踪した人間というのは通常、七年間の間見つからなかった場合、法律上死んだことになってしまうというあれだ。そして、僕が文や陽菜の前から姿を消したのが実に六年以上前のことなんだよ。これ以上、失踪した状態を続けていると、死んだことになってしまう。それに、」
そこで一陽は一つ息を吸い、
「漸く、建て直せたんだ。会社を。だから、また、三人で」
「だから、戻ってきたのね」
陽菜だった。
手には紅音のバッグがあった。
「はい、これ。渡したわよ」
ずい、と差し出してくる。突然のことに紅音は思わず素直に受け取ってしまう。
「それじゃ、またこんどね」
陽菜はそれだけ言い残して部屋に、
「陽菜」
「うるさい」
「……!」
「何があったにしても、居なくなる必要はないでしょ?せめてお母さんに連絡位入れるべきだった。違う?」
「それは……」
陽菜は一つ大きくため息をつき、
「今更遅いのよ」
けたたましい音を立てて、扉が閉められる。
再びの沈黙。
「……一陽さん」
「……はい」
「会社を……立て直したんですよね?」
「え、ええ」
「それは……」
いったん会社を傾け、家族の前からも姿を消した一陽。
しかし、彼は実に六年以上の歳月をかけて、再建をし、こうやって再び現れた。
そこにあるは、
「家族の……陽菜さんたちのため、ですか?」
「もちろん」
即答だった。
そこには嘘も偽りも迷いもなにもない。
彼はあくまで家族のために行動していたのだ。
しかし、その結果はどうだろうか。
文は分からない。彼女は時々底が見えないこともある。もしかしたら、一連の出来事もある程度勘づいていたのではないかという気がしないでもない。
ただ、陽菜は違う。彼女は一陽の「家族のため」という考えを決して理解はしないだろう。彼女からすればただただ「突然母親を捨てた非情な父親」に過ぎないからだ。先ほどの反応がその証左だ。
けれど、
「……難しいもんですね」
「何がだい?」
返事は、しない。
いや、出来ないのだ。
だってそうだろう。こんな場面で言えるわけがない。
うらやましい。
いい父親ですね。
嫌みしか聞こえないはずだ。けれどこれは、紛れもなく感じた、紅音の本心、なのだ。
手元のバッグが小さく振動する。
中にはすっかり充電が終わったスマートフォンが入っていて、通知を知らせる光が点滅している。
ほとんどの未読メッセージは昨日、先輩二人から貰った連絡だ。
だが、その中に一つ、毛色が違うものが混じっている。
送り主は橘(たちばな)宗平(むねひら)。
内容はゴールデンウィークの日程について。
長々とした文言の末尾に、ファイルが添付されている。
タイトルはこうだ。
合宿のしおり
同刻。明かりもついていない部屋の中、陽菜は一人、一枚の紙とにらめっこする。
やがて、大きく深呼吸をした後、固定電話の受話器を取り、一つの電話番号を入力していく。その番号の隣にはこう書いてある。
緊急連絡先(橘宗平携帯)
外部者をも巻き込んだ合宿が、始まろうとしてた。
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