41.俺たちにデートプランはない。/朱に交われば紅くなる2
本編
翌日。
「なんでこんなことになってるのよ……」
「それは俺が今一番聞きたかったことだ」
紅音(くおん)と陽菜(ひな)は二人揃って池袋に来ていた。
今日は祝日ということもあって、それなりの人手があり、そのバリエーションは様々だ。
ソロでぶらり買い物の旅。家族と一緒にお出かけ。そして、それらよりも目立つのは若い男女二人連れ……つまりはカップルだ。
あらかじめ補足しておくと、紅音はこの手のカップルの類がどちらかといえば嫌いな部類であり、それを避けるがために、休祝日はあえて自宅どころか自室に引きこもるように日程を調整しているところがあり、それを知った葵(あおい)に「うっわ、性格わっるう」と苦言を呈されたくらいなのだが、まさか自分がその「忌避する存在」になってしまうとは思っても見なかった。
こういうの、なんていうんだろう。ミイラ取りがミイラになった?いや、違う。紅音はそもそもミイラとの邂逅を避けていた質である。
そんな心境などどこ吹く風の陽菜が一言、
「んで?これからどうするのよ」
ちなみに、彼女の口調は昨日からずっとこんな感じだ。金髪縦ロールの愉快なお嬢様から、金髪貧乳ツンデレキャラに鮮やかなジョブチェンジ。背中に背負っているリュックが大きめであること以外はただのツンデレヒロインである。
紅音からしてみればこっちの方がずっといいと思うのだが、本人からしてみれば「バレちゃったから仕方なく」らしい。一体何が仕方ないというのか。頭か。
紅音は肩をすくめて、
「どうする、と言われてもな。そもそもこんな突発的なデートに対応できるほどのスキルは俺にはないぞ。朝の段階では着替えすら無かったんだから」
そう。
昨日の時点ではすっかり頭から抜け落ちていたが、そもそも紅音は一夜をネットカフェでつぶすだけのつもりでいたのだ。
それが、対決相手であり、噛ませ……ライバルである陽菜の家に転がりこむことになってしまったのは実に全くの偶然であり、ボタンのかけ違いであり、神様の悪戯でしかないのだ。
そして、そんな神の気まぐれに思いをはせられるほど信心深くもない紅音は当然のように着替えを含めた「宿泊する際に必要な道具一式」を持っているわけもないわけで、今朝、優姫(ひめ)が気を利かせて駅前まで着替えなどの一式が入った「お泊りセット」をリュックサックに詰めて持ってきてくれなければ、紅音は二日連続同じ服を着る羽目になっていたくらいなのだ。
もっとも、文(ふみ)さんが「夫の残した服があるの~」などと意味不明の供述をしていたので、着替え自体には困らなかった可能性もあるが、そんな様々な思いの籠りまくった服はごめんこうむりたい。
現にその発言が飛び出たときの陽菜はトンデモ不機嫌オーラを出していた。そりゃそうだ。
そんなわけで、今の紅音にデートプランを提示できるほどの余裕はない。
更に痛いことに、スマートフォンの充電をすっかりと使い切ってしまっていたこともあり、文の「置いていきなさいな~」という言葉に甘えて充電ケーブルをつないだ状態で置いてきてしまったこともあって、今から調べることも出来ない。
ただ、そんな事情を陽菜は、
「はぁ?こういうのは男がリードするもんでしょ。甲斐性無しもほどほどにしてよね」
と、一刀両断した。凄いなこの子。このご時世において男がリードするのは当たり前とか言っちゃったよ。まさにツンデレ金髪って感じ。
ただ、そこまで言われても無いものは無い。
と、いうことで、
「じゃあ、なんか行きたいところあるか?」
「ん?世界一周旅行」
「今デートプランの話をしてるんだけど?」
おかしいな。
会話がかみ合わない。
気を取り直して、
「今から世界一周は無理だろう……今日、今から、一日で何とか出来るレベルにしてくれ」
そんな当たり前の要求に陽菜は口をとがらせ、
「ちぇー……これだから甲斐性無しは駄目なのよね……」
悪くない。
俺は何も悪くない。
暫く考えていた陽菜だが、やがて、
「そうだ。あそこ行きましょ、あそこ」
「あそこ?」
「ええ。あそこよ。分からんない?」
分かるわけがない。
別に紅音は陽菜語検定一級を持っているわけではない。「お前、今日アレな」みたいなノリで通じると思うのはやめていただきたい。
ただ、流石にそれくらいのことは陽菜も分かっていたようで、
「しょうがないわね……バッセンよ、バッセン。バッティングセンター。付き合ってちょうだい」
そう言い切った。
◇
「こんなところにあるんだな……」
紅音は思わず正直な感想を口にする。
そりゃそうだ。今紅音たちがいるのは巨大な複合アミューズメントビルの14階だ。
近くまで行けば案内板があるし、そこには確かに「14階・バッティングセンター」という表記がしてあるのだが、遠目からだととてもそうは見えない。
最近建て替えられたらしいビルには最新の映画館、ゲームセンター、レストランと一通りの施設が揃っており、それらの頂点に君臨しているのがバッティングセンターというわけなのだった。
言われてみればゲームセンターとバッティングセンターは相性がいいものだし、なんだったら、バッティングセンター自体にゲームコーナーが併設されていることも多いわけなのだが、こんな最新のアミューズメントビルにあるとは思ってもみなかった。紅音も近くを通りかかったことがあるのだが、存在自体を知らなかった。
そんな反応に陽菜は苦笑いしながら、
「まあ、そのせいでちょっと高いんだけどね」
カウンター付近にある券売機を慣れた手つきで操作し、カードを購入し、
「あんたも打つでしょ?」
すっとカードを渡してくる。紅音はそれを反射で受け取り、
「え、俺?」
「そうよ?だって私と勝負するんでしょ?」
困った。
確かに紅音と陽菜は野球で勝負する約束を取り付けている。
ただ、紅音が選択したのは投手の方であり、打者の方ではない。だから、別にここで打席に立つ必要はないのだが、それを語るという事は、陽菜に手の内を明かすという事になる。さて、どうしたものか。
そんなことを知る由もない陽菜は、
「あ、もしかして私に手の内をさらしたくないとか?」
にやりとする。
惜しい。ある意味では当たりで、ある意味では外れだ。手の内をさらしたくないのは事実だが、それは打席に立つこととは一切関係が無い。
どうしたものか。
ここで「そんなことはない」と虚勢を張って、打席に立ち「ほら、いくらでも弱点を探してみろ」と煽るという選択肢も無いわけではない。陽菜のことだ。恐らくあっさりとこちらの目論見通りの動きをしてくるだろう。
ただ、一方で、そんなことはしたくないと思う自分もどこかにいる。不思議なものだ。一宿一飯の恩でも感じているのだろうか。実際のところ陽菜自身は早々に酔いつぶれていたし、どちらかと言えば恩があるのは文の方なのだが。
紅音は悩んだ末に、
「手の内をさらしたくないってのはまああるが……別に俺の打席を見ても意味はないぞ?」
事実を語ることにした。
その選択が正しいのかはよく分からない。
今、確かなのは、
「え、どういうこと?もしかして、アンタ、投手として勝負するってこと?」
陽菜の声が思ったよりもガチトーンになった、ということだろうか。
「……そんなに驚くことか?」
「いや……え、だって、アンタ、野球経験ないんだよね?実は昔やってましたとか、本当は神童とか言われてたんだけど、飽きてやめました、とかじゃないわよね?」
「ないない。運動神経自体は悪くないと思うし、野球も体育の授業とか遊びでやったことはあるけど、投手は初めてだな」
陽菜は「本気で分からない」という感じで、
「え、なんでそれで投手選んだの?マゾ?」
「どうしてそうなる……」
「だってそうでしょ。未経験者が投手やって、ストライクどころかアウト取るって……そんなに簡単じゃないわよ?ヒット打つ方が簡単だと思うけど……」
かなりのガチトーンで心配する陽菜。紅音はそんな様子がおかしくて、
「くくっ……お前、俺の敵なのか味方なのか、どっちなんだよ」
「そ、それは……敵だけど」
「じゃあ、俺が茨の道を歩いてたら歓迎するべきなんじゃないのか?「おーほっほっほっほっ!自滅、自滅、自滅ですわね!これで私の勝利は確実ですわ!」くらい言ってもおかしくないんじゃないのか?」
陽菜はじっとりとした視線をぶつけ、
「そんな喋り方しません」
「いや、してるじゃん、いつも」
「それは……いつもはいつもよ」
「じゃあ、今は違うのか?」
「…………っ!よこしなさい!」
ばしっ!
強引に話を打ち切った陽菜は、紅音が持っていたバッティングセンターのカードをむしり取り、ずんずんと一つの打席へと歩いていく。
「あ、おい!」
追いかける紅音のことなど全く振り返らず、陽菜は打席の中に入ってしまった。力任せにしめられた扉にはこんな張り紙がしてあった。
「打席にはゲームを行う人以外、入ってはいけません」
なるほど。
確かに打席にいる人間はボールしか見ていないわけで、そのフルスイングが他の人にあたったら危ないのは間違いがない。
そうでなくともファールボールはどういう飛び方をするかも分からないのだ。世の中にはいろんなバッターがいる。スライス回転で観戦している紅音を狙撃するようなファールが飛んできたって不思議はない。それでなくとも今の陽菜は不機嫌なのだ。
ここで見ていよう。
そう考えて、打席の後ろ、ガラス一枚挟んだ外から陽菜の打席を観察する。
初球。陽菜はバントの構えをする。
ピッチングマシンによる投球は意地悪にもストライクゾーンからかなり外れたところにボールを発射するが、陽菜はそれを難なくバントしてみせる。紅音も野球は詳しくないが、あれならバントとしては成功なのではないだろうか。
その後、数球完璧なバントを見せた陽菜は、ヒッティングの構えを見せる。オープンスタンスの、標準的なフォーム。先日葉月先輩が見せたような独特なものではなく、素人表現で言えば「綺麗なフォーム」。その構えから投じられた球を、
「ホームランになります」
一瞬の間があった。
綺麗にとらえられたボールはいくつか設けられた的の一つに命中し、遅れてホームランを告げる音声が流れる。
もちろん、あそこに当たったからと言って、実際の球場でもホームランになるわけではない。ただ、少なくとも、綺麗にとらえた打球でなければ、あそこまで飛ばないのもまた事実である。
その後も陽菜は的確に、そして、綺麗にボールを打ち返していく。
流石にホームランの的に命中したのは最初の一回だけだったが、それ以外の打球も全く見劣りしない……いや、むしろ、最初の一打よりもいいんじゃないか、という打球もいくつかあった。その間、打ち損じらしい打ち損じはほとんどなかったと言っていい。
陽菜目線ではどうかは分からない。ただ、紅音から見れば、どれも「完璧な一打」だった。合計20球。バントをしていた最初の数球以外、陽菜は常に「完璧」を更新し続けていたように見えた。
やがて、投手のCGが動かなくなり、点灯していたランプが消滅する。どうやら終わりのようだ。陽菜は淡々とバットを置き、荷物を持って打席から出てきて、
「どう?これでも投手として挑むつもり?」
「いやぁ……」
流石に、これを見せられて「そうだ」とは言いづらかった。
もちろん、紅音にだって勝算が無いわけではない。勝負のルールはあくまで紅音有利。一度でも陽菜を打ち取ることが出来れば勝ちというかなり楽な設定だ。
それに、陽菜が苦手なのは変化球。ストレート以外を投げることが出来ないこのバッティングセンターでは、実際の勝負とはかなり条件が違う。それらを勘案すれば、紅音にだって望みが無いわけではない。
ただ、それとこれとは話が別である。
という訳で、
「お前よくこれで素人に勝負を挑んだりしたな……」
正直な感想を述べる。
だってそうだろう。こんなの初めから勝負として成立していないではないか。二軍投手と一軍野手が対戦するようなレベルではない。下手をすればリトルリーグのピッチャーに、MLBのオールスター選手を抑えろと言っているようなものだ。下手をすればピッチャー返しで死人が出かねない。
ただ、そんな言葉に陽菜は思った以上の動揺を見せ、
「そ、それは……それしかないって話だったから」
それしかない?
話?
どういうことだ?
今回の勝負は陽菜の独断で行われたものではないのか?
紅音はそのままの疑問をぶつける。
「それしかないって話って……どういうことだ?佐藤が一人で仕掛けてきたんじゃないのか?」
陽菜は「やってしまった」という表情で、
「あ、な、なんでもないんですのよ?」
「今更お嬢様に戻しても遅い」
陽菜は一つため息をついて、
「これ、ここだけの話にしといてね?」
「いいけど……そんな話なのか?」
一つ無言で頷く陽菜。
「分かった。話すなっていうなら俺は話したりしない。葵や優姫にも。それでいいんだな?」
「ええ」
暫くの沈黙。
やがて、陽菜はぽつりと、
「実はね……あの日新聞部の部室に行ったのは、朝霞(あさか)に言われたからなのよ」
「…………え?」
あまりにも意外な名前を零した。
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