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背負おうとする意識

友だちと話していて思ったことがずっと引っかかっていた。
まだ相手から聞かれて(質問されて)もいないのに話しすぎて(教えすぎて)しまうという話。
わあ、わかるなあ、アタシもそうだなあと思いながら聴いていた。


その心理はどこからくるのか?考えていた。
自分なりの答えはやっぱり「この人をアタシがなんとかしてあげなきゃ」感かもしれない。
やっぱり背負おう、役に立とうという気持ち。
その裏には人をコントロールしよう、教えたい欲が抑えきれない。
庇護欲なのかしら?ここまでは分からないけど。
これはもうやっぱりその人の育ちが関係するんだろうなあと思う。
ちゃんとしてなきゃ・いい子でいなきゃが、その人の背負おうとする思考を育てると思う。
子どもながらに大人を支えようとする環境にあるとこれが見事に育つ。
結果、人の役に立っていないと不安、正義感の強い人になり、弱者の見方になろうとするのが強くなるんだと思う。他者のことばかりを考え、自分が後回しになる。自分の気持ちを抑圧し、自分の本音が分からなくなる。
自分が分からなくなるから他者の役に立つことで自分を救おうとするのだ。


人を助けたがる、役に立ちたがる人は他者への依存が強い。
他者がいないと成り立たない役割だから、その人が自立していない証拠だ。
自分一人では成立しない。
この依存は人助けという大義名分と正義感という立派なことばでその本質を隠せるし隠しやすい。だから助けようとする本人側も気づきづらい。いくらでもカッコつけようがあるので、ああ厄介。本当に。
一見人の役に立ちたい人だから正義の味方みたいに見えるけど、人の役に立たずにはいられない人ならそれは弱いのだ。そこに自制が効かないぐらい冷静じゃなくなる。
そしてこの、人の役に立たずにはいられない人は、相手が自分の思うように動かないと不機嫌になったり助けるのを辞める。人を助けている自分のシナリオが崩されたと感じ、裏切られたと感じるので勝手に傷つく。やっぱり人を助けている自分に酔いたいだけだということがバレる。人助けを通して自己満足したいだけ。
他者に依存したいし、依存させたいから。自分が自立していないから他者を放っておけず、相手をコントロールしたい。自分が不安だから。相手の選択や自立を拒む。相手が自立出来て自分から離れるのが怖い。自立できてしまうと助ける必要が無くなるから。あー厄介、怖い。依存ってなあ。相手の自立を願っていないのだ。


ここでいう相手の自立とは、「自力でやっていけそう!」という自信を持って生きていけるようになることだと思う。
でも自立は、必要な時に周りを頼れるような環境を自分で作れることでもある。このバランスを知ることも大事。あーバランスって難しいな。
バランスをとりながら、自分に自信を持って挑戦する部分と、不得手なところは助けてと周りに言える強さを持って生きること。
あーこれって誰も上手く教えられないし伝えられないよなあ。超抽象的な話でいろんなパターンが有り難しい。そして正解は無い。本人がこれでいいのだと思えることが正解。


でも療育にいた時に、相談室とかは本来無くていい方が幸せなんだと聞いたことがある。確かになあ。
そして聞かれた時が答え時だけど、人をコントロールしようとしないこと。余計なお世話でいろいろ教授しようとしなくていい。クソバイスだ。
相手がどうしたいかを自分で決める選択肢として客観的に話せたらと思う。
聞かれた時は答え時なんだけど、相手によっては言ってほしいシナリオが出来ていて、言ってほしいと望む答え以外は聞かないことが大半だ。ここにも依存性。自分の思い通りに事を運びたい。
やっぱり自分でどうしたいのかを自分で編み出して決める方向が一番いいんだな、マジで。クソバイスはいらない。
クソバイスも言われてやった流れになるし、相手を誘導しているし、他責出来ることにも繋がる。


結局依存的な人は誰かに答えを教えてもらいたい。依存的じゃなくても精神的に余裕がない場合は誰かから答えをもらいたくなる。自力で考える余裕が無いからだ。でも結果それは他責になる。「〇〇に言われてやったのに」と言えてしまう。自分で考えて決めるという事から逃げたいから。向き合いすぎる必要はないけど、結局何かから逃げていると、人生のどこかでしわ寄せは来るよなあ。それを自分で背負う覚悟だな。自分の人生なんだし。他責の人はこれが一生ないんだろうな。
自分に余裕がない時は考えないのが一番。でも自分に余裕があるかないかも自分では分からない時がある。だから会話するって大事なんだな。とにかく思いを吐き出す、結論や解決策は出なくてもいい。
そして自分の思考を吐き出しながら頭を整理して、自分で道を見つけられるのが一番。Speak Yourselfだね、わーナム♡好きー!
その人が自己決定出来る促しなんだ。それってやっぱり傾聴なんだよな。わーつながるなあ。


そいで人を助けたがる人は、自分の脳内で他人を意識している割合が多い。マジでこれだったと思う。
自分に向き合って、自分のことをどのぐらい把握しているか?自分のことについてどのぐらい説明できるか?自分の本音が分かっているか。
アタシの場合、幼少期から自分のことを後回しにして、自分がどうしたかったか分からなかった。
あー支援職はこれが得意なのかもしれないな。まあ天職っちゃそうか。
ただ自己犠牲までは必要無いのだ。
そして類は友を呼ぶ(笑)でも正解は無い、から面白い。


境界線のある人はのめり込まずに淡々とこなしている。
やりがいとかに期待していない。
自分が楽しいから、自分から湧き出る意欲からやっている。
ここも他人軸ではないんだな、わー納得だ。


まずは自分で自分を助ける必要がある。自分との対話を。
そしてそれをたまに周りの人に聴いてもらって確認出来ると自己肯定が安定する。
助ける側をやる場合は、アタシがやるという意味や個性はなんだろう?を大事にしたい。Twitterで見た、「自分がやることの必然性に価値を見出す」わああこれだよなあ。
私はここに自分に酔いがちだと思う。いろいろと考えている自分が好きなのだ。


人の役に立つことにもう必死にならなくていい、力を入れなくていい。
そこを他者に主張しなくても、自分の存在価値に自分で分かっている必要がある。社会に存在し繋がっていることで承認欲求は満たされるけれども、一番は自分で分かっていることが最重要。
そして存在意義なんて無いんだということも知っている。生きることに意味づけしすぎ。
結局こうやって自分を知りたいし、自分に言い聞かせて生きていきたいんだろうなあ。


境界線作りと放っておく意識。











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