考えすぎ日記⑳ 人に頼られることで保たれる自信

人と関わることで本当に毎回学びがあるなあと実感。
と同時に自分の感受性の豊かさに感謝なのかどうなのか、でも物の捉え方の豊かさは実感している。
感性があるからこそ考えてしまうんだけど。


ああ人間、人に頼られると自分の自信が保たれるなぁという出来事があって。
そして相談事って相談する側が相手に対して何か優劣を感じていると相談しづらいんだなぁと思う。
シャネルの時計してる区役所の窓口に行って相談する気持ちになれるかな?と思っていた。


誰かの支えとなることで自分の存在意義や価値が満たされ、それを感じることで安心できる。
人を助けたい・人の役に立ちたい人はそれで自分が救われるからだ。それでいいんだと最近思えるようになってきた。
この思いが自分の中に強くあったと分かったときには自分に嫌悪感しかなかったけど、社会はこれで成り立っている。「お互い様」というやつ。
しかし客観視と公平性、のめり込みすぎない冷静な判断は必要。対人支援職は特にこれが求められる。
共依存の関係になりやすいこともある。依存される側も、依存が一箇所に集中してしまうと共倒れの危険性がある。


そしていつか見た本の背表紙のことばが本当に心に残っている。
自分と向き合っていない人程他人を助けたがり、冷静な判断が出来ない。のめり込みすぎて周りが見えなくなる。
以前の自分がそうだった。自分が救われたいがために必死だった。「◯◯さんがいてよかった」と言われたがっていた。それほど「役に立ってる感」が必要で、自信がなかった。
自信は…今はどうかな?自分で自分を満たせているかな?


自分と向き合うことが全てで正義ではないが、自分から逃げている人の違和感はある。
なんか演じている、わざとらしい、不自然。無理が見える。
自分もいい子を必死に演じていた。
いい子、いい人をやろうとする人には違和感がある。
何かの無理がかかって、自分の本当の気持ちを抑圧しているからだと思う。
でも、これが自分で気づくのが難しいんだよなぁ、と思う。


前職で「いいことやってます感」を全面に出してくる人が苦手だったのもこの同族嫌悪からなのか?
「アタシ障害児大好きなんです〜」とケース会議で言放ったSSWが本当に忘れられない。あ、もうどうでもいいのよね。
あら、これも正義警察のひとつか。
放っておく技術だわ〜。いかんいかん。

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