きょうの聡太くん 2024/2/28
きょうも聡太くんはエリカラをつけている。大変嫌そうであるが少しずつ慣れてきた。なんせエリカラをつけたまま目玉焼きを焼いたフライパンをなめていたのだから。
しかし大変なことに気づいてしまった。猫が丸くなって寝ている体勢をニャンモナイトとかアンモニャイトとかいうが、エリカラをつけているとそれができないのだ。可哀想だ。
あの体勢で寝ている猫というのは本当に幸せそうに見える。だからそれができないのは可哀想だ。
あの体勢はじゅうぶんに暖かくて快適なときに繰り出される。暑すぎても寒すぎてもいけない。そしてやっていると真ん中に指をつっこみたくなる。
猫というのは元来自由な生き物である。その自由を奪ってまでハゲを治す必要があるのか心底悩んでいるのだが、たまちゃんの湿ったハゲを思い出すとやはりハゲは根治せぶねばという気持ちになる。
それに聡太くんはエリカラをつけていてもちょっとずつ自由に動けるようになった。引き戸を、通れる幅ではないが少しだけ開けられるようになったのだ。エリカラの幅を理解していないのでがつんがつんやるだけだが、それでもできることが増えるのはいいことだ。
最近聡太くんは「じゃまかわ」を覚えた。主に人間の夕飯のとき、わたしの食器を置くべきスペースに座りこんで妨害してくる。そりゃあもう素晴らしいじゃまかわぶりである。
夜ちょっと文章をいじろうとキーボードを出したいな、と思っても、堂々とわたしの前に座りこんでくる。邪魔である。じゃまかわである。
そうなるともうなにがなんでもどいてくれない。聡太くんは猫なのでかわいいから許されているが、人間だったら憎たらしくてひっぱたくところだ。それくらいのじゃまかわである。
本人としてはストーブの温風が当たって気持ちいいからテーブルの上に寝っ転がっているのだと思うが、人間からしたらそりゃあもう邪魔である。邪魔にも程度というものがあるぞ。
猫はかわいいから全て許される。うらやましいくらい全て許される。わたしもそういうものになりたいまである。わたしも猫だったら、自分がなにもできないことを引け目に思うことはないだろうに。
猫は小さくて弱いものだ。時と場合によっては「いやそんなことはないな」とも思うのだが、基本的に小さくて弱いものだ。だからかわいいから全て許すということが通る。人間はそうはいかない。
エリカラを取り付けてからこっち、聡太くんのおねだりに覇気がない。以前なら「おやつ!? おやつですね!? たべます! はやく! さあさあ!!!!」と大騒ぎしていたのに、いまは「おやつですか、ええもちろんいただきます」くらいのリアクションである。
もちろん喜んで食べるし食べたあとは満足げだ。しかし大騒ぎしないのだ。それくらいエリカラが嫌い、ということなのだろう。
食べることは喜びである、そして生きることである。ご飯どきにエリカラを外してあげればもちろん嬉しそうにキャットフードを食べている。
エリカラをしても食が細くなったわけでないのだが、それでもねだりかたや喜びかたに覇気がないのは心配してしまう。聡太くんは元来凶暴猫なのだ。
でもきのうはエリカラをつけたまま、人間の腕にジャンプで飛びかかる遊びをやっていたので、ちょっとずつエリカラにも慣れるのだなあ、と思う。早くいつも通り大騒ぎしておやつをねだるようになってほしい。