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きょうの聡太くんとヘドロ飼い主 2024/4/18
きのうテレビで「盲導犬サーブ号」の話をしていた。賢いサーブ号は凍った路面をスリップしてきた車から目の不自由な主人を守って一本脚を失い、その功績がきっかけで盲導犬のことが認知され盲導犬が電車やバスに乗り降りするのが自由になり、盲導犬が交通事故で怪我したときに保険金が降りるようになって、サーブ号の銅像まで建ったのだという。
案の定この手の動物によるお涙頂戴に大変弱いわたしはうるうるしてしまったのだが、犬というのは主人を身を挺して守ろうとする一方、猫のほうはたとえ飼い主であろうとも気に食わなければ噛みついたりひっかいたりするなあ、とちょっとだけ思った。
でも猫は「そこにいるだけですごい」生き物なのだと思う。猫で銅像といえばトルコのトンビリさんだが、トンビリさんはなにも成し遂げたわけでないのに「道端で昼寝しているのが可愛かったから」という理由で銅像が建った。猫は果てしなく自由の獣である。だからひとつところにいるだけで素晴らしいことなのだと思う。
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盲導犬サーブ号はときの総理大臣に会ってメダルをかけてもらったという。それはすごいことだ。聡太くんにもメダルをかけてあげたいがわたしの力ではなにもできないしそもそも聡太くんはメダルをかけてもらうような業績を持っていない。
だから頑張って書籍化して誰でも知っているベストセラー作家になり、えねっちけーの「ネコメンタリー」に出るしかない(論理の飛躍)。
だいぶ気の早い話だしわたしが書籍化作家になるころにネコメンタリーをやっているのかは分からないがいちばん成し遂げたいことがこれだ。
もともと昔、ネコメンタリーが始まったころにたまちゃんに「一緒にネコメンタリー出ような」と言っていたのだ。それは叶わなかったわけだが聡太くんとなら出来る気がする。まだ分からないが。
書籍化作家を目指す道のりはまだまだ遠いわけだが、これくらいビックマウスで言っておけば叶うかもしれないとよく思う。夢はでっかく、である。
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ビッグマウスはほどほどにして聡太くんのやったことの話をする。
きのう、おやつの時間に、いただきもののおやつの別の味を用意してみた。封を切って聡太くんの鼻先に差し出すも、「なにこれ」という顔をされてしまった。
ので、鼻の下あたりにびっとなすりつけてみた。聡太くんは不快だったのか鼻の下をぺろりんちょとなめてすこぶる微妙な顔をした。おいしくなかったらしい。
そのあとも食べようとはしなかった。きっと猫的においしくないのだろう。あるいは生まれて初めて「おやつ」というものに接する子猫なら食べたかもしれない。
なるほどホームセンターのキャットフード売り場に「美食を求める猫用」のカリカリがあるわけである。猫だっておいしいものが食べたいのだ。
ご飯を食べる猫というのはかわいい、「おいしいですねもぐもぐ」とやっているのは無限に見ていられる。一方で「これはいらないですね」と拒否されても「そういうところが可愛いよお!!!! もっとワガママして!!!!」となるのだから猫好きというのはどこまでもマゾヒストだ。
本当はお刺身でも焼き魚でも食べたがるものならなんでもあげたいまである。しかしそんなことをしたら病気になってしまうので自重している。
聡太くんは今朝もお腹がゆるかったらしい。とりあえず玉子納豆ご飯を食べたお茶碗をなめさせるのはやめようと思う。