きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2023/5/18
きのう、録画をとっておいたタイバニ2を観て(月曜日に観てもいいのだがなんとなく家族に秘密にして観ている)、さて昼寝するかぁと支度をしていると、聡太くんは勝手に自分の布団に収まってしまった。
ああ、これはお昼寝を一緒にしてはくれないのだな、と思ったが、ダメ元で脚をぺちぺちして、「いっしょにお昼寝しよー」と声をかけた。やっぱり来ないのでこれはダメだな、と思ったら、ヒョイと膝の上に乗ってきた。
どうやらわたしは聡太くんに「ひとりでおひるねできないにんげん」だと思われているらしい。なんというか非常に複雑な気分である。
去年は真夏でも一緒に昼寝をしていたが、今年はどうなのだろうか。去年の夏の聡太くんはまだちっちゃい子猫だったが、いまは堂々たる肉食獣である。暑ければこないのではないだろうか。それとも甘えん坊が勝利するのだろうか。
なんというか、わたしは「自由になりたいから猫と暮らす不自由を選んだ」ような気がする。
うまく説明できないのだが、去年ひとりで聡太くんのチョッキンの手続きをぜんぶやって、麻酔で寝ぼけている聡太くんを連れ帰ったとき、ああ、これが大人ということか、と思ったのだ。
テレビを観ていれば、自分よりうんと若い人が犯罪に巻き込まれたり、うんと若い芸能人が結婚したりしている。そりゃ30をゆっくり過ぎれば当然のことだ。
わたしは幸いいままで警察のお世話になったことはないし、なるようなこともしないはずだし、そういう立場だからテレビを観ているとき「大人こわ……ってわたしより若い人なんだよな……」と思う。わたしは大人になりきれていない。
大人というのは自由である。その自由を手に入れる第一歩が、聡太くんだった気がする。
いずれ両親は車の免許を返納するだろう、そうなったら歳をとった聡太くんを獣医さんに連れていく手段を考えねばならない。バスとか乗り合いタクシーとかそういうものに頼ることになるのだろう。
まだ先のことは分からない。でも、子供でいる不自由からわたしを救ってくれたのがたまちゃんと聡太くんだ。わたしは猫という自由な動物と暮らして、旅行に行けなかったりアロマを焚けなかったりする不自由を満喫している。
それが「責任」というものなのだと思う。
この間、夕飯に白いご飯を食べていたら、ふた粒ほど服にこぼしてしまった。とにかくわたしは食べ物をこぼす悪い癖がある。
ご飯粒を探して、見つけて口に入れたら、それはご飯粒ではなく聡太くんの爪研ぎ板の破片だった。単純に言うと紙である。わたしの座っている場所は足元がなんというか薄暗いので、茶色い爪研ぎ板の破片が白いご飯粒に見えたのだ。
なんだか悲しい気分になってしまった。だが面白いのでここにシェアしておく。
悲しいけど面白いというと、台所の奥の、缶や瓶を置いてあるスペースのドアも、なんというか面白い。聡太くんが勝手に開けて入ってイタズラするので、百均で赤ちゃんがドアを開けないようにする鍵を買ってきたのだが、ドアを開けるとき勢い余って鍵をぶつけてへし折ってしまう事故を2回やらかし、もうやらないぞ、と覚悟してそっと開けていたのだが、この間母氏が台所でよろけてドアに手をついて、3個目の鍵もへし折ってしまったそうだ。
いまはガムテープで止めてある。茶の間の押し入れもガムテープで止めてある。なんだかんだガムテープがいちばん簡単で便利かもしれない。
聡太くんはたまちゃんのやらなかった偉業を次々と達成していく。そこだけは名前の元ネタの人にあやかれたかもしれない。