きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん及びヘドロ飼い主 2022/9/29
午前中、公募の原稿をいじっていると、聡太くんが何をしているか分からなくて不安である。
聡太くんはパソコンに激しくチョッカイを出す。キーボードを踏んでみたりコードを齧ってみたりマウスを叩いてみたりする。そんなんでは茶の間で公募の作品は書けない。なので、公募の原稿は自分の部屋で書かざるを得ない。
なので、きょうは神棚に登って得意げな顔をしている聡太くんに見送られて自分の部屋に入った。きっとカーテンレールに登るなどの無体なことをするのだろう。そんなことを考えながら、公募の原稿をガリガリ書いた。
わたしの部屋は昔の日本家屋によくある「玄関横の洋室」というやつなのだが、玄関でなにかあれば聞こえてくる。なにやら玄関の外の戸が開く音がして、それに向かって聡太くんが「にゃ、にゃーん?」と言っているのが聞こえた。おそらく回覧板的なやつだ。
聡太くんはちょっとのことでビビらなくなった。玄関に知らない男の人がいても平気だし、ピアノが鳴っていても怖がらない。いまさっき、新聞の集金のおばさんが来たのだが、「だれだろ〜」みたいな顔をして至近距離で観察していた。集金のおばさんは聡太くんに「またね」と言って帰っていった。
聡太くんが怖いのは、いまでは掃除機とドライヤーとハンドクリームくらいだ。無敵に限りなく近い。名前の元ネタの人の弱点はキノコだけらしいので、同じくらい無敵だ。
原稿タイムを終了してちょっと階段の上を見てみると、聡太くんが日向ぼっこをしていた。とても気持ちよさそうだった。
午前中フルスロットルで小説を書くと、午後からは最低1時間寝ないと具合を悪くする。最近そうでもなくなってきた気もするのだが、しかしそれでも休むことは1日のルーティーンに組み込まれている。
ソファに寝転がって毛布をかけると、聡太くんがいそいそとやってきて毛布の上、膝の上あたりにヒョイと乗ってそのままお昼寝タイムを始める。重い。しかしかわいいので許されている。
聡太くんは人間が大好きだ。ちょっとたまちゃんとは違う懐き方をしている気がする。母氏いわくついに聡太くんがスリスリを覚えたらしい。
そのくせ唐突にピラニアになって噛むのだから猫というのは謎である。きのうもガリガリ噛まれた。
しかしピラニアな部分も含めて聡太くんなのだ。かわいいものである。長袖の季節になったら腕でなく手を狙うようになるあたりが悪質だが、しかし噛まれて傷になるような怪我は最近あまりない。
むしろ前足の爪がやばい。切らねばならないのだが寝ていても爪をパチンと切ると途端に起きてきてピラニアを始める。なんなんだお前は。
そういえば、今年の夏は聡太くんにガリガリやられたせいで、腕のムダ毛にカミソリを当てなかった。
見苦しいなあと思ったのだがムダ毛以上に聡太くんの噛み跡引っかき跡が目立つので、だれも毛なんか見てないよな、傷にカミソリ当たったらまずいしな、とスルーできたのだ。
こうしてちょっとずつどうでもいいおばさんになっていくわけだが、しかしそれも程度問題ではあるけれどいいんじゃないかな、と思う。あ、脇は剃りましたよ。
中学生みたいに、うぶ毛が少々生えているのを異様に恥ずかしがる歳ではない。もちろんきれいにしていたいと思うけれど、他人の腕のムダ毛にそこまで注目する人がいるだろうか。男の人のすさまじく毛が濃い腕とかなら「お、おう……」となったりするが、誰もわたしの腕のムダ毛なんて見ていないのである。聡太くんの噛み傷引っかき傷というアクセサリーをつけていたらなおさらだ。
この夏はちょっと価値観が変わった気がする。腕と脚はツルスベできれいにしていなければならない、というのは、いわば一種の呪いである。
来年どうなるかは分からない。しかしちょっといい方に考え方が変わった気がする。
ムダ毛に限らず、ときどき小中学生のころのことを思い出して恥ずかしさに悶死しそうになるのだが、そういうときは「子供だったんだ」と唱えている。わたしも、周りの連中も子供だったのだ。だからあんな恥ずかしいことをした。わからなかったからだ。
そう思うとちょっと楽になる。黒歴史を消してしまうことはできないが、みんな子供だったのだと思うと楽になるのでオススメである。もうだれも咎めないし笑わない。それでいいのだ。