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きょうの聡太くん 2024/11/25

 聡太くんが食べないのにも慣れてきた。なんだかんだあとからちりぽりちりぽり食べるのも分かったし、お皿を入れ替えるだけでも効果があるのもわかったし、顔の前に差し出すとさほど悩まず食べるのもわかった。最終手段として手から与えれば食べるのもわかった。
 慣れというのはすごいものだ。あれだけどうしようどうしようと右往左往していたのに、いまでは「じゃあお皿変えよっか」とか「じゃあ手から食べよっか」みたいなことが当たり前になっている。
 人間が慣れれば本人(本猫)も慣れる。「ぼくこれいらない」と拒否しても、なんだかんだ後から食べる。もしかしたら人間に構ってほしい一心で残していたのかもしれない。
 しかし最近ときどきパウチも残すので油断ならない。それはマグロでできているのだ、人間が食べたくても食べられないマグロでできているのだ。「ぼくこれいらない」ではない、マグロなのだからちゃんと食べてほしい。
 お腹がゆるいのも少しずつよくなってきた。早く慣れていただきたい。

 どうも聡太くんは人間と一緒に食べたいようだ。なぜそう思うのかというと、人間が食事をしていると「よいしょ」とテーブルに登ってきて、「あの、ぼくはなにをたべればいいのでしょうか?」という顔をなさるので、ほれと聡太くんの食器を差し出せば「おいしいおいしい……おいしいおいしい……」と騙されて食べてくれるからだ。
 そこにはやはり家族という共同体の一員であるという意識が働くのではあるまいか。食事をみんなで摂るのは大事だ。
 しかし猫も、「じぶんはこのにんげんたちのなかまだ」と思うというのは面白い。いや、猫は家族というものをどう認識しているのだろう。人間が思うような「家族」の認識ではないのかもしれない。「げぼくいちごう、にごう、さんごう」と認識しているかもしれないが、それでも猫なので許されるのだ。
 なおいまさっきお菓子をもぐもぐしてコーヒーを飲んだのだが、それにつられるように聡太くんはカリカリを食べていた。やはり人間を仲間、ないし下僕と認識しているようである。

 きのう人間が大相撲九州場所の千秋楽を観ているとき、聡太くんはスヤ……とソファでよく寝ていた。人間1人ぶんくらいの場所を占領し、ぐうぐう寝ていた。
 晩ご飯の時間になっても寝ているので、「お腹空かないか?」と声をかけたら薄目を開けたが、また寝た。けっきょく表彰式や優勝力士インタビューをゆっくり観、毎場所最後に流れる今場所のハイライトをカッコいい音楽とともに流すやつまでばっちし観た。それから、やっと目を覚ました聡太くんに食事を用意すると、おいしいおいしいとけっこう頑張って食べてくれた。
 もしかしたらしっかり寝かすのが大事なのかもしれない。聡太くんが子猫のころ、いろいろ情報に当たっていたとき、「子猫にたくさん食べさせたいならたくさん遊ばせるだけでなくたくさん寝かせろ」という情報を入手したことを思い出した。
 これからはもうちょっと時間時間で起こすのでなく、本人が動き出すのを待ってみようと思う。

「めつきがかたぎでないそうです」


 あとおやつ制度の復活もやはりいいことだったようだ。おやつだよ、と言うと「なんですと!?」とむくっと起きて、「もしかしておやつですか!? おやつですね!?」と反応してくれる。しっぽを真上に立てて「お・や・つ、お・や・つ」とついてくる。
 ササミをふた口くらい食べさせたら、残りはカリカリの皿に入れてあげると、カリカリもろとも「うまうま……うまうま……」と食べる。びっくりするほど食べる。いままでの苦労はなんだったんだというほど食べる。
 食べてくれればそれでいいのだが、そこまでササミというものはおいしいのだろうか。

 聡太くんはかわいい、ベラボーにかわいい。少々めんどくさいところもかわいい。

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