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きょうの聡太くん 2024/2/27

 聡太くんはいまもエリカラ生活を続けている。
 聡太くんはあてつけのようにエリカラをなめるのだが、そのなめた跡が青海波模様のようにエリカラに残っていた。猫のざらざらした舌はプラスチックにまで傷をつけるのだ。
 きのうは朝から夜まで食事どき以外エリカラで過ごしてもらった。エリカラをつけるともちろん動きは鈍くなるしできることも減る。それは猫にとってどれくらいのストレスなのだろうか。わからないが隙間に自由に入れなかったり引き戸を開けられなかったりするのは苦痛なのだと思う。
 エリカラをしていると頭をぽんぽんしても怒らない。しかし体をなめられなくて不快だろうなとブラシをかけようとしたら拒否されてしまった。あくまで自分でなめたいのだ。
 飼い主のほうもずっとエリカラ生活をしている聡太くんを見て心配な気持ちになっている。そこまでしなくてはならないのだろうか、なにかもっとストレスなく治療する方法はないのだろうか、と。
 心配しても仕方がないし、街で評判の獣医さんがこうしなさい、と言ったのだからそうするしかないのだが、エリカラ生活は絶対に不本意だと思うのだ。聡太くんは元来元気な若者だ、暴れたいだけ暴れさせてやりたい。

 そういうわけで、さすがに夜までエリカラは不憫だったので、人間が布団に入る時間にエリカラをぱちぱちと外してやった。
 そうしたら聡太くんはボールを見つけてきて激しく遊び始めた。そして押し入れを開けふすまを開け、暴れん坊のかぎりを尽くした。健康な猫というのは元来こういう生き物なのだなあと思った。
 けさにはボールをひとつ破壊し、おいしそうに納豆を食べたあとの食器をなめていた。そのあと薬を塗ってエリカラをつけた。大変嫌がっていたが病気は治さねばならない。
 きのうの夜の暴れん坊ぶりが本来の聡太くんなのだ。あるいはエリカラで抑圧された分が爆発したのかもしれない。そこはわからないが元気にしているのはいいことだと思う。
 なんとかエリカラをつけたまま、きのうの夜の大暴れのような元気を炸裂させてほしいのだが、さすがにそれは無理な注文のようだ。

「どうも、おうこうきぞくです」


 聡太くんを、「坊ちゃん」と呼んでみたら、こちらを見た。自分が呼ばれていると思ったらしい。
 聡太くんは変な名前で呼んでもこっちを見てくれるお利口さんだ。いま「竜王」と呼んだらこっちを見た。「名人」と呼んでもこっちを見た。とにかく人間の声のトーンで「じぶんがよばれている」ということは分かるらしい。
 お利口なのかなんでもいいのかわからないが、聡太くんが「こいつはぼくのことをよぶ」と思っているのが嬉しい。
 聡太くんにはなるべく楽しく毎日を過ごしてほしい。わたしの思うことがもう年寄り猫に対して思うようなことである、あまりに気が早いと自分でも思う。
 きのうエリカラを外したらあれだけ大暴れしたのだ、まだまだ20年くらい生きる若者猫なのだ。あまり心配しても仕方がない。
 人間だってギプスをつけられたり包帯を巻かれたりしたらげっそりする。そういうことなのだ。治って外せばまた元気いっぱいの日常が戻ってくる。
 たかだかハゲに騒ぎすぎという気もする。しかしエリカラをつけてから聡太くんは明らかにしょんぼりしている。元気でいてほしいのだが。

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