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きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2025/2/26
ちょっと古い本とか、著者が昭和ヒトケタのエッセイとかを読むと、自由に外をうろついていた昭和の猫は逞しいなあと思う。小松左京の猫は小松左京をドアマンとして使い、ちょっと押されたのに怒って小松左京に襲いかかりひどい喧嘩をした、というし、漫画「動物のお医者さん」を読んでいてもミケちゃんは強烈なキャラクターだ。
しかしそりゃそうだ、逞しくなければ喧嘩に負けるし好きでないオスに付きまとわれるだろう。昭和の猫は逞しくなければならなかったのだ。
しかし猫がどんなに逞しくなっても、車にはねられたらただごとでない怪我をしたろうし、昭和の時代にもいじめるために猫を捕まえる輩はいたろうし、外にいればそりゃ病気だって拾うだろう。その辺にあるものを食べてお腹に虫がわくかもしれないし、猫嫌いの人に目の仇にされるのも想像できる。
それが容易く想像できるのにどうして家から出したのか、昭和の猫好きの考えることはサッパリわからない。それともそもそもそういうことを考えていなかったのだろうか。
猫は家から出してはならないというのは令和のいま常識である。わたしもそう思う。猫はお家のなかでぬくぬくとしていればいいのである。
いったいなにがあってそういうことに方針転換されたのかはわからないが、猫を家の中に置いておくのはいいことだと思う。どうせ最近の猫はだいたいがチョッキンするのだ、外の世界を冒険するよりお昼寝するほうが楽しかろう。
だいたい聡太くんはぼーっとしているので、外に出たら秒で事故に遭うと思う。たぶん聡太くんは猫としてはそうとう鈍臭いヒトではないだろうか。それに外に行く気もなさそうだ。そもそも全てのドアは人間がいれば開けてもらうものだと思っているようだ。野生味皆無である。
聡太くんは人間をかわして玄関の突破を目指すことがたまにあるが、見事にいままで一度も人間を振り切ったことがない。そこまでして外にいこうと思わないのだ。さすが生まれながらの飼い猫、さすが猫界の徳川家光である。
聡太くんは外にいる鳥を見て「ヒャンヒャン……ヒャンヒャン……」と騒ぐことはあるが、あの「鳥」というのが食べられることはわからないのではないか。
聡太くんはずっと家にいればそれでいいのである。他の猫もすべて、みなお家にずっといればそれでいいのである。そして残飯を食べさせてはいけない。それにネズミなんかとってこなくていいのである。
その点たまちゃんは野生味に溢れていたなあと思う。さすがの元野良だった。扉が開けばすっと脇を抜けようとしたし、どこかの窓が開いていれば抜け目なく脱出していた。
戸棚に入るのだって開く瞬間を見極めてシュババ! と戸棚に入っていたし、家のなかでかくれんぼをして出てくるまで見つからなくなったのも1度や2度でない。
どっちが賢かったのかと思うと圧倒的にたまちゃんのように感じるのだが、聡太くんは聡太くんで「あけてくれるまでまつ」ということができる。勝手に開けて出ていくのは「めんどくさい」のだ。
猫というものは面白い。家の中にいても自由の獣だ。
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去年の冬は見事な暖冬だったので、わりと早い時期に動物病院から「マダニとフィラリアの予防を始めましょう」というハガキがきて、フィラリアの予防薬をけっこうな値段で買わされた。
でも蚊に刺されるたびにフィラリアをうつされやしないかとハラハラするのは嫌なので、今年もハガキがきたらなる早で動物病院に薬を買いにいこうと思っている。でもハガキはゆっくり出してもらいたい。
あのフィラリアの予防薬というやつ、封を切って容器をプチっと開けただけで「やめろ! それはいやだ!」と聡太くんが大暴れする。首に薬をポチポチされるののなにが嫌なのか。しみるのだろうか。