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きょうの聡太くんとヘドロ飼い主 2025/2/28

 2月が終わるだと!?!? どういうことだ!!!! なにかの間違いだ!!!! ……という気持ちである。
 おかしいなあ、ついこの間お正月で聡太くんは青年一号に甘えていたではないか……。どうしてこうも一年が一瞬なのか。ババアになった、ということだろうか。
 来月は聡太くんの誕生日がある。盛大に祝いたい。

 きのうふと思ったのだが、「愛するものと一緒にいたい」というのは人類の根源的な欲求なのではないだろうか。
 わたしにとって愛するものは家族だ。恋愛や結婚などとうの昔に諦めているので、いまいる家族とずっと暮らしたいがそれは無理というものだろう。両親とも60歳を超えて、果たして聡太くんと両親だれが一番長生きするかというメンタルにきそうなレースが始まっている。もちろんわたしだっていつ死ぬかはわからない。
 聡太くんを含む家族と幸せに暮らしたい、その根源的な欲求を「精神病だから」という理由で諦めたくない。
 となればやることは一つ、小説の書籍化である。書籍化すればそれなりのお金が入ってくるはずなのだ。かつて3000字を3000円で買ってもらったことがあるので、きっと10万字を10万円で買ってくれる人だっているに違いないのである。
 書籍化という夢はずっと前にツイッター(そのころはまだツイッターだったのだ)でぼやいたところ将棋の加藤一二三先生、俗に言うひふみんから応援のリプライをいただいてしまったので、目指さないわけにいかないのだ。やるぜやるぜおれはやるぜ、と「動物のお医者さん」のソリ犬のごとき心境である。
 聡太くんとずっと幸せに暮らすのが、いまいちばんの願いだ。

 いや聡太くんがかわいいからそれは仕方がない、こねくり回したい、そして噛まれたい。全てがかわいい、ストーブの前で溶けているときも、ソファで寝ているときにどっこいしょと乗っかってくるときも、「ニャ〜オ〜ウ〜」などと鳴きながら手を噛んでいるときも。
 どうして神様はこういう異様にかわいいものをお作りになられたのか。かわいい、なによりもかわいい。こねくり回して反撃されて噛まれているときすらかわいい。
 じゃらしをくわえてどこかに行こうとして足踏みをしているときも、カリカリを一粒一粒食べさせられているときも、もはや完全にかわいい。
 うちの猫が聡太くんでよかった、いまさっきドアマンをやらされたがかわいい、太ももを思い切り踏まれたがかわいい。幸せが猫の形をとって生きているのだなあと思う。

 きのう聡太くんが寝言を言っていた。父氏の椅子で寝ながら「ウニャーン……」と叫んで、「どうした?」と声をかけたらまた「ウニャーン……」と言っていた。
 なんの夢を観ていたのだろう。それは本人、本猫しか知らないが、楽しい夢であれと思う。
 世の中には飼い主が笑ったのが嬉しくてわざと変な鳴き方をする猫なるものがいるそうだが、聡太くんにそういう知恵はないと思う。でも人間が笑っていればそれはそれで嬉しそうだし、たぶん猫という生き物は周りの人間の感情というものを敏感に感じておられるのだろう。

「ねむい」


 そういえばきのう新聞の集金のおばちゃんが来た。いつも25日くらいに来るのだがこないな遅いなと思っていて、これから来ることがわかっているなら……とタイツの上から一枚靴下を履いてみた。
 もちろん玄関チャイムが\ピンポーン/と鳴った瞬間聡太くんは襲いかかってきて、ガリガリと爪を立てようとした。しかし靴下とタイツの二枚重ねだったので爪は大して刺さらなかった。わずかなダメージで済んだのである。
 しかしどうしてピンポンが鳴るたびにわたしはガリガリされねばならないのか。いまは冬だから靴下とタイツで防御できるが、真夏になったらどうするのか。去年やられたみたいな大規模な流血はご勘弁いただきたい。

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