死なないでいる方法
生きていくのは意外と簡単だけど、死なないでいることにはけっこう骨が折れる。
誰かが助けてくれるわけじゃないし、他人はどこまでいっても他人のままで、最後は自分一つで生きていかなきゃならない。
でもその時に、一つでも多く、これを握りしめていれば前を向けるというお守りが、あったらいいなと思う。
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演劇ハイキューについて、一体どう書けるかな、書こうかなと、でも書いても出演者さんたちの言葉の深さには勝てないなとか(勝負しているわけではないけれど)。
ぽつぽつと、とりあえず今日一日にあったこと、頭をよぎったことをまとめていたら、作品についてというより人生の話になってしまった。
ハイキューを通して出会った友人の話と、人生の話。
ハイキューの話をしていると、なんだか結局人間が好きだなあという話に戻って来てしまうから、やっぱり演劇ハイキューはわたしにとって人間の話であり、人生の話なんだと思う。
昨日一日、夜、そして今日一日。
やっぱり、出会えて本当に幸せでした。元気をもらいました。新しくて健康な人生をもらいました。
ありがとう演劇ハイキュー、ずっとずっと、大事な時間であり、先生であり、恩人であり、青春であり、宝物です。
でも、もらったものがあまりに大きすぎて、大事な時間でも、先生でも恩人でも、青春でも宝物でも、そのどれもがいまいちピンときません。
これからは、まだどれもしっくりこないその言葉を探すために、上を向いて生きていこうと思います。
その、準備のための話。
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なんだか夢みたいな一日だった。
ゆうべ、夜半過ぎまで友人と電話をしていた。
もう何十回としたであろうハイキューの思い出話を、これだから演劇ハイキューが好きなんだという話を、食べたもの感じたこと出会ったものの話を。4時間半、ただただ細いイヤホンで繋がった向こう側と語り続けた。
早く外に出たいねって話以外は、現実の話題が挟まれる余裕はなかった。
まだ実感がわかないね、まだ終わらないって信じていたいね。
現実感がなく、寂しいも苦しいも悔しいも穏やかに夜の中に溶けていくような、不思議な夜だった。
いつもの大千秋楽の夜とは違っていた。
友人が贈ってくれたネイルの話になった。
いつもハイキューの現場につけていくそれを、懲りずに昨日わたしが塗っていたからだった。
永遠につけててくれてうれしい!
さすがに永遠じゃないよ
そっか じゃあなくなったら言ってね、またわたしがあげたいから
オレンジ色のネイル。ちょっと蛍光みもあるような、不思議な元気な色。
はじめてもらったアナスイのネイルだった。
そのプレゼントをもらった時、友人とは3回目の対面だった。
1回目は、出会って半年後、別現場の終演後。お互い人を待たせて、真冬の空の下で1、2時間喋っていたと思う。
2回目、はじめて一緒に行くハイキューの現場の前に待ち合わせ。わたしの携帯が壊れていて、外で連絡がとれなかった。無事合流して、カフェでお茶をする。友人の夢を当てて、驚かれたのを覚えている。
3回目。進化の夏のリリイベ前におやつ。
当時(というか今もさして成長していないかもしれないけれど)、わたしは典型的な「喋れるタイプの人見知り」で、つまるところ、会話は支障なくできるように見せかけられるけれど、内心はばっくばくだった。
その友人は、端的に言うと、今までに出会ったことのないような子だった。
これはいまだにわたしたちのお酒の肴になるのだけど、同じ学校同じクラスにいても、たぶん友達にはなれなかったね、という感じ。
わたしは、今でも彼女のことを「魔法みたいな女の子」と呼んでいる。
その、出会ったことがないような、きらきらしていてかわいくてにこにこしていてたくさんしゃべる女の子と、3回目の対面、東京のお洒落なカフェ。緊張しないわけがなかった。
おのぼりさんのわたしにとっては、まだ何もかもが新鮮だった。
それが食べたいからと言って来たはずのワッフルチキンがとてものどを通りそうになくて、代わりに頼んだやっぱりかわいい飲み物も、全然入っていかなかった。
電話越しにその話をすると、友人は大笑いしてた。そんなに怯えてたんだね、と。
そして、その時にネイルをもらった。小さな黒いショッピングバッグ、鮮やかな花が描かれている。
誕生日でも記念日でもない日に、そしてまだ会って数回という相手に、ものをもらうのがはじめてだった。
いつかね、わたしは黒のネイルをしてそうちゃんと会うの!
電話で、友人はそう言っていた。
その時、わたしは5/10の過ごし方を迷っていた。
もともと、大千秋楽の翌日に平然と仕事に行けるわけもなく、と、とっていた休みだった。
今日もなんだかんだ、外に出たし。明日は家で過ごそうか、それとも少しだけ外に出ようかと考えていた。
外に出るにしても、何をするかなあ。ああ、いつも舞台後にはうどんやラーメンや餃子や、そういうものを食べていたよね。じゃあとりあえず、ラーメンは食べようかなあ。そんな話をしていた。
不思議だけれど、ハイキューを観た後は、自分たちが試合をしているわけでもないのに、まるで試合後の高校生たちが食べるような物を、舌と胃が要求してくる。
イタリアンなんて食べた記憶がない。たぶん、6割はうどんだった。
あとは、鉄板焼きとか、餃子とか、ラーメンとか。そういうものを食べていた。
TDCのフードコートは聖地であり、丸亀のうどんがソウルフードだった。
ラーメンは食べるとして。後は何をしよう。
平日じゃないと行けない買い物とか……と考えていたところ、彼女がこう言った。
アナスイの、黒いネイルがほしいのだと。いつかそれをして、宮城に行って会うんだと。
いつかね、わたしは黒のネイルをしてそうちゃんと会うの!
わたしがあげたオレンジと、わたしが黒を塗ってこれば、2人で完璧に烏野カラーだね!
予定が決まった。
買い出しだ。
他の誰かに――それは彼女自身からも含めて――贈られる前に、わたしが黒のネイルをあげるのである!
電話しながら既にウズウズしていたのだけれど、「黒のネイルを買う」という予定が決まってから、残りの行動が埋まるのはすぐだった。なぜだかわからないけれど、すんなりと、今日することが決まった。
なんだか、夢みたいなはじまりの朝だった。
一応アラームはかけたけれど無視してのんびり起きて、服に悩んだ。黒が着たかった。
最近買ったとってもかわいいTシャツに決めて、黒のパンツに爪と指輪はオレンジ。
トップコートをしていなかったせいで、少し爪の先の色がじりじりとしていた。
だが、これを眺めながら昨日電話をしたことを思い出すと、塗り直しはしたくなかった。それでもとびきりかわいい爪だった。
平日ダイヤと休日ダイヤをものの見事に間違えながら、家を出た。
久しぶりに覗いた大型デパートは、とても人が少なかった。
真っ直ぐお店に向かう。着いてすぐ、店員さんが声をかけてくれた。
買う気は満々ですので大丈夫です。ちょっといったん、見させてください。
ネットで調べていったけれど、やはり実物は全然違った。かわいい。どれもかわいい。
でも、かわいいだけではだめなのである。黒で、かつ、彼女らしい色を見つけたい。
勧められたことに特に従う気がないのにも関わらず、これはどうですか、こう重ねるとどうですかと、何度も店員さんを呼んだ。悩み過ぎていたのである。ごめんなさい、めんどくさい御客で。
悩みを断ち切る基準は、それを手に取って持って行った後に、後悔しないかどうか。
こっちを持って行った場合、あっちを持って行った場合。それぞれの自分の心理状況を想像し、よし、と決めた。
お求めドンピシャの色ではないかもしれないけれど、わたしがその子らしいと思った黒。加えて、自分では持っていないと言っていた、おひさまみたいに輝くオレンジ。
そのかわいさに抗えず、こっそりと自分も同じものを買った。
人にあげるものを選ぶのは、買うのはいつだって楽しいし、なんだか「自信になる」。
つやつやのショッピングバッグを握りしめて、「よし!」ともう片方のこぶしを握った。
「ずっとほしいなと思っていたけどなんとなく手を出していなかったもの」ツアーのはじまりである。
ほしかったシリーズのイヤリング、色を迷っていて買えていなかったのを、「新色」と書かれたオレンジ色を手に取っていた。
なんだかオレンジ色の話ばかりしているけれど、もともと「99パーセントイエベ秋です」みたいな診断が出るイエベ秋だったので、この色、得意なんです。
推しさんが最近買ったという香水のお店があることに気がついた。
はじめて聞いたブランド、まったく知らない香り。めちゃくちゃ気にはなっていた。
とっても高いことは知っていたので、今日購入します! というわけにはいかなかった。
それでも、行ける! という気分になっている今日立ち寄らねば、いつ行くんだという勇ましい気持ちになっていた。
試させてもらい、手首にも少しつけてもらった。
画的に想像してほしいのだけれど、広さではなく、深度のあるバラ園を――それもちょっと、今にも雨が降りそうな雲の下の、ほの暗いバラ園を――泳ぎ潜っていくような、そんな香りだった。
こんな香りが推しからしたら、すれ違う人みんな倒れそう、と思った。
感激と恐ろしさとただただ芳醇な香りに良く酔わされながら、ちょっと手首を高価なもののように扱いながら、お店を後にした。
他にもいくつか、気になっていたものを吟味した後、ラーメンを食べに行った。
餃子もあるとよかったんだけれど、あいにくなかった。
絶対味玉を追加するんだよ、と昨日の電話で念押しをされていたのを忘れず、追加。
はじめて入るお店だったけれど、とてもとてもおいしかった。
帰り際、ごちそうさまでした、おいしかったです、と言うと、とんでもないです、と、店員さんがマスク越しに笑顔を見せてくれた。
友人がこちらに遊びに来たら、絶対に連れて行こうと決めた。
次の目的、そのあたりには目当てのお店がなかったため、1時間ほど歩くことに決めた。スポーツ用品店である。
田舎の一駅というのは、歩くようにはできていない。でも、歩きたかった。
天気がよかった。黒い大きなカバンを持った、カラフルなヘアスタイルの子たちが前をたくさん走って行った。美容学生さんらしい。
風がびゅうと吹き続けていて、前髪はぐしゃぐしゃになったけれど、ズボンがはためくのが心地よかった。
何も考えなかった。
強いて言うなら、大海という感じ。自分が海のような気もするし、海辺を歩くのとも似ている。
ウォークマンに、「アーティスト:和田俊輔」をリクエストして、ずっとハイキューのサントラを流していた。
陽気な曲も、苦しい曲も、切なげなバラードも、ラップも、生のセリフが入った公演音源も、順番などなく耳にしゃべりかけてきた。
とても天気がよかった。
休みをとってよかった、と思った。
何度も地図を確かめながらスポーツ用品店に入ると、やはりそこもがらんとしていた。
ボールを買いに来た。バレーボールである。
人見知りのため、チームに入る気もないのだけれど、ただ遊ぶものとしてほしいと思っていた。
このご時世、一人でも楽しめるスポーツ、がほしかったのもある。
元バレー部の友人がいつか教えてくれると言っていたので、それまでは、個人でやれる範囲の遊びをしてみようと思った。
売り場で十分ほど悩んでレジに持って行ったものが、なにやら見当違いのものだったらしく、店員さんが一緒に売り場を見てくれた。
わたしが微妙な年齢だったからか、そうじゃないだろうけどそれ以外思いつかない、といった感じで、若干首を傾げながら「ママさんバレーとかなら……」と説明してくれた。
そうだよね、店員さんだって後から「ほしいのはこんなボールじゃなかったのに!」って言われても困るだろうし、用途がきちんと知りたかったんだと思う。「練習用で」みたいな説明しかできなくてすみません。
なんといえばいいのかわからなかったんだもの!笑
これだけ贅を尽くしているのにまだやるか、と思いつつ、自分を甘やかすことにする。
コーヒーショップで、お気に入りの組み合わせを頼む。
すると期間限定のオプションもあると言われ、「……じゃあそっちで!」と変更する。店員さんは笑っていた。期間限定ですからね、と。
普段コーヒーは飲まないけれど、かつての遠征先、夜行バスを待つために入った時、ちょっと冒険してみようと思って賭けをした組み合わせが、すっかりお気に入りになってしまったのである。
やることを終えた後のコーヒーって、なぜあんなにおいしいのだろう。
こらえ性がないので、友人にショッピングバッグの画像と「楽しみにしててね」だけを送った。
それ以上は語らないようにしたので、早く送る準備をしなければならない。
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それだけの一日だった。こうなる前は、どこの誰でもよくあった一日かもしれない。
でも今、それだけのことが本当に難しくて、こんなタイミングだから、沁みるように噛みしめて、ありがたく思う。
友人がいたから、彼女にあげるものを買いに行きたいなと思った。
外に出て、ついでに自分のしたいこともしてしまおうかな、という気持ちになった。
ぜんぶぜんぶ、演劇ハイキューがくれたものだった。
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その友人とは、Twitterで知り合った。
なぜかネットの海を漂っている時に、お互いを見つけて、気になるなあ、しゃべってみたいなあと思っていたら、ちょこんと「フォローされています」の表示と、タイムラインで名前を見ることが当たり前になる関係性になっていた。
推しているキャラクター、というか役者さんというか――ハイキューの難しいところは、追っているうちに、そのキャラクターが好きなんだか役者さん本人が好きなんだか、わからなくなってくるしどっちでも関係なくなってくるところである――が同じで、もちろん作品も大好きで、140字の中で大いに盛り上がった。
ずっと文字では話していたけれど、実際に会えたのはその半年後。
これもいまだに酒の肴なのだけれど、お互いがお互いのことを年上だと思い込んでいたし、その二人ともが好きだった役者さんを、とうとうハイキューでは一緒に見られていないのである。
1回目、2回目、3回目。人見知りのめんどくさいところは、一度心を開くとめちゃくちゃ懐くところである。
それから、わたしの舞台の楽しい思い出には、いつも彼女がいた。
季節が冷たいほど、暑いほど、その記憶は鮮明だ。
推しさんが好きだと言っていたカフェに行き、好きだと言っていたケーキを食べて、クリスマスのイルミネーションを見に行った。
夜行で着いて、お家にお邪魔して仮眠して舞台の映像を一本見て、そのまま一緒に別作品のソワレに行く、みたいなスケジュールもあった。
毎月どころか毎週会っていたこともあって、中にはお互いの居住地域じゃないところで毎週会う、というわけのわからないこともあった。二人で遠征もした。
深夜のプレゼント交換大会があった。大千秋楽で大泣きしているところに、もしかしたらもう会えなくなるかもしれないといった話が出て、余計に泣いた。
人間性の足りなさで険悪になったこともあったし、わたしはずいぶん身勝手でひどいことも言った。
彼女とは、よく動画を撮る。
大好きだった俳優さんたちを真似して、楽しくもくだらない動画を撮る。
そんなわたしたちも、この5月で、「5年生」になった。
好きなものの話だけじゃなくて、人生の話もする。
苦しく、一人足掻かなければならないと思っていたことも、その孤独を埋める相手じゃなかったとしても、わかってくれる人であってくれた。
他人はどこまでいっても他人のままで、最後は自分一つで生きていかなきゃならないけれど。「大丈夫」と言ってくれるひとがいるだけで、あるいは、いたと知っているだけで、一人でも前を向くことができる。
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演劇ハイキューがくれたのは、人生の最高の出会いと、人生そのものだった。
ハイキューに出会うまで、知らないことがたくさんあった。
はじめて見たのは初演だけれど、本当にその作品と「出会って」しまったのは、再演を観に行った時だと思う。
初演を見に行ったきっかけははっきりと覚えている。
キーワードは「須賀健太」と「プロジェクションマッピング」。直前にやっていたドラマで須賀くんの存在を知り、なんだかいいな、素敵な人だな、と思っていたら、彼が主演でハイキューの舞台をやるという。当時、2.5には抵抗があった。けれど大好きな作品。けれど舞台化。けれどプロジェクションマッピング。おもしろそう。
そのキーワードたちの魅力に逆らえなくて、けれどかなりの勇気をもって、見に行ったライビュだった。
衝撃だった。開いた口が、見ている最中も、見終わった後も、電車の中でも、布団の中でもふさがらないぐらいだった。
速攻再演、が決まってとてもとても喜んだけれど、当時のわたしは「舞台を観に行く」という感覚がなかったので、現地に行くかどうかまで考えずに、「また見られる」というだけで大喜びした。
ちょうどその時、人生の転機があった。
自分で言うにはという話だけれどこれは自虐なのであえて言います。趣味ではなく、現実生活の話で、その時、わたしは地元で疑いようのないエリートコースまっしぐらだった。残すは就職のみ、それもすでに道が決まっている、みたいな状態だった。
生きていくのは意外と簡単だけど、死なないでいることには、けっこう骨が折れる。
ハイキューの初演を見てから、再演までの間。そのことに、気づくタイミングがあった。
疑いようのないコースまっしぐら、けれどこのまま生きていったら、今じゃないかもしれないけれど、いつか間違いなくわたしは踏み外す。今よりもっと、取り返しのつかないタイミングで。
そう直感して、まっすぐ突き進んでいきそうな道を、自分で止めた。少し待って、と思いっきりサイドブレーキを引き、脇にそれた。
「不良」なことをした、人生ではじめての瞬間だった。
そうして得た、尊くも短い空白の時間の最初にしたことが、ハイキューの再演を観に行くことだった。
もちろん県外。遠征。舞台を一公演見るためだけに、遠く離れた地まで日帰りで行く。
緊張しながら、チケットをとった。確か、一般発売で頑張ったんだと思う。サイド。
表記は一列目じゃなかったけれど、行ってみたら、目の前に舞台があった。ぎょっとした。
目の前で、半年前衝撃を受けて憧れてなんやかんやあって行くことになった作品が、繰り広げられている。
その時、休憩中に隣の人とした会話を、今も覚えている。
エアーサロンパスの匂いがしますね
肉まんの匂いもしますよ
えっそこまでしますか!?
カーテンコールでは、及川さん役のあすまさんがジャンプサーブを見せてくれた。とんでもないジャンプ力だった。
帰りに寄った物販で、信じられないぐらい大量のものを買い、持って帰るのに困ってカバンも買った。サントラが出ているのが嬉しすぎた。
自分のために、ものを買うことを覚えた瞬間だった。
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ハイキューは自分にとって、「生き方」を教えてくれた作品だった。
それは作品の中のメッセージとか、実際にこれが教訓になっている、とかではなくて(もちろんそういう部分もあるけれど)、この作品を好きでいることを通して、あまりにも多すぎる、生きるきっかけをもらった。
したいことをしていいんだと知った。
店員さんと話すのが苦手だった。なぜか店員さんにさえ、「嫌われてはいけない、迷惑をかけてはならない」あるいは「好かれなければならない」と思うほどの過剰な自意識のもとで、お店に行くのが苦痛だった。
自分のためのものを買うのが苦手だったし、買わずにお試しだけ、なんて恐れ多くてできなかった。
外食が苦手だった。食が細いゆえに、貧血を起こして倒れ、倒れることに怯えて緊張し、気分が悪くなり、食事がとれない。その悪循環だった。
食べたいものより「食べられる」ものが最優先で、食べたいものを求めてお店を調べて探す、なんてことはしたことがなかった。
1人でただただ散歩するなんて、人の目も気になるし、できなかった。
自分の求めていたものじゃなかったとしても、迷惑をかける方が怖くて、笑ってごまかしてしまうことの方が圧倒的に多かった。
泣きたくても泣くことができないのがずっと、正しい人間じゃないみたいで嫌で、呪いのように自分を縛り付けていた。
人が怖かったし人の目が怖かった。自分のしたいことを言うのが怖かった。誰かに迷惑をかけるのが怖かった、友人の前ではいい子でいたかった。
今は。
できればひととしゃべりたいし構ってほしいって言いたいし、自分のためのご褒美リストは毎日更新されていくし、ご飯はおなかいっぱい好きなものを食べたい。
人は意外と自分を見ていないし、見ていたとしてもさほど気にしていないからどうでもいい。
ハイキューを観ていると、するすると涙が出てくるから、泣けないなんて言ってられない。心が動く、というのはコントロールできない。同じ位置にある、心臓と一緒。
自分のしたいことを、ほしいものを手に入れていいのだ。
迷惑をかけなければ、人は誰も自分を咎めたりはしない。けれどその「迷惑」は、きっとかつてわたしが思っていたものとは違う。
怯えて守ることと、気を引き締めて戦うこととは、まったくの別物だ。
そういう、たくさんのお守りをもらった。
人は1人だけれど、それでもちゃんと生きていくための、大事なお守りや楔ををたくさんもらった。
ハイキューじゃなくたって、どこかで出会う何かにもらえたのかもしれない。
でもわたしは演劇ハイキューだったし、自分がいま幸せに、「生きていくのは意外と簡単だけど、死なないでいることにはけっこう骨が折れる」ことを知りつつも、上を向いて生きていけるのは、演劇ハイキューを好きでいることで出会った、たくさんのきっかけとお守りたちのおかげだ。
外に出る。友人に会う。おいしいものを食べる。写真を撮る。好きなものを買う。
何度でも言う。生きていくのは意外と簡単だけど、死なないでいることにはけっこう骨が折れる。
だから、死なないでいる方法を、一つでも多く知っているのは強い。
研磨のこの言葉が好きだ。
『おれ達が負けたところで、勝ったところで、誰も死なないし、生き返らないし、悪は栄えないし、世界は滅びない。壮大な世界を駆け巡るでもなく、ただ9×18mの四角の中で、ボールを落とさない事に必死になるだけ』
世界の死なんて劇的にはやって来ない。だからこそ、死なないでいることは難しい。
そして、ボールを落とさないことに必死になることだけでも、そのことに心が動かされることでも、生きていく最強のパワーになる。
どんなに辛くても苦しくても悔しくても、最後には上を向くんだ。
明日には、違う何者かになれるかもしれない。
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そんな大事な作品に、その終わりというものに、今はどう向き合えばいいか、まだわからない。
お疲れ様を言えば、本当に終わってしまう気がして、逃避じゃなくて、願いとして、まだ終わってほしくないと思う。
伝えられていないありがとうがある。観客のわたしたちは、それを拍手で、表情で、目で伝えることしかできない。できないというよりは、それが一番、伝えられる方法だと思っている。
まだ伝えたい。ちゃんとありがとうを言いたい。
わたしの最高の「魔法の女の子」と出会わせてくれてありがとう、楽しいことをたくさん教えてくれて、縮こまらない生き方を教えてくれて、元気にしてくれて、ありがとう。
この世界で、死なないでいるための方法をたくさん教えてくれてありがとう。
だから今は、全力で願いながら、一体どれだけのありがとうがあるのか、自分にとって、演劇ハイキューがどんな存在だったのか――こうやって、自由に言葉もつづりながら、考えていきたいなあって思う。
演劇ハイキュー、大好きです。本当に本当に、たくさんのものをくれて、ありがとう!