病理と唯物論

コロナに引き続いて、腰をやられてしまい、また、何もできなくなってしまった。
特に考えたことはないが、思うことはあった。
病気の間、私はもののようだ、と思った。
それは自他ともにそうだ。

自分の体がモノになる。これは体が思うようにいかない、気の利かない道具になる。意識体と体に距離が生まれる。今現在でもそうだ。腰の痛みや、その痛みの弊害でキーボードを打つことが苦痛だ。

他人ももはやモノのように私の体を扱い始める。意識が置いていかれている。面倒をかけているので、その言うことを聞かないわけにはいかない。精神が、それを拒否できない、モノの世界で生きているようだった。荷物が運ばれて行く様が自分の体と重なる。

とそれから考えてみたときに、唯物論との私との距離を理解できる。
どうしても精神が、私をモノとすることの拒絶を考える。シモーヌヴェイユの言う重力が私をこの部屋に縛り付けている。

あと何日仕事を休まねばならないのか。私は精神的に疲れている、といま言える。

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