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[番外編]角力灘の向こうで感じた外海


福江島で発見

今週水曜から金曜まで、五島列島の福江島に出張していました。
外海からは条件が合うと角力灘の向こうに、かすかに島影が見えます。地図で見るよりも実際は遠く、長崎県本土からの距離は約100キロ。
長崎港から福江島までは時速約80キロのジェットフォイルで1時間半ほどかかります。
 

水平線の向こうにかすかに見えるのがたぶん五島列島

 
宿泊したホテル周辺や福江港までの道すがら、立派な石垣が目に付きました。外海だと薄い石を積み上げた塀や壁ですが、福江島のは石垣と呼びたくなります。
 

細い路地にあったごく普通のお宅

 
しかも最上段には小さな石がまかれていて、さらに入口のところには半円の石が置かれていました。これは外海では見かけないものです。

ブックエンドのようで気になる、半円の石
かまぼこのような「脇石」

江戸時代を伝える石垣

福江島には、日本で最後に築城された石田城があります。黒船来航に備えてつくられたものの、9年後には明治政府により解体。石垣と裏門など、いくつかが残っているだけだそう。
ちなみに現在、本丸跡は長崎県立五島高校となっていて、高校生が城門を通る姿が見られます。
 

築城時、防波堤兼灯台だった「常灯鼻

 
この石田城の近くに、中級武士たちの屋敷が並んでいたといわれる「武家屋敷通り」があります。
屋敷に忍び込もうとしたときに落ちて音を立て、侵入を知らせる「こぼれ石」を乗せた、見事な石垣が立ち並んでいるのだそう。(参考サイト:長崎市文化観光課「五島の島たび」
 

少し離れたところで見かけた石積み
石積みの上にちらばっていた「こぼれ石」的なもの?

 
私が宿泊したホテルは「武家屋敷通り」から近かったので、通り道にあった石垣も武家屋敷の名残だったのかもしれません。
外海と同じく、今では特別なものというより、日常のごく当たり前な存在のように見えました。
 

門構えがあるのが武家屋敷の名残りか

外海と五島列島

外海の石積みと福江島の石垣、似ているけれど異なるもの。石を積み上げているけれど、石の種類は同じではなく、形も全く違う。でも、どこかつながりを感じます。
 

細い路地の中にこんな立派な石垣がある

 
外海のお土産の定番である「かんころ餅」は、五島でも人気のお土産です。
「かんころ」とはサツマイモのこと。薄切りにしたサツマイモを天日干しにし、蒸したもち米とともについてナマコ型に整えます。
江戸時代に迫害を受け、五島へと渡った外海のキリシタンが伝えたといわれています。(参考サイト:農林水産省「うちの郷土料理」
 

近いうちに「かんころ餅」の食べ比べをしてみたい

 
外海は弾圧の厳しい大村藩の領地でしたが、中には取り締まりの緩い佐賀藩の飛び地があり、キリシタンが隠れ住んだといわれています。
その後、開拓民として外海から五島へと渡ったキリシタンによって、文化が運ばれたのだそうです。(参考サイト:長崎市

はっきりとした「つながり」ではないものの、遠い海の向こうで外海を感じたのは意外でした。もっと外海を知ってから、もっと五島を深堀りしたら、もっと何かが見えるのかもしれない。
一周回って外海にたどり着くような経験を、ほかの地でもしてみたいと思いました。
 

江戸時代に100キロ渡るのはどれほど大変だったことだろう

  

  

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