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「 祈りは通ずる 」

とは、
どういう事かと言えば。
 
 
魂が神霊の内流(神さまからのメッセージ)を受け、
邪気(悪い作用)がはらわれ、
一霊四魂(生きるための力)に
神気充実して(魂に力が充電される)
活機りんりんたる(楽しく、嬉しく、やる気に満ちる)状態によみがえること。
 
 
電源を入れなければ、道具は動かない事でわかるように
祈りは、電源にコードをつなぐ作用なのです。
 
 
神は無限の電力をたたえた電源であり、
祈りのコードを通じて、やがて、ゆたかに充電される。
 
 
充電されていてこそ、灯りをつけたり、ものを動かすことができる。
 
 
魂に神気充実してこそ、人は人たる働きを現すことができる。
神気に満たされた魂の前には、恐るべき事は何もない。
 
 
いかなる問題にも、善処する力がわいてくる。
 
 
祈りの理は、周波数を合わせることによって感じ、
それが形になってあらわれる。
 
 
神霊の霊波は、宇宙に満ちている。
 
 
至誠をもって、神を念ずるとき、心のダイヤルが合わされてスイッチが入り
神霊に感応し、人の口に神の言葉が語られて
人の行いに、神の姿が現ずる。
 
 
祈りが、届き表れて、作用されるのは、
祈る人だけに、変化があらわれるのではなく。
 
 
その人や、親しい方に迫っている、よくない出来事を
大難を小難に、小難を無難にかえてくださることも
たくさんある。
 
 
奇跡的なことが起こった!っと言われるような事は、
そうした神霊に、感応した時に起こる。
 
 
広大無辺な神のみ力の前には
人は奇蹟という出来事も、大したことではないっと
いわれています。
 
 
霊界の精霊(エンジェル)が、
物理現象を現すことについても(ピーターパンのような事)
「至誠天に通ず」と昔からいわれている。
 
 
ただ、天に通ずるほどの、至誠の祈りが
そうたやすく、だれにでも出来ないだけ。
 
 
だから、祈りの力がたやすく発揮できるように
誠に至るところまで、自分を見つめて見つめて
とらわれる気持ちに向き合って、
そのフィルターをどんどん取り除いて、
ざわつく心を落ち着かせていく。
 
 
人の生きていく力が、とても大事になってきます。
 
 
そういう精神修行(人として生きる道)は、
厳しく、辛く、切ない、道。
 
 
それでは、あまりにも切なすぎるので
神さまは、本能の欲求を用意してくださっている。
 
 
のどが渇くという事には、水。
食欲には、食物。
パートナーが欲しいという思いには、共に歩める人が存在する。
 
 
経済システムの中で、お金を稼いでいるから、当然の結果だと
思うけれど、大宇宙からみると
用意して、与えて頂いている訳であることは、
ちょっと目線を変えてみると、わかりやすいかもしれません。
 
 
祈るという心は、人の本能であり、神から与えられた生粋の心
神の心そのものである。
 
 
霊の入れ物である人は、どんどん変化し、
守ってくれる守護神、エンジェルもどんどん変わる。
 
 
その時々、働きも変わり
それ相応に、用意されているものも変わる。
 
 
「はじめから用意して頂いていた」という方がいいのかもしれません。
 
 
そうではなく、破壊ばかりが起こるというのは
執着や、囚われ、あきらめ、依存から
起こる現象のようにも思えます。
 
 
危ないよ!
もしくは、自分で道を外れているよ!という、
メッセージなのでしょう。
 
 
だから、祈りをもって
勇気ある方向転換が必要なように思います。
それは、より良くなるための決断です。
 
 
今の、社会状況になったこの時こそ
決断しやすい。
神さまは、考えて変化させていくことを
なんとも緩やかな機会を与えて頂いているように思う日々です。
 
 
「まことで頼めば、三言でお陰をやるぞよ」
神さまは、こういう言葉を書いてくださっています。
 
 
祈りというのは、特定の宗教に属しなさいということではなく
信仰とは、人の道です。
 
 
得心する方法で、祝詞をあげたり、念仏を唱えたり
することで、
禍事が取り払われていく。
 
 
ただひたすらに祈りに祈る。
 
 
「 神の前に祈る心は 神なりにけり 」

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