内分・外分
昨日、ある対談を見ていて。
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問題児といわれ続けて、心に傷ができて苦しかった。高校のときに、ここが嫌なら違う場所に行こう!とコミュニティを変えた。そしたら、自分は問題児でもなんでもなく、どんどん道は開け、嫌だった英語も理解でき勉強に勤しめた。大学はアメリカへ。留学して又、あっさり日本へ帰ってきた。コミュニティの変更、協調性が大事と思う。
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最近良く思うのですが、若くしてサッサと気づいて修正をかけている人が、多いなって思うのです。うちの孫なんて三歳とか四歳にして、もう別の人種か❓って思う。
人には、外面性と内面性を持ち合わせている。
内面性ー内分
霊魂そのものの志すところ。霊魂そのものの想うところ。意思想念。
真実の心。偽りのない本心。
外面性ー外分
表面の心。本心を装いかくす心。環境に影響をうけた肉体的感覚。
記憶・知識。知識をもとにした言動、所作。
この外分・内分合わせて一人の人なのです。
だから、本質的にわたしは、嫌いな人はいないんです。
でも、外分的にどうしても、駄目だ❗って思う人はいます。
社会の中においても、自分が感じるところで「ここは、気持ちいい❗」とか
「ここは、苦しい❗」とか、「嫌がられている」とか、絶対あるはずです。
合わぬコミュニティですね。
内分・外分を、一致させるようにしておれば気がつくけれど、それに欠くと、社交術のために気の合わぬ人と仲間になるために、心にもないことを話したり、趣味を習うような事をしたりする。
最近の自粛で、公園でママ友デビューもしなくて良くなって、気持ちが楽になった❗という話も聞きます。
会社でタバコを吸いに行ったら、サボってる❗と告げ口されて行けない❓❓
なんか、人として何が正しくて何がいけないのかわからない状態。
どれだけ我慢しないといけない社会だったのか❗って思います。
この大騒ぎの結果。
世界規模で、嫌なことは「ヤ〜〜メタ❗」って言える。
自分のやりたいことを成就しようと思えば、必然的にやりたくないことや、めんどくさい事をしないといけないことは、当然あります。
せめて、自分の「内分・外分の一致」することを考えてみたら、
嫌なこと、好きなこと、楽しいこと、全く受け付けないことがわかるかもしれません。