それってあなたの感想ですよね。
僕はヴァイオリニストの方々の素晴らしい演奏をリアクションするというYouTubeをやってるんだけど、
(是非ご覧ください!!→ https://youtube.com/@ViOLiNSTUDe?si=bfCYB08TNexfqHmh)
一本めに出したこちらの動画 https://youtu.be/EwHmWqk0x4Q?si=ASyaD8avQsoU1kF5
と、
こちらの動画 https://www.youtube.com/watch?v=ZilejYlTSms&t=54s
に寄せられたコメントを読んで、思ったことがあるので書いてみる。
かなりの量の
「Himariさんの方が村田夏帆さんより優れている」、「Himariさんの演奏が一番良い」、「コンクールでも結果は出ている」
と言った趣旨のコメントが見受けられる。
推しのことを唯一絶対としたい気持ちもわかるし、事実、Himariさんの演奏は凄まじく完璧だし本当に感動する。
だが、このコメントに関しては何か引っ掛かる。ちょっと自分なりにそれぞれのコメントについて考えてみる。
①「Himariさんの方が村田夏帆さんより優れている」
このようなコメントが本当に多い。年代も近いし、同じコンクールの動画が話題になったこともあり、どっちが優れているかが話題になるのはわからなくもない。クラシック音楽の歴史を見てもどっちが優れているか競うみたいなのは何度も行われてきたし、まあ人間の一つの現れとしてあるよねとは思う。
ただ、マジで、
それってあなたの感想ですよね。
これ以上でも以下でもない。
②「Himariさんの演奏が一番良い」
これに関しても
それってあなたの感想ですよね。
この人の演奏は刺さる、この人の演奏は刺さらない。これは本当に人それぞれ。それ以外何物でもない。Himariさんの演奏しか勝たんと結論づける前に、この世にたくさんいらっしゃる素晴らしいヴァイオリニストの方々の演奏をちゃんと聴いたことがあるか、何人くらい聴いたことがあるか、考えていただきたい。ちなみにこれは、クラシック音楽が好きだというなら色んなヴァイオリニストの演奏たくさん聴きなさいとかそういう話ではない。
自分にとってどうであるか
と
その人がどうであるか
は別にして考える
のが豊かな営みなのではないだろうか。
③「コンクールでも結果が出ている」
音楽など文化芸術には優劣がつけられない。これは普通に理解できるな。という前提がありながら、それでも、出場者を評価し順位を決めるコンクールが存在し続ける意義とは何なのだろうか。
何かを専門とする者全体の技術や理解の底上げ
なのではないだろうか。
音楽コンクールで言えば、
審査される演奏家はもちろんだがそれを審査する演奏家にも楽譜の解釈や演奏技法に関する最新の知識が求められる。
少なくとも僕が尊敬する先生方はずーっと最新の技法や解釈について研究していた。
それでも、人が人をジャッジする以上、自分の好みが入ってしまうのは当たり前だし、
この人はこの先生の生徒だからとか
この人は既にキャリアがあるからという
バイアス
はどうしても審査に影響してくる。
だが、かと言って人が人を審査する以外に方法はない。
人が審査すると不正や偏りがでてくるからと、審査基準を明確にしたりそれこそAIが審査をするとして
それが本当に豊かな文化を生むだろうか?
誰も予想できないこと。驚き、ワクワク、ドキドキ…
そういった人類の、可能性を、不確定で素敵な未来を育てるのが、コンクールの意義なのではないだろうか。
長くなってしまったが要するに、コンクールの結果は
人が関わり、人によってごく稀に起きるムーブメントを起こしたいのであれば、
絶対の価値基準であってはならないのだ。
こういうところからどんどん社会全体が貧しくなり、文化もつまらなくなる。
もしそういう社会を本当にあなたが望むならどうぞご勝手に。
あとさ、単純にさ、大人が寄ってたかって12かそこらの子供をどっちが下手とか上手いとかさ、まじないわ。とも思うよね。普通に。
※一本めだったので慣れておらず、内容が今と比べるとかなり薄いという自覚はありますので、また新しいHimariさんの演奏リアクション動画を撮るつもりです。
是非、楽しみにお待ちいただければ幸いです!
ViOLiNSTUDe 篠崎爽太郎