ショートショート『花の通訳者』(喫茶のふしぎ)
喧嘩中の妻に花でも買って帰ろうかと、駅前の商店街を歩いている。
だが花屋の手前で立ち止まった。花屋の看板にはこう書かれていたのだ。
『通訳者おります』
意味がわからず立ち尽くしていると、店内から声をかけられる。
「よかったら、中へどうぞ」
たしか前回ここへ来たのは1年ほど前だったか。
見たことのある女性。というより他の店員を見たことない。
彼女が通訳者なのか。
店に入ったが特に接客される様子もなかった。
私はひとまず花を見て回る。ダリア、菊、コスモスなど綺麗な花が並んでいる。だがそこで一つ、他の花屋と異なる点に気がつく。
「なんだかケースが多くないですか?」
普通の花屋は一つのガラスケースの中にいくつもの花が保管されている。
だがこの店では1種類の花につき、一つのケースを使用していた。
なんだか贅沢な使い方だ。
「そうなんですよ。通訳者の希望なんで」
店長はにこりと笑った。
そうそう、私が知りたかったのはそのことだ。
「すいません、通訳者っていうのは」
質問の途中で大きな足音が聞こえた。
地響きが起こりそうなほど迫力。
もうだいぶ涼しくなってきたというの汗びっしょりの青年が現れた。
いや、そんなことよりも体格だ。
大きさだけなら力士に引けを取らない。
しっかりと不健康に太っていた。
「休憩ありがとうございました……あ、お客さんですか、いらっしゃいませ」
「彼が通訳者です」
丁寧にお辞儀をしているが身体はとても硬く、後ろからちょこんと押されたら、そのまま前に転がってしまいそうだ。
身体を起こすと胸元のネームプレートには「花井」と書かれている。
「あなたが通訳者なんですか?」
ついつい疑ってしまい、たった今言われた紹介の言葉でそのまま質問してしまった。
彼は「はあ」とか「まあ」とかはっきりしない返事をボソボソと呟く。
こちらが困っているとタイミングよくお客さんが入ってきた。
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