操体法は進化する未完の器
操体・操体法とは私が長い年月学び、現在も実践し続けている生き方であり、妙療法と言われる徒手療法です。
操体法は未完です。橋本敬三という医師によって、この世に誕生したが体系付けられていない。この事はメリットとでもあるしデメリットでもある。
先にデメリットを 汗 体系付けられていない分進化が多角的だが、それ故に本来の操体法が伝わっていないことがある。。。ことです。
メリットとしては!!!
理論も徒手も進化し続けることができるという点。そして未完だからこそ、大きな器になりうること。現に私にとって、生きる上での器であり、セラピストとしての器にもなっています。
操体法は、人の構造の歪みに焦点を当てた時代的には弱くなりつつある理論psbモデルでありながら、近代科学にも基づくとも言える考え方を持っています。
その一つが、息食動想(環)です。生かされているという考えのもとに、相関性のある説明モデルです。この考えは近代科学のバイオサイコソーシャルとも繋がるのです。
そしてもう一つに感覚を重視しているという事。
歪みを正すことで症状疾患が治るとされていながらも。。。歪み自体を外的な力で矯正しようとはしていないのが操体法。感覚(快適感覚)の聞き分けが最も大切、これこそが近代科学に基くもの。
感覚の聞きわけとはつまり脳を含めた神経系に対するアプローチと考えられる。
あくまで治すのは受け手自身である。
それを可能とするのが感覚の聞き分けであり快適感覚なのです。
セラピスト側がすべき事は治療ではなく、受けての身体に自力自療スイッチを入れること。
感覚への問いかけを、ペインサイエンスから考察すると 脳への問いかけとなります。問いかける手法として操体法に備わっているのが皮膚を介したアプローチです。
皮膚には末梢神経である皮神経があり、その皮神経は多くの感覚受容器がある事を考えると、触れる事はそれだけで脳への問いかけとなる。
ここからは仮説としてですが
神経を考えた時、皮神経は脳への問いかけになります。では動かして歪みを確認しアプローチする事は無駄なのか??
私はそのようには思っていない。
構造的歪み=痛みではないということがわかってきています。しかしながら多くの構造・組織にアプローチするという前提の徒手で痛みが消失したり緩和したりします。そこには「なるほどそういうことか」という理由がありますが、それはまた機会があれば 笑
動かしてみた時の構造的歪みを脳からの指令を伝える神経伝達の乱れ(不具合)ととらえれば、連動における確認は、視覚的に神経系の命令系統の確認方法にもなるかもしれない。
これは私が考える仮説ではありますが、可能性を感じています。
このように操体法は未完です。
だからこそ大きな可能性もあり今後も多くの人に知ってもらい、広まり、活用されるべきものなのです。
本日もお読み頂きありがとうございました。
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