私を構成するマンガ「こんにちはマイコン」で育ったマイコン少年:幼少期の時代
私を構成するマンガの4冊目行きます。このマンガがなければマイコンやアマチュア無線や*パソコン通信(もはや死語です!?)などといった分野の趣味に走らなかったでしょう。
*パソコン通信。ワープロ・パソコンをアナログの音声モデムをRS-232C端子でつないで行うもの。NIFTY-Serveが熱かった時代の話です。
(情報家電についてパソコンスマホについて調べるのはもはや趣味です。)
自分を構成するマンガとして強烈に影響したマンガだと思います。
プログラム言語のひとつBASICをわかりやすく解説した本書をきっかけに、コンピューターやゲームの世界に足を踏み入れた人も多く、「日本のIT業界の礎を築いた漫画」とも言われている。WindowsをはじめとしたOSがインストールされたPCが主流の現在こそ読み直したい。
(こんにちはマイコンの(1):eBook Japanのサイト内宣伝文より)
BASIC言語に慣れ親しむ良い機会に。
小学生当時パソコンとは呼ばずマイコンと呼ばれた時代でした。
そうたいの幼少期といえば、すがやみつる先生のマンガで育った理科系男子でもありました。
父親がマイコンフェアという催し物に連れて行ってもらい当時のインベーダーゲームが家でできることにひたすらびっくりしたんです。
大興奮しておりました。父母にマイコンをねだります。もちろんなかなか買ってくれませんでした。
(自分のお金で買えたのは大学に入ってからです。Windows3.1の頃から)
さらに当時話題になった「ゲームセンターあらし」なるマンガを小学館のコロコロコミックにて読んでおりました。
ウルトラ高価だったPC98を当時、プログラムが組めたら買ってあげるとまで父母から期待されていました。
しかし、家計簿ソフトひとつ作るにも莫大な勉強がさらに追加で必要だったとは後で気づきます。
友人から借りたマンガ「こんにちはマイコン」に夢中になりました
このマンガはPC-6001に対応したものでした。その後MSXというパソコン(マイコン)にも合わせて引き継がれて改訂版が出されてますね。
「こんにちはマイコン」(1) (小学館ワンダーライフコミックス1)
付録:マイコンキーボード実感ポスターでPC-6001のキーボードの写真の様子がでます。
1982年11月1日初版、「こんにちはマイコン」(2)がその翌年に世に出ます。付録:プログラムばっちりプレートで演算のフロチャートが引けます。
1981年に発売されたPC-6001はあぁ当時の定価8万9800円だったそうです。
1985年はつくば科学万博当時のNECや富士通のパビリオンは人気が高かったですね。ICの基盤のチップがガラスの中で埋め込まれたキーホルダーをそうたいは買っておりました。
モニタは専用のもので買える人は買っています。
家庭用マイコンはテレビのモニタをRF出力端子でつないでおりました。
当時はビデオデッキのS端子すら怪しい時代でした。
当時はカセットテープ全盛時代。
プログラムを打ち込み、カセットテープに録音して記録します。
セーブ(保存)、ロード(再生)、ベリファイ(確認)の3つが基本でした。
今でこそアップロードやダウンロードという用語は慣れ親しむ機会も多いです。
しかし、この1980年代はそうたいにとってネットなんてものはありませんでした。
フロッピーディスクは高値の花でした。今の若い世代にフロッピーディスクと言って通じる自信ありません。
CD-ROM/CD-Rにも対応せずに。この当時ありませんでした。
MOがMB単位で記録します。この当時ありませんでした。
今現在USBメモリも手軽に利用が可能です。この当時そのような端子はありませんでした。
ネットは電話回線がアナログなためにモデムが必要でした。
LANカードでなくモデムだけ外付け必須で高かったと記憶しています。
2400bpsだったと記憶しています。今は1Gbpsの時代です。
パソコンだけでなくアマチュア無線もすがやみつる先生
そうたいはアマチュア無線の免許対策でもすがやみつる先生のマンガのお世話になってました。
多々振り返ると懐かしいですね。しかし回想してばかりもいられません。
この頃のワクワクしながら取り組んだ気持ちを忘れないようにしたいと思います。
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