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“How” rather than “what”

本当に少しずつですが、過去の2敗に比べてみると格段に理解は深まっています。

最近はiPhoneで使えるProcessingのアプリで通勤途中の電車の中でおさらいをしてます。通勤途中にできたのが上記のスケッチです。

おお。。。。なんかそれっぽい。。。

超初心者からするとレベルが上がったと感じる瞬間です。
でも実際にやりたいこととは違いました。本当はellipseを繰り返しで描いたもの、その一つ一つが3D空間で回転するものが当初のイメージでした。結果は違えど、なんとなくいいものができたので、このスケッチはこのままにしてあります。

『何を』作るか、ではなく『どう』作るか

今回は、Processingをやりながら気がついたこと、について書こうと思います。

学生時代にはいろんな美術の授業を受けました。コンセプトや歴史、技術、マネージメントetc...
その中でも印象に残っているのが今回のタイトルである
How rather than what

これは先生がそう言ったのではなく私の意訳です。(当時は英語力がだいぶ乏しかったので、その先生が本当にそう言っていたかは怪しい。。。。私はそう理解しました!という話で聞いていただければ。)

授業は毎回違う学科の生徒が自分の作品についてプレゼンテーションをするものでした。プレゼンの前にその先生が『何を作ったのではなく、どうやって作ったかを言え』と言っていました。その先生の考えは、

アーティストはコンセプトに基づいて表現方法を選択する。それは作品を『どうやって作るか』のステップと選択の中に織り込まれる。だから大事なものはそのステップの中にある

もっと具体的に言うと、『駆ける馬を表現しました』ではなく、それを表現するために『丁寧にゆっくり描くのではなく、インクをつけた筆を力任せにキャンバスに叩きつけた』を説明してくれ。と言うわけです。そこにはもちろん技法だけでなく素材の選択など無数のもの関係してきます。私はこの内容にかなり納得したのを覚えています。

選択の履歴=コンセプトの表現

なぜこんなことを思い出したかというとProcessingにおいてはその選択の履歴が明確に残るからです。出来上がったものは有機的で感覚的なものになるんですが、コードを見るとそれを作るまでの選択、準備、考えが丸々わかります。

たくさんの作者が作ったスケッチが膨大にネットには転がっているわけですが、そのコードを見るとその作者がどのような手順と方法で作ったかがわかります。

上述の話だと、ここにコンセプトが練りこまれているわけで、作品を理解するに足りる情報が盛り込まれていると言うことになります。

そんなことを思い出し、それから少しコードを見る視点が変わりました。
難しい式の羅列だと思っていたものが、自分の表現を可能にするもの、という理解が加わりました。(難しさは変わっていないんですけど。。。。)

Sketch → Artwork

その意味でいうと、まだ私のコードは表現したいものを表現し切れておらず制御できていません。『なんかつくったら動きました!』のレベルなので、それは『ペンで紙をなぞったら線がかけました!』と同様です。(スケッチですからそれは当然です。)
同じ線だとしても、そこに考えがあり、制御されていればそれは作品、アートワークになり得ます。

今後の目標は小さいものでも作品を作ること!にします。
ひとまずは冒頭の本当にやりたかったことを目指そうと思います。


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