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秦 - キングダム前史

最近、時間を見つけては歴史を勉強している。過去の戦いの歴史から相似形を見いたしてビジネスに応用できることが多くあって楽しい。また、会社のカルチャーを作る時に東洋思想と西洋思想を組み合わせて今年中にちゃんと言語化しようと思っている。そのために、いろいろな思想を学び応用したいと思っている。

かつてウィンストン・チャーチルは「過去を遠くまで振り返るほど未来を遠くまで見渡せる」と語った。つまり未来を見渡すためには、まず過去を振り返らなければならない。

カール・B・フレイ. テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス (Japanese Edition) (p. 8). 日経BP. Kindle Edition.

今回は春秋戦国時代を調べてたのでアウトプットがてらにブログを書こうと思う。諸子百家が生まれたのもこの時代で戦いの歴史と思想の歴史が濃いのもこの時代である。漫画のキングダムだと戦国時代で始皇帝がすでに生まれている時代から始まっているので秦はすでに超大国の1つである。でも、スタートアップ的に勉強になるのは秦が弱小国の1つである時代になにをしたかだと思う。色々と調べているうちに、始皇帝の嬴政ももちろんすごいのだけど、そこまでの秦を作り上げてバトンを渡してきた人たちの戦略が参考になった。

商鞅変法

キングダム

漫画のキングダムでは秦の後の始皇帝である嬴政が「法治国家」よる統一をビジョンに掲げており、嬴政がこのビジョンを作り出したように模写されている。秦の歴史を勉強し直して分かったのは、この法治国家ビジョンは嬴政の時代の100年前くらいに秦の孝公の時代に仕えた商鞅(キングダムにも名前だけ出てくる。)が紀元前359年に実施した商鞅変法が大きな影響力を持っているということだ。

商鞅は紀元前390年頃 - 紀元前338年に生きた法家で戦国時代の中期に活躍した秦の政治家である。元々戦国時代では儒教に見えるように礼を重んじる文化が前提であったが、秦はここから法を最重視し国家のOSを変えていく。「戦争が日常化している時代で生きるか死ぬかの戦いをしている時に礼とか言っている場合じゃないよね。バチバチの中央集権で法で統治して富国強兵しよう」としたのだと思う。長期で見ると、法家から韓非子や李斯が生まれて秦は始皇帝の時代で中華統一したが結局、秦の時代も長く続かず漢の時代で儒教的な側面が再度評価されたのは面白い。

商鞅が断行した政策としては法制改革。法家の思想に基づき、厳格な法を制定し、貴族の特権が削減され、法律の前では全ての人が平等であるという原則が確立されている。経済改革としては農業振興と軍事力の強化、社会改革としては戸籍制度の整備や中央集権化を強化している。

秦の戦略

礼から法へのOSの変化とともに、もう1点面白いと思ったのは秦が東ではなく西から攻めているということだ。

http://chugokugo-script.net/rekishi/shunjuu-sengoku.html
http://chugokugo-script.net/rekishi/shunjuu-sengoku.html

西を攻めることで、安定した後方基地、人員や豊富な資源などを手に入れている。秦の東側には戦国七雄の他の6国がいる中で、最初から東に進出するのではなく、6国とはライバル関係にない西から攻めて国力を増大しているのが参考になる。

インサイト

「OS」の変化をうまく捉えなければならないという点では、以前記事化したInternet ExplorerがChromeに負けた時に、スマホシフトとアンドロイドをGoogleが持っていたことが大きいのと相似の形が見られたりするのが面白いし、歴史から戦略を学べることが多いと思う。

また、国家として戦時の統治と平時の統治は異なるということも重要だと思う。平時には王道の「仁」「義」「礼」「智」これは性善説や儒教で重んじられている。戦時には法家のように覇道である「法」「術」「勢」を中心に統治をするのが良いのではないかと思う。これらは一種異なる概念なので、この2つを時勢に応じて行き来できるの組織が強いのではないかと思う。

3つ目は、マーケットを変える。ということだ。秦のように当時の大国に直接最初から勝負をしかけるのではなく、その時に最適なOSを選択し、富国強兵と共に、過激するマーケットではなくブルーオーシャンの部分から平定する。ナラティブを変え、十分に戦力を強化した後に、他の6国を滅ぼしにいくというのは戦略として真似できると思った。

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