「仕事をする」とはどういうことなのか
一般的には、財に何らかの価値を付与する行為を「仕事」と呼ぶ。多くの企業では価値連鎖(バリューチェーン)を通じて、各工程でどのような付加価値を財に付与するのかを整理している。例えば、ソフトウェアプロダクトのバリューチェーンは、要件定義、開発、リリース、保守運用、といったものが一般的で、それぞれの工程で独自の付加価値を与えることで、最終的な財を生産する。
伝統的な製造業とは異なり、ソフトウェアプロダクトは無形商材を取り扱う。ゆえに、加工対象となっているのは多くの場合モノではなく情報である。だから、IT産業における「仕事」は、多くの場合、価値を付加する形式で、財としての情報を収集・加工・発信することに集約される。そして以下では、ITにおける「仕事」、つまり、情報の収集、加工、発信の工程を、「仕事」として語っていく。
情報氾濫、アテンション過多の時代。僕たちは「仕事」的なものの海に溺れている。何を為すべきかを判断しようとするだけで無為に1日が終わり、また始まり、そして季節が巡って元通りになり、老いさらばえていくばかりだ。人が見聞きできる情報の量が爆発的に増え、あらゆる職場で人々が「無量空処」状態に陥っている。何を、どこから手をつければ良いのか、果たして、そもそも自分の役割とはなんなのか。バリューチェーンの境界は融解し、情報の洪水の中で僕たちのやるべきことはいつも曖昧模糊になっている。
だからこそ、僕たちは「仕事」の原理に立ち返り、何をやるべきかについて考えていこう。もう一度述べておくと、「仕事」はバリューチェーンの中程で情報の収集、加工、発信による付加価値の生産を行う作業である。つまりこうだ。あなたがそのプロセスに介在することで付加できる情報への価値が、プロセスに介在するコストを超えていないのであれば、その「仕事」は全てやめるべきだと考えて良い。
例えばあなたがマネージャーであれば、様々な情報があなたをハブとして通過していくことになる。人事、プロダクト、予算、その他諸々のなんらかの承認、揉め事、などなど。問題はそれぞれの情報に対してあなたが付加している情報の総量である。入ってきた情報をそのまま上下横流ししているだけなのであれば、それは情報の含む価値総量を変えないため「仕事」ではない。むしろ、それは単にあなたがボトルネックと単一障害点を作り出しているだけだ。
重要なのは、あなたがそのプロセスにおいて、どんな価値を情報に対して付加することができるかである。全社の人事から下達された情報であれば、各チーム向けに、ローカルなコンテクストにテイラーメイドされた情報を伝えることが求められているだろう。これは、「ローカライズ」という付加価値だ。予算はもっとわかりやすい。全社予算と部室予算の配賦を受けて、これをどのような戦略予算として各エピックに配置していくかを決めて現場に下す。これは、「部室単位での大方針を示す」という付加価値だ。このように、自分のプロセスにおける役割や使命をいちいちメタ的に考えることが、あなたがなすべき「仕事」を見極める第一歩になる。
次に考えるべきなのは、あなたがそのプロセスに介在することで発生するコストだ。課長の、部長の、本部長の1時間の単価はいくらになるのか?その単価に見合った付加価値を情報に付与できているか?まずはこうしたROIの観点で自分の仕事を点検することからはじめよう。そしてROIを考えるのだから、コストを考えるのと同時に同時にあなたの情報の収集、加工、発信のプロセスの精度を上げる=リターンを上げるトレーニングを行うことを忘れてはいけない。
ここで重要なことは、あなたが為す「仕事」=処理すべき情報の総量を判断するべきなのは、他ならぬあなただということだ。大前提、情報発信者には、誰に情報を届けるべきかという判断をプロアクティブに行うインセンティブを持ちにくい(その判断自体が極めて高度な仕事であるし、情報の発信先を絞るという発想は発信者側への帰責性を高める行為だからだ)。のべつ幕なし情報をブロードキャストすることが、発信者の最も合理的な判断だとさえ言える。だからこそ、情報の受け手こそが、主体的に自身が介在すべきプロセスを見極める必要がある。
「会議が多いなぁ」とか、「ペーパーワークが多いなぁ」とか、「これは意味のある仕事なのかなぁ」とぼやきたい気持ちは理解できるが、これは自戒を込めて、それを言ったところで状況は一切変わらない。どころか、あなたが仕事をする能力が欠乏していることを、外部にアピールする発言として捉えられかねない。情報の収集、加工、発信のプロセスの総合的なROIを瞬時に判断し、するべき「仕事」とそうでないものを見分けていく。これこそが、マネージャーという職能に求められるベーススキルだと言えるからで、それが欠乏していることはバリューチェーン全体に致命的な
品質低下をもたらす。
最近、ことさらに「会議の数を半分に!」というソリューションが定期的に喧伝され話題を攫うが、それはグッドハートの法則を参照すればわかる通り、瞬時にハックされ無効化される運命にある。どんな素敵な定量目標もソリューションもソフトウェアも、人間の怠惰や無能によって簡単にスポイルされる。結局のところ、個々人が自分の付加できる情報の価値総量を冷静に見極め、全てのプロセスに己が介在する必要性を検証する能力を養成せねばいけない。良い人が良いソフトウェアを使うことで、初めてその効果は発揮されるものだ。
さて、ここまで述べたことをやると、殆どの場合あなたがやるべき仕事の総量はぐっと絞られている。そこで初めて、部下へのデリゲーションという議論につながっていく。部単位の予算配分は部長がやってROIが見合っても、座席配置や毎朝のデイリーの内容を決めることはそうでないかもしれない。そうやってROIの評価がなされたものから順次デリゲーションを進めていくのだ。注意すべきは、あらゆるソフトウェアと同じく、デリゲーションもそれ単体では機能しない。結局は、全ての人が自己がプロセスに介在することで情報に付加できる価値を冷静に見極め、コストとの対比を行い続けるという自己省察を行う土壌を作ること、このソフトスキルの養成が肝要だ。
まとめよう。ITにおける「仕事」の本質は、情報の流れにおける自身の役割を正確に理解し、付加価値を最大化することにある。これは単なる会議の削減や形式的な業務改善ではなく、各自が自分の能力と役割を冷静に評価し、真に必要な業務に集中することを意味する。
特に管理職は、自身の時間単価を意識し、関与する全てのプロセスで適切な価値を付加しているか常に検証すべきだ。この自己評価と改善のサイクルを通じて、不要な業務は自然と減少し、真に重要な仕事に注力できるようになる。結果として、個人の生産性向上だけでなく、組織全体の効率化と価値創造につながるのである。
管理職のみならず凡ゆるプレイヤーにそういった責務があることを意識した上で、自身の「仕事」ぶりを振り返ってもらいたい。