
必聴!!チャイコフスキーの愛人(?)サペルニコフが弾くピアノ協奏曲第1番
世紀を超える時を隔て作曲家が生きた時代の空気感を共有した演奏家の録音に耳を傾ける、そんなロマンに満ちた鑑賞体験は如何でしょう!?
とりわけ作曲家と関係が深い演奏家による録音を聴くことは、作曲家自身の音楽観を探る上で極めて有用ですし、演奏にあたっても多くのヒントをもたらしてくれるはず。
今回は、ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーの名曲・ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23を取り上げます。最近は、ロシアによる組織的ドーピング問題の影響で、オリンピックの表彰式でロシア国歌の代替としてこの「ピアノ協奏曲第1番」が使われたことでも話題になりました。
ところで、同性愛者としても知られるチャイコフスキーですが、この曲には彼の”愛人”が演奏した録音が残されていることをご存知ですか?
その人物の名はワシリー・サペルニコフ。彼はチャイコフスキーとあまりに長い時間を共に過ごし、恋人関係にあったと言われています。実際、チャイコフスキーが弟のモデストに宛てた手紙には、「コテック【注1】以来、私は彼ほど熱烈に愛した人はいない。これほど共感でき、優しく、甘く、礼儀正しく、気高い人はいないでしょう。」と言及されています。
サペルニコフは、1868年オデッサに生まれたピアニスト兼作曲家。初めはヴァイオリニストとしてデビューしましたが、当時11歳の少年が演奏するピアノに感銘を受けたアントン ・ルビンシュタイン(ペテルブルク音楽院の創設者)が、ピアノに集中すべきと強く助言したそうです。作曲家としても活動し、幾つかの小品が彼自身の演奏で録音されています。
個人的おすすめは、3つの小品から「ガヴォット」です♫
【注1】
この手紙が書かれた3年前に他界したイオシフ・コテックを指していると思われる。(彼もまたチャイコフスキーの「恋人」として知られる。)参照:https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_3484
先述の通り、何よりもチャイコフスキーとの協力関係が重要です。
1888年、師ゾフィー・メンターの推薦を得て、ハンブルクでチャイコフスキー自身の指揮によりピアノ協奏曲第1番を演奏。この大成功が西ヨーロッパでコンサートピアニストとしてのキャリアをスタートさせるきっかけとなり、ドイツ、フランス、イギリスと頻繁にツアーを回ってはチャイコフスキー本人の指揮でピアノ協奏曲(1番&2番)を演奏しました。
チャイコフスキーは自身の日記で彼の天賦の才能を褒めちぎっています。またパリでは、チャイコフスキーが有名な指揮者エドゥアール・コロンヌに頼み彼の演奏を聴いてもらったところ、コロンヌはすぐさま彼をソリストとして雇った、というエピソードもあったり…。チャイコフスキーがピアニスト・サペルニコフに絶大な信頼を置いていたことが窺えますね。
そしてチャイコフスキーの死後30年以上経った1926年、サペルニコフはスタンリー・チャップル指揮エオリアン管弦楽団とピアノ協奏曲第1番を録音します。同曲の世界初録音となるもので、資料的価値も高い貴重な遺産です。
エオリアン管弦楽団の伴奏について語るべきことはありません、サペルニコフの珠玉のようなタッチと高貴で外連味のない解釈を聴いて欲しいのです。
例えば有名な導入部、コンクール等で普段耳にするのは、重戦車かの如く轟音で軋ませるようなffです。ところが、彼は果てしなく広がるロシアの大地、自然の情景を立ち現わせます。ここで特筆すべきことは、高音域の和音をアルペッジョで弾いていることです。録音当時は改訂版が既に出版されていましたが、深い付き合いのあったサペルニコフは、チャイコフスキーが原典版(注2)で当初意図していたイメージを尊重したのでしょう。
【注2】
ピアノソロによる有名な冒頭の和音は1889年版によるものであり、改訂前の初版、1879年版ではアルペッジョ記号が付されていた。
参考音源→https://youtu.be/iDL0m3JkpM0(原典版第1楽章、演奏:L.ベルマン&Y.テミルカーノフ指揮)
もっとも、この曲の印象付けに貢献したと言っていい1889年改訂が、実のところ他者(アレクサンドル・ジロティ)によるものだったことが明らかになっている。
この記事は読みやすく面白いです。→https://www.kateigaho.com/migaku/95618/
因みに、1929年サペルニコフはデッカレコードにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音したそうですが、現在に至るまで発表されておらず、失われたと考えられています。彼は同曲のイングランド初演を行い、W.メンゲルベルクやR.ロナルドの指揮でも演奏していたそうです。どっかの誰かさんが発見してくれることを切に祈ります…。
《参考文献》
音楽之友社「作曲家別名曲解説ライブラリー チャイコフスキー」
https://arbiterrecords.org/catalog/russian-visionaries-from-glinka-to-the-firebird/
https://mahlerfoundation.org/mahler/contemporaries/vasily-sapelnikov/
https://www.naxos.com/Bio/Person/Vassily_Sapellnikov/44201
https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Main_Page