大企業の憂鬱 クレイトン・クリステンセン著 「イノベーションのジレンマ」

 本書は経営学の本としてはかなり有名である。タイトルを聞いたことがある方も多いだろう。その反面、内容を知っている人は少ないのではないか。私もそうだった。しかし、私が勤めていた会社の当時の社長が座右の書として本書を挙げており、試しに読んでみることにした。

 アメリカの製造業に日本企業が、日本企業に韓国企業が、韓国企業に中国企業が、キャッチアップするといういつか来た道を繰り返している。なぜ世界に冠たる存在となった優良企業が“破壊的イノベーション”の前に窮地に立たされるのか、その解を提示するのが本書。1997年刊行と少し古い著作であるため、取り上げる題材はHDD向けのHDメディアなどやや古いが、示唆する内容は全く色褪せない。現代の“破壊的イノベーション”の例を示すと、iphoneが一番わかりやすいだろう。要するに従来のビジネスモデルをガラッと変えてしまい、従来型の製品需要を無に帰してしまうような変革が“破壊的イノベーション”である。

 さて、優良企業はなぜ“破壊的イノベーション”に屈するのか。その答えを本書は優良企業の経営陣が勤勉で優秀ゆえだとする。何ということだろう。経営陣が大失敗した結果であれば、それを直せば改善が期待できるが、勝負においてとるべき行動をとった結果、失敗したのだそうだ。もはやどうしようもないなと半ばあきらめの境地に入ってしまうが、失敗の構造を理解し、リスクとして認識することが大失敗を避ける上で重要だろう。

 端的に結論を述べたが、もう少し要因をブレイクダウンすると、概ね以下のようになろうか。①”破壊的イノベーション”は往々にして顧客が新しい使い方を見つけた時に起こるが、発見段階ではまだ市場規模が小さいため、大企業においては社内を納得させるような業績計画を提示できず、十分なリソースを割くことができない。②企業は株主から一定の成長率を求められるが、一定の規模を有する優良企業が率を達成するには一定の規模を持つ市場に手を伸ばす必要があり、“破壊的イノベーション”が最初に位置する小規模な市場への進出は優先度が低い。③大企業は市場調査や綿密な計画を練ることには長けているが、”破壊的イノベーション”の市場はないため分析できない。

 ”大企業病”という言葉に象徴されるように、大企業は成功体験ゆえに過去からの持続的な改善をしようとする。本書が研究テーマの一つとしたHDメディアでは、過去から容量の拡大が重要であり、そこに大企業はリソースを集中した。しかし、実際の顧客のニーズは小型化にもあり、多少容量は不足していても、小型化に注力した新興企業がメジャープレイヤーとなっていく構図が示された。おそらく、当時の主要顧客の多くが高容量化を求めており、高容量のHDメディアはハイエンド品で収益も高かったことから、そちらにリソースを割く経営判断はリーズナブルなものだったのだろう。しかし、気づけば小型化要求に応えるのが遅れ、かつ価格も高い大企業は窮地に立たされた。何も間違えていないように見えるのに、間違えていた。自分が経営陣だったら、全く同じ判断をしてしまったことだろう。

 さらに、経営陣だけの問題でもない。多くの場合、経営陣が意思決定する前に、投資の提案はマネージャー層で判断されている。彼らが優秀で合理的であればあるほど、安定した市場規模があり、過去からの延長線上にある”持続的成長”に向けた提案を行うか、それとも市場が見通せず、失敗したときに合理的な説明をしにくい”破壊的イノベーション”に賭けるか。この問いに対する答えは簡単だ。よほど強いこだわりが経営陣やマネージャーにない限り後者を選ぶことは難しいだろう。

 だが、途方に暮れるのはまだ早い。大企業が”破壊的イノベーション”に立ち向かうための処方箋も本書は以下のように提示している。①当初の市場規模の小ささを追求することを正当化できるほど小さい子会社をつくり(あるいは買収し)、失敗を許容できるような限定的なリソースを注いで事業運営し、小さな成功体験を大事にして事業を育てていく。②”破壊的イノベーション”は顧客が見出すため、”専門家の予想は必ず外れる”ことを前提に計画を組む。それも慎重かつ綿密な計画よりも、行動を起こすことを優先する。③顧客の真のニーズに目を配り、”破壊的イノベーション”が見出された時には、それを製品開発につなげる。とある日本を代表する高収益な精密機器メーカーが話すように「顧客のニーズを超えた部分は付加価値ではなくオーバースペック」なのである。

 このように読書レビューを書いてみても、十分に要約ができているのか心もとないほど、本書は内容がぎっしりで奥が深い。事例も豊富でこの経営判断に自分が携わるとどう判断するのか、というケーススタディになる。読了にはパワーが必要であるが、大企業の経営戦略に携わるビジネスマンには必読の一冊だろう。大企業勤務の端くれである私も、”破壊的イノベーション”、”イノベーションのジレンマ”に負けないような戦略立案に携わる覚悟を新たにした。

 なお、クレイトン・クリステンセン氏自身による解の他に、本書に対する解として、チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン両氏による「両利きの経営」が名高い。追って本書も読んでみたい。

 最後に余談であるが、私は昨年の中小企業診断士試験に合格した。一次試験は合格点からわずかに2点上回っての薄氷の合格だった。実は企業経営理論で本書に関する設問があり、難なく正解したのだが、その設問の配点がなんと3点。本書を読了していなければ不合格となっていた可能性もあった。何とも思い入れの深い一冊なのである。


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