自主練習
こんばんわ
本日は、自主トレーニングにおいての僕自身の考え方。
自主練習はスポーツをやっている人やスポーツに限らず、誰しもやったことがあると思う。その自主練習という言葉をよく耳にしたり自主練習をする人を良く見ることからあまり「自主練習」について深く考えることはないと思う。今回、僕のnoteを読んで、自主練習ということについて少し考える機会になれば...
僕は自主練習をするときに、よく意識することは
『ライバルはもっとやっている』
この言葉をいつも頭に置きながら自主練習をしている。誰しもライバルはいると思うし、負けて悔しい思いをしたことは誰にでもあると思う。その時、めちゃくちゃ悔しかったと思うし、もっと練習をしておけば良かったと後悔することもあったと思う。その経験をどう繋げるのか。
僕は激しい練習やこれぐらいでいいやって思いそうになった時、
悔しかった時の感情、絶対負けたくないライバルの姿
が、すごく鮮明に思い浮かぶ。
一人で素走りをやっていても、
「ここでペース落としたら、負ける。」
「○○はもっと早いペースで走っている」
「○○はもっとやっている、こんなんじゃ甘い」
「ここで終わっていいのか?もう一本やれないか?」
こんな感情を持ちながら自主練習をしている。
この感情がものすごい原動力となりいつも自主練習でもへとへとになるまでやれている。
自主練習は、ライバルとの差を縮めたり引き離したりする大事な時間である。
やっぱり自分の中で限界は作りたくない。一日が終わった時、「もっとやれた。」と言う感情になるのが大嫌い。そんな感情になるぐらいなら、苦しくてもしんどくてもその時その一瞬を頑張った方がよっぽどマシだと思う。こういう日々の積み重ねがいつか実を結ぶと信じている。そろそろ弱気な自分が出てきそうだなって思ってからの、次の一歩が大切だと思う。その一歩を踏み出すか、踏み出さないか。
負けて悔しい経験が僕を強くする。
ライバルと言う存在が僕を強くする。
なに当たり前のこと言ってるんだってなる人もいると思うし、すっごく当たり前の事すぎるかもしれないが、僕はこのような感情を持ちながら自主練習をしている。
ここで勘違いしてほしくないのが、僕が言っていることは、決して無理をすることが大切だと言ってるわけではない。頑張ることは大切ではあるが、無理することを覚えてはいけない。無理をすることは、自らを滅ぼすことに繋がる。決して無理はしてはいけない。
ここまで色々書いてきたが、僕自身ここまでなんの実績もなく他人に影響を与えれる程の人ではないが、僕は自分を信じてこれからも頑張っていく。
この日々がいつか実ることを信じて。
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