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物事の進め方の違いを見つめ直した話
僕は保育士やボランティア会の会長として様々な取り組みを行っている。
何かに取り組むときに必ず考える事、それは結果に重点を置くのか、プロセスに重点を置くのかだ。
取り組みがうまく行ったときには結果が評価される。
取り組みが失敗したときには結果に繋がるプロセスとされる。
どちらも大切な考え方だ。
だがこれは、物事が終わった時の判断基準であり、取り組みの渦中では人により考え方が違う。
何か一つの答えを見つけようとする人→結果重視
沢山の方法を試そうとする人→プロセス
例をあげれば途方もないが、今何を求めているのかで人と人はよくもめる。
僕にも経験がある。
僕はある取り組みの中で、様々な方法を試す中で最適な方法を見つければいいと考えていたが、周りの人からは一つの正解を作ろうと思っていると捉えられていた。
そうではないと払拭しようともしたが、他者についた印象というものは中々払拭できない。
相手が求めるものに準ずるだけでは、自分の意思も考えも消えてしまう。
僕は自分の考えも懐にしまいながら、今は違う取り組み方をしている。
何が言いたいかというと、「柔軟さが大切」ということだ。
僕が考えていること行動していることが伝わらず、歯痒い思いをしたが、自分の意思を実現に向けるために行動を変える。
目に見えるプロセスが大切な人にはプロセスをアピールし、結果が大切な人には結果を見せる。
自分にとっての結果が相手にとってはプロセスかもしれないし、自分にとってのプロセスが相手にとっては結果に見えるのかもしれない。
他者がどう捉えるかなんてわからない。
突然批判されるかもしれない。
でもそこで相手にのまれるなんて自分が可哀想だ。
柔軟に自分の思考を操り、自分の求める結果やプロセスのために相手の求める、プロセスや結果を提示する。
結果、プロセスどちらを求めるか。どちらも大切に決まっている。
プロセセスは結果になるし、結果も次の結果に繋がるプロセスでしかない。
白黒つかない事を面白がってやろう。
その時の自分の感性を大切に、自分なりにやっていこう。そのプロセスがいつかの結果になり、新しいプロセスになっていく。