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いつまでも記憶からこぼれ落ちないものもある

そんな話。

僕が大阪で生活を送り始めてから、もうかれこれ15年近くになる。
高校時代までを地元で過ごした訳だから、あと数年で、年数で言えば逆転してしまう訳だ。

僕の地元は、典型的な、観光で成り立っている町だった。
隣町は有名な温泉街。
逆隣は全国的に有名なカニの産地。
その間に挟まれる、僕の町に来るモノ好きな人達の目当ては、海だった。
生まれた時からすぐそこにあったので分からなかったけど、あの海はどうやらとても綺麗らしい。今年は夏の観光客が何十万人だった、という記事を、毎年当たり前のように見た。
小学生の頃は、観光客が多いから夏休みは自転車禁止だったのも、どこの小学生も頑張って暑い中歩いているものだと思っていた。あの頃が人生で一番頑張ってたかもしれない。

ともあれ、地元の多くの人が観光業に関連するモノモノで恩恵を受けていたわけだけど、我が家も例外ではなく、夏になると、祖母が浜の休憩所の手伝いに出ていた。
両親は共働きだったので、小さくそして可愛くそれでいて儚かったか弱き僕は、夏休みはだいたいその浜茶屋にいた。
一日中ゴロゴロしてテレビを見て、飽きたら別の茶屋の友達と海に泳ぎに行き、たまに沖に行き過ぎて警備隊に連れ戻されたりして、疲れたらタダ飯して、ゴロゴロして…

大変有意義であったとはいえ、何をして、何を考えて時間を潰していたのか、今となってはあまり思い出せない。無限に時間が湧くと思っていた頃だ。

そんな少年時代の夏休み、ふとした時に思い出すことがある。
花火大会である。

毎年7月の末に、地元の海からドコドコとカタパルトタートルのように打ち上げられる花火大会は、今も続いている(今年はコロナの関係で中止されてしまったみたいだけど)。

毎年毎年、思春期になるにつれ、個人的に飽きていたりした花火大会を、鮮明に全て覚えている訳では無い。
特別思い出すのは、そのうちの一度だけだ。

小学2年生の時に空に舞った花火は、例の茶屋から観ていた。僕はその時アレルギー性鼻炎持ちだったので、しょっちゅう口をボケーっと開けていた。その日の花火だって、だらしなく口を開けて見上げてたに違いない。

なぜその年だけ覚えてるかというと、知らないおじさんおばさんと一緒に観たからだ。
その時は、確かにおじさんおばさんだと思っていたのだ。
確か6人グループくらいの男女で、うちのばあちゃんが手伝いをしていた茶屋で花火を観ていたところ、僕が1人でダラダラしてるのを見て構ってくれたのだと記憶している。
今思えば、あれは大学生の旅行だったんだ、と思う。

せっかく女の子達と旅行に来たのに、女の子達がクソガキを膝の上に乗せて喋ってるんだから、その時居た男の人達には申し訳なかったなあと思う。
だけど、男の人もとても可愛がってくれて、「来年も来るよ」と言ってくれた。

翌年の花火を、僕はあまり覚えていない。だけど、その6人組をずっとキョロキョロして探していたのは覚えている。

大学生の旅行なんてそんなものだ。2年連続で同じ花火をわざわざ観に来る人の方が珍しい。
だけど当時の僕は、そんなことつゆ知らず、晩御飯のときに、明日僕の友達が来るんだよ~!!とか親に言ったりしてた。
めちゃくちゃ探したけど、まあ当然会うことはできなくて、拗ねて寝てしまった。ような気がする。

もう思い返せばその花火大会も、高校生の頃には家のベランダからボーッと観るだけになったので、かれこれ17.8年行ってない。
地元の観光客も段々と減っていると聞く。

なんて思ってたら、母が、こんなご時世なのに沢山観光客来てちょっと怖いわ~、なんて言っていた。複雑だ。来年も来い。

たいした思い出ではないけど、あの日の花火は多分ずっと僕の記憶に残る。
あの時仲良くしてくれた大人たちが、今どこでなにをしてるのか分からないし、きっと忘れてるだろうけど、もし会えたなら、

「思い出を作ってくれてありがとう、今回こそはお邪魔にならないようにこれで失敬します」

と言いたいなと思う。

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