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もしもごっこ(ショートショート/掌編小説)

 わたしは一人遊びが得意だと自認している。風に揺らぐ木々の緑葉を、窓ガラス越しに眺めているだけで、スゥ、と、わたし以外存在しない世界にアクセスすることができるし、指遊びなんてお手のものだ。わたしの脳内のお花畑には、数えるのもおっくうになる程の友人がいる。

 だがそれよりも好きなのは、「もしもごっこ」とわたしが命名した遊びだ。例えば、わたしがお風呂で髪を洗っているとき、もしも背後に誰かが立っていると仮定したら、「今わたしがシャンプーをしながら急に後ろに倒れたら、後ろに立っている人は逆にびっくりするだろうな」と考える。ハリのないわたしの黒髪をゴシゴシと撫でながらそう考えていると、無性に後ろへ倒れこみたくなるのだ。そして、髪を洗い流している最中に、スススーっと重心を背中方向にかける、背後の人間に当ってしまうまで。
 実際にはもちろん人なんていないのだが、考え込むと、どうしてもやってみたくなるのだ。

 他にも、家を出る際に、扉の向こうで強盗犯が鍵穴をかちゃかちゃしているのを想像して、逆にびっくりさせてやろうと、出来るだけ静かに出てみたり。目をつぶって自転車を漕いで、心の目でどこまでいけるか試してみたり(さすがにこれは危ないのですぐやめてしまった)。

 こういう日々の想像力が、わたしの人生を豊かにさせている。退屈なんて言葉は、わたしには無縁だ。

 玄関の方から、カチャン、とかすかに音が聞こえた。そういえば、母から住民票を送ってもらったのだった。実家から住所変更を行うために。「もっと治安の良さそうなところはなかったの?」と、母からは口が酸っぱくなるほど言われたのだけど、職場へも近いし、近所に大きなスーパーマーケットもあるし、結構気に入っている。

 母よ、才能をありがとう、ナムナム、とボソボソ呟きながら玄関の扉に取り付けられた郵便受けから、無機質な茶色い封筒を取り出す。その送り主は母ではなく、保険会社からだった。肩透かしを食らった気分になったが、これもまた一興、と開封すると、更新のお知らせだった。わたしがこのマンションに越してから約1ヶ月ほどになる。こういう手続きは終わったと思っていたのだが、火災保険の申し込み書類のようだった。
 なるほど確かにこれは手続きした記憶がないなあと、蟻のごとく小さな文字で書かれた約款をしげしげと眺める。こういった難しい資料は得意ではない。けれども、さっさと出しておかないと、後回しにすれば忘れてしまうタチだ。しかも期限を見ると、もう日がないようだった。それでも今日出せば、なんとか間に合いそうだ。ささっと送っちゃおう、とわたしは申し込み用紙に個人情報を殴り書いた。

 投函するついでに夜ごはんの買い物も済ませてしまおう。夕方になると近所のスーパーはよく混む。わたしはお買い物用のえんじ色のエコバッグに、保険のハガキと財布を放り込んだ。

 いつものように、玄関へは静かに向かった。扉の向こうにいる人間に気づかれないように。「もしもごっこ」はいつでも有用なのだ。隙間時間に、こうやって小さなワクワクを詰めることができる。
 サンダルを履いて、鍵を静かに開ける。ドアノブもゆっくり回す。いつもここが一番胸が高鳴りする瞬間だ。この一連の作業を出来るだけ時間をかけて行うことが、自分の世界に入り込む秘訣だ。
 わたしの家の扉は、ノブを捻り切ってしまえば、ドアを開けても音はほとんどしない仕様になっている。そうやって、いつも通り無声映画のような静けさで、わたしは家を出る。



 扉の向こうの誰かと、目が合った。わたしの脳は、高速で回転している。
 その誰かは、少し驚いたような顔をしたあと、ゆっくりと笑った。



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