月刊そうすけvol.28
ー物の心を助けるーを社訓とする「古家具古道具そうすけ」その名の通り店内には、 愛情を持って丁寧に補修された古家具や古道具たちが並びます。
心を込めて、前の持ち主から新しい持ち主へのバトンタッチの役目を果たしたい。 一生付き合える古家具古道具との出会いがあることを願って…。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
衣替えが必要だ!と急に思う。
木枯らしが吹き始め、日も落ちるのを早く感じ、少し物寂しい気持ちになる秋。
だからこそ、人の温もりをより感じることもできるというもの。
生きていれば必ず訪れる、出会いと別れ。
もちろん別れは哀しいものだけど、出会いと同じくらい美しいと思うこともある。 それは、ずっと、永遠続いていくものだから。
別れは出会いの始まり、循環なのです。 今回はそんなお話。
和さびの大将
「そうすけに惚れていると言っても過言ではない」
そんな言葉を人づてに残し、鎌倉の寿司席『和さび』の大将が先日この世を去りました。
江戸っ子、25歳で新橋で独立し店を構え、腕を鍛えました。
鎌倉の浄明寺にあった古い一軒家を気に入り、生涯続けた店を構えたのは40代。 鎌倉の和さびといえば、文化人や芸能人、食通にも名の通った名店でした。
素朴な門構えを入る。 奥に水屋箪笥が一つあり、手前にカウンター。 寿司のネタは古いガラスケースに氷と一緒に入っていました。 あとは広い座敷があり、李朝の大きな座卓がドンとある。
シンプルで、居心地が良い。
気取らない気さくな洒落の効いた人柄、 食材や店のしつらえにも真摯で粋なセンスを見せる『和さび』は「間違いない店」として多くの人々に愛されました。
古家具古道具そうすけの店主米倉にとっては人生の師匠のような存在だった和さびの大将。
毎日のルーティーン
由比ヶ浜にあるアンティーク・ユーさんの紹介でそうすけを知った和さびの大将。
大将には毎日のルーティーンがありました。
ランチが終わってからのひと休憩の時間、浄明寺の山の方から10分ほどかけて自転車で街に降りてきます。
割烹着にジャンパー、そしビーサンという出立ち。
ユーさんに顔を出し、好きな古道具について色々話したり気に入ったものを購入するのが日課。
そのルーティーンに、ある日そうすけが加わったのです。
開業当初、そうすけは、リサイクルショップのような形態でした。
目利きの大将が中途半端でモダンなジャンク品、そんなものも面白がってくれて買ってくれました。 お店に使うものや、自宅に使うもの、さまざまなものをそうすけから選んでくれました。
古道具や古家具を介して会話は弾み、 お互い一本気の通った性格が共鳴し合い、すぐに仲良くなりました。
飲みに連れてってくれたり、 休みの日に、美味しいご飯屋さんを紹介してくれたり。 鎌倉のことは大将から教わりました。
時には家族も自宅に招待してくれて、大将が腕を振る舞ったり、持ち寄りで食事会したり。 そうすけ開業以来、24年間の付き合いが続きました。
訃報を知った日
大将が入退院を繰り返していることは知っていましたが、訃報を知ったのは突然でした。
その日はたまたま友人と飲みに行こうと、数ヶ月ぶりに鎌倉の街へ。 3連休ということもあり、顔馴染みの店はどこもいっぱい。 チェーン店で一通り飲んだあと、あともう一件行こうということになり、向かったのは『よしろう』
名物女将のあかねさんが、普段と変わらない様子の米倉に向けて呟きました。
「そうすけさん、大将亡くなったの知ってるの?」
『よしろう』は鎌倉の街の中で大将が初めて連れて行ってくれた飲み屋でした。
「カウンターにはわらび餅こ寿々の社長さん、そうすけのお客様でもある大学教授、二人が飲んでてさ。 よしろうに入る時に目にした光景は映画のワンシーンのような、 今でも忘れられない光景だと。 大将に呼ばれたんじゃないかなって、大将も一緒に飲んでたんじゃないかなって」
和さびの大将の愛用品を片付ける日々
大将は器や店のしつらえまた自宅にも、古いものが好きでよく集めていました。
時には、3人がけのソファーが欲しいんだけどという連絡があり、 友人の店に声をかけて、紹介したり。
デンマーク製の緑の皮のソファ。肘はチーク材。
大将はとても気に入っていたと言います。
独り身であった大将の愛用品を片付けているのは、先に紹介したアンティーク・ユーの店主。 ユーさんは大将とも歳が近く、家族同然の付き合い。 大将のお姉さんから鍵を預かり、たくさんの器などをユーさんが片付けています。
家具はそうすけにということで、米倉が店と自宅の家具たちを買い取っているところです。
大将の店を作っていた、そして大将の日常を彩っていた愛用品たち、 誰よりもその価値がわかる、誰よりも大将が信頼していた二人が片づけています。
これ以上に嬉しいことってないのではないでしょうか。
古道具屋冥利に尽きる
『物の心を助ける』を社訓とするそうすけ。
「幾人もの人たちに使われてきた物たちは、 愛着をもって使われてきた記憶がたくさん詰まっています。 持ち主が代わり、新たな思い出や愛着をつなぎ、また次の世代へと受け継いでいく。 その架け橋となることを「そうすけ」は少しでも担っていきたい。」
米倉が貫いてきた、古道具古家具屋の美学。
大将の出来事があってから、 仕事を始めたばかりのことを思い出したと米倉は語ります。
当時、大将のように毎日のように店に通ってくるおじいさんがいました。
病院が近くにあり、彼の日常にそうすけに通うということが組み込まれていたそうです。 同じように、そのおじいさんが亡くなった時、全てそうすけに引き取って欲しいとの遺言があったそうです。
「先が始まり」 別れが始まりということがあり、そしてそれは循環していく。
なんて素敵なことなのでしょうか。
死に方は生き方
常に粋で洒落ていて、いつ会ってもかっこよかったと米倉が語る和さびの大将。
「この世を去る時の知らせ方も、なんだよと思うくらいかっこよかった」
心底さみしいけど、去り際に充分にかっこつけさせてあげるっていうのも残されたものの役目なのかもしれません。
自分の直感を信じて、良い方へ、目指す方向へ、選択を繰り返した結果が人生。
「歳をとっていくと、仕事を核に、そこ中心の生活になってくるのだろうね。好きなことで固めたくなってくるんだよね」 と米倉も語ります。
「俺の鎌倉」
今もにこやかに、割烹着にジャンパー、ビーサンで 少しだけ宙に浮いて、自転車で鎌倉の街を走り回っている大将の映像がどうしても浮かんでしまいました。
映画『パーフェクトデイズ』のような世界。
商売人の心意気
「好きな寿司握ってね、楽しいお客さんと話せてお金もらえるなんて、こんな幸せなことはない、寿司屋は天職だ」
大将がよく言っていた言葉だそうです。
あそこ行ってみたら?面白いよ。美味しいよ。
街の繋がり、近所の繋がり、紹介しあえる仲。それはとても大事なこと。
普通に付き合うということは、商売人としては本当に大事。
和さびの大将も、そうすけの米倉も ブレない、大事にしていることが一緒なのでしょう。
何よりも人、お客さんに喜んでもらいたいという粋な心意気ということなのでしょう。
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「古家具古道具そうすけ」
https://www.so-suke.com/
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取材:合同会社ノスリ舎