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リスペクト

私は小学校2年生から高校3年生までの11年間、サッカーをしていた。今でこそプレーはしなくなってしまったが、あの頃の情熱は今でも変わらない。好きな選手の去就やA代表は未だにチェックしている。

小学校のチームでは、全員がチーム指定の真っ白なシャツを着る。4年生以上からは左腕に”RESPECT”と書かれたワッペンをつける。

「リスペクト」という言葉はサッカー界、特に小学校年代では耳にたこができるほど聞かされる。それほど強調して教えられる。

和訳すると「尊敬する」的な意味になるが、そのワッペンの中では、リスペクトは「大切に思うこと」と訳されている。

家族、チームメイト、指導者、相手選手、レフェリー。自分に関わるすべての人を大切に思う、サッカーを通じてそんな人を育成して生きたいのではないかと思っている。

そんな考えが、サッカーをやっていた人間には根付いている。少なくとも私は。自分と関わる人は大切にしたい。

その手段として、相手とコミュニケーションをとる。それは言語によるものだけでなく、非言語的なものも含まれる。スポーツや教育においては非言語的なコミュニケーションがより大きい割合を占めると考えているが、人間関係においては全く異なるとも考えている。

わたしはちょっとした表情やメイクの変化、前髪を切った、など視覚的な情報に疎い。だからこそ、会話の中でお互いの本音を交換したいし、そうすることで関係をよりよくすることができると信じている。それが、関係の終わりにつながるような内容であっても、2人で出した結論なら、受け入れることはたやすい。

しかし、かっこつけたかったり、ばつが悪くて言いたいことを感情のそのまま表現できないことがある。その結果、相手は違う意味で解釈してしまうかもしれない。

「あの時こう言ってた」「私は~感じた」

ああ、そんなことを思ってたわけじゃなくてもっとわかりやすい言葉がただ言えなかっただけなのになぁ。

言葉は非常に強力だからこそマイナスにも大きく働く。

相手をリスペクトする。
簡単なように見えてこんなに難しいことを小さな頃から考えてきたのか。

何もかも、サッカーと同じ。
大切なことはボールを相手のゴールに届けること。
そのために、いろんな手段を使う。パスをつないでボールを保持してゆっくりと前進するのか、自陣まで引いて、攻撃を耐えて、こぼれ球からカウンターを狙うのか。いろんな考え方があって、人それぞれに向き不向きがある。何が大切か。何が大事かなんて人によって変わるのだ。

人間関係にはリスペクトが必要。またそれをどのように伝えるか、どのように伝わるかが大切なのだ。

2023/03/29 落合壮亮



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