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部活は廃止したらいい

①現状

現在、部活は過熱化しているといわれています。では、いつから過熱化しているのでしょうか。一般的に言われているのは、ゆとり教育が導入されてからと言われています。また、原因はよくわかりませんが、2007年からの10年間で特に過熱化が激しくなっています。部活を運動部と定義するのはいささか乱暴で、文化部の存在を無視した暴挙ではありますが、ここでは、おもに運動部に絞って考察していきたいと思います。ここ10年で部活が忙しくなったというと、昔から忙しかったという声が必ず上がりますが、本当にそうなのでしょうか。もちろん、昔、忙しくて大変な思いをした年配の方もいらっしゃるとは思いますが、私は、最近はみんな忙しくなってしまったのが問題であると考えております。

②著者の経験

私は、主に90年代に小学校から大学まで運動部でしたが、それほど忙しかったという感じはしませんでした。ここでは、サンプル数が1つと少ないのですが、私の中学時代の部活を参考に紹介します。私は近所の私学を中学受験して、わりとスポーツの盛んな学校に入りました。小学校の時は野球部だったのですが、しょっちゅう甲子園に出場する学校の中学部の野球部でレギュラーになるのは無理かな、と思い、バドミントン部に入りました。バドミントンは小学校の時すこし習ったことがあったからです。ただ、バドミントン部も部員が100人以上いて、レギュラーになるのは大変でした。レギュラーになるには校内戦でベスト16にならなくてはなりませんでした。練習は午後、週5日の練習でしたが、参加は任意で、顧問の先生もたまにしか顔を出さず、自分たちで工夫した練習をしていました。校内戦は3カ月おきに行われたので、ベスト16の顔ぶれも入れ替わると思われていましたが、ベスト16以外の補欠は玉拾いや筋トレしかしなかったので、校内戦ではレギュラー陣の圧勝で、結局、レギュラーが入れ替わることはほとんどありませんでした。というか、私たちの代では一回もありませんでした。練習は自由参加でしたので、レギュラーの中にはクラブチームの練習や塾を優先してたまにしか顔を出さない人もいましたが、校内戦がすべてでしたので、校内戦で勝ち上がればどんなに部活に来ない人でもレギュラーに選ばれていました。私は、こうゆうのを成果主義っていうのかなと考えていました。また、校内戦のおかげで、中学生のときは補欠に落ちるのがなにより怖かったのを覚えています。2年生の時、バドミントン部の一個上の代は全国大会(全中)で優勝しました。全国大会の決勝トーナメントの日と、甲子園に出た高校野球部の試合(一回戦)の日が重なり、一般の生徒はみな、甲子園に行っていました。私は別にバドミントン部の先輩の応援はどうでもよかったのですが、なぜ、野球ばかり優遇されるのかいまいち、納得がいかなかったのを覚えています。私は2年生から、試合にでるようになりましたが、そこそこのところまでは勝ち進むものの、結局、大会などで一回も優勝することも全国大会に出ることもなく引退しました。先輩が全国優勝した時、新聞かなにかの取材がありましたが、顧問の先生が、気楽に練習していますと、回答したら、記者に、「もっと、汗水たらして優勝したんだ」みたいな熱いコメントがほしいと頼まれ、しぶしぶ、猛特訓したみたいなことを記事にしてもらいましたが、我々は、「これは嘘だよね」、と、話していたのを覚えています。私の経験の一部については以上です。

③問題点

現代の部活の問題は何と言っても活動過剰なのではないでしょうか。多くの学校では練習は週5~6回、中には毎日というところもあるそうです。毎日練習があっても参加が任意だったらいいと思うのですが、同調圧力があってどうしても毎日練習に出ないとと考えて追い詰められたら本末転倒です。会社でも、土日は休みで、有給もあります。毎日夜遅くまで働かなくてはいけないところはブラック企業と呼ばれるくらいです。部活をブラック企業予備軍としている向きもありますが、それはいけません。なぜ、部活=スポーツ=遊びを強制されないといけないのでしょうか。たまに、部活を遊びでやってんじゃないみたいに言う人がいますが、部活は遊び以外の何物でもないでしょう。本当に訳が分かりません。そもそも学生の本分は学業で、息抜きや楽しみのための部活なのに学校も学校で本末転倒です。でも、体育会系の学生は多少アホでも、大手広告代理店などへの就職がいいそうです。そして、それらの職場は最近ブラックであることが明らかになりつつあります。このような、大手広告代理店の筋肉バカが青春のごり押しをするので、漫画やアニメ、映画、CMなどが単調でつまらないものになるのです。ポカリスエットのCMも昔はさわやかでしたが、最近は気味の悪いものになっています。青春のごり押し、もう、やめませんか?一方、スポーツ大国のアメリカでは全国大会はないそうです。よって、州大会をやって、優勝したら、よかったね、で、終わりだそうです。日本は甲子園を筆頭にどんな部活でも全国大会があります。まず、全国大会をなくしたら、過熱化が収まるのではないでしょうか。甲子園ついでに、よく、野球留学だの、私学が強いとよくないだの言っていますが、どの競技でも留学はありますし、私学が強いもんです。それでいいじゃないかと思います。それよりも、たとえば静岡県みたいに、公立の進学校にスポーツ推薦を大量に入れているのは、一般入試の生徒の部活の機会を奪っているのではないかと思います。こちらのほうが、問題でしょう。マツコデラックスが野球部出身は屑ばっかりと言っていましたが、そういう目で見られてしまうのは、スポーツ推薦の態度のでかさも問題だと思います。もう一方で問題なのは、文化部がやたらに冷遇されていることです。生物部とか化学部とか、なんか冷たくされているように見えるのは私だけでしょうか。生物部なども、研究に打ち込んで、たとえば査読付き学会誌に投稿するなどの目標を持って活動すれば、甲子園に負けない熱い部活になると思います。Natureなどに投稿できたら本当にすごいと思いますし、問題になっているヒアリなどの駆除法などの研究でも十分に投稿論文としての価値があります。顧問の先生もスポーツより学科が専門だから、論文投稿の指導はスムーズに行くはずです。

④改良

運動部も文化部も活動日を制限する必要があると思います。基準として、一週間に3日の活動とし、土日は休みとすることが必要であると思います。顧問の先生にはちゃんと残業代を払うか、外部講師を招いてちゃんと費用を負担する形で活動するのがよいでしょう。お金が払えないのであれば、習い事をやめるのと同じで、やめればいいだけです。タダでおいしい思いをしようとするから問題が噴出するのです。また、部活は二つくらいかけもちをする方が見聞が広がってよいでしょう。

⑤メディアとの関係

一昔まえは、少年誌や青年誌は不良ものが多かったと思います。特攻の拓とか湘南純愛組とかカメレオンとか。最近あんまり見ないですね。その頃の部活物の漫画といえば、稲中卓球部とか南国アイスホッケー部とかですかね。これらの漫画では作品中でほとんど卓球もアイスホッケーもやっていません。同時期のスラムダンクなんかは不良ものとの中間の感じですが、今現在読み返してみると、そんなに暑苦しいスポ根ものではありません。しかし、最近の部活漫画はほとんどスポ根で暑苦しいですね。まぁ、これらも、昔、不良漫画があったね、っていうのと同じように、なくなっていくと思います。スポーツ漫画を描くのだったら、中年がジョギングに取り組む話など、年齢を小学中学高校大学生あたりに限定しない作品を作る必要があると思います。とにかく、何か一つの事に熱中してウェイウェイ言っているのは甲子園でもオタクでも原理は同じだということです。

⑥宗教との関係

科学はとことん突き詰めると、公害だったり倫理的な問題だったり弊害が生じてきます。一方、スポーツはどんなに、飽きるほど求めても求めても、害になることはありません。これが、部活におけるスポーツを一種の宗教にしてしまっているのです。顧問の先生は僧侶ですかね。だから先生の言うことは絶対で、修行を求めて求めて、悟りが開けると勘違いして、みんな体を壊して、その異常性に気が付くのです。いや、体を壊してもその異常性に気付かず、体を壊したことを誇りのように言いふらす頭のゆるい方も一定数います。

⑦甲子園において

甲子園(高校野球)はなぜか地方の公立校がでると、喜ばれますね。なぜ、強豪私立じゃだめなんでしょうか。むかしは、野球は余裕のある裕福な家じゃないとできなかったので、公立進学校が甲子園で活躍していた時期がありました。大昔の話です。その後、PL学園など、強豪私立の時代が長かったですが、最近、2018年の春の大会に至っては、ざっと数えて5校くらい出ていますかね。地方で、公立進学校に行く家庭は間違いなく裕福です。塾に通って、野球も習って、進学校に進んで、練習もそれなりにまじめにやれば甲子園なんて簡単に出られる時代になったのでしょうか。

⑧レギュラー選手の選抜

部活で問題が生じやすいが、あまり話題に上がらないのは公式戦に出場するレギュラー選手の選抜です。②著者の経験に、著者が経験したレギュラー選抜方法を記載しておりますが、おおむねあれでよろしいのではないかと考えております。よくある選抜方法に、部活に休まずに来ているから、というのがありますが、それをやると、部活を気軽に休めないという弊害が出てきます。これは地味に大きい問題です。部活は毎日あるが、出席は自由で、レギュラー選抜にも影響しないというのが基本だということを強調したいと思います。では、レギュラーをどのように選抜したらよいのでしょうか?これも②著者の経験に記載している通りですが、レギュラー選抜選手権大会(校内戦)をなにかしらのミニゲーム方式で開催して、上位入賞者を公式戦に出場させるという方式が公平であると考えます。ここでもう一つ強調しておきたいのは、この校内戦自体が意外に盛り上がり、事実上の公式戦予選となり、勝っても負けても、それなりに楽しいという点を挙げておきます。この校内戦は希望する部員全員が出場できるので、試合に出場できない選手や補欠の概念がなくなります。ほとんど部活には顔を出さず、外部のチームなどでプレーしていて上手い人が勝ち上がるケースもありますが、経験上、そこでもめることはほとんどありません。もし、もめるようであれば、校内戦の位置づけを学生に周知する必要があると思います。

⑨スポーツのあり方

昨今、スポーツ界において、パワハラが問題になっております。スポーツを頭を使わないで、いや、使わせないで、筋肉だけを鍛えるものと考えるため、このようなことが起こるのではないでしょうか。このような環境で育った学生はパワハラ体質のサラリーマンになるでしょう。また、一例ですが、学生において、バントの練習だけを極めて、指示通りにしかバントをしない野球部の学生は、あまり良いサラリーマンになれないでしょう。もし、どんな球でもバントできるのなら、プロになれるのでしょうが。ただ、実際はほとんどの部員はプロにはなりません。と、いうことは、スポーツを通して何かを学ばないといけないのです。そのためにはスポーツで何かしらの成果を上げる必要があります。別に、インターハイやインカレに出場するとか高い目標でなくてもよいのです。昨年は全敗だったのが、今年は一勝したとか。ほんのちょっとのことでいいのです。そして、その成果に対して、自分はどのような能力を身に着け、どのような役割を果たしたのか、きちんと認識する必要があります。その認識を持って、社会人になれば、考えて、走れる、これから求められる社会人になるでしょう。そして、そのスポーツをする場は学校である必要はありません。どこでもよいのです。もし、学校でスポーツをやる(いわゆる部活)場合はどうしても偏差値がちらつくでしょう。あまりないとは思いますが、灘中のサッカー部や彦根東高の野球部に負けた、東大のラグビー部に負けたなんてなると、勉強でも負けて、スポーツでも負けて、と、思います。でも、思い違いをしてはいけないのは、スポーツの勝負で負けただけなのです。「勉強でも負けて」は感じなくてもよい必要のない感情です。「勉強でも負けて」は模擬試験のときだけ感じればよい感情です。そのような必要のないことを感じなくてもよいように、学校とスポーツは分けて実施すべきと考えるのです。よって、部活は不要なのです。

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