ヒッチハイク、敗北しました。
靴磨き世界一周アジア編16日目
シドニー には2週間滞在し、毎日充実した日々を
過ごした。
毎日路上靴磨きしていたSydney Town Hall
の前では毎日いるおじさんや路上パフォーマーと
仲良くなり、行く度に「調子はどうだ?」と
会話をするようになった。
ラ・リングアという語学学校の生徒達と出会って
から彼ら彼女らが様子を見に来てくれたり、その
友達を紹介して靴を磨かせてもらえるようになった。
きっとこのまま同じ場所でやり続ければ、
靴も磨かせてもらい、資金も貯まり、安心して
シドニー で長居できるのだろう。
しかし私はそれをしない。
なぜなら"靴磨きトラベラー"だからだ。
同じ場所に居座るのではなく、ある程度
成功体験を得られたら次の街へ行き、そこで
靴磨きをする。
世界の足元を輝かせる。
私はついにシドニー から第二の都市、メルボルン
へ向けて旅立つことにした。
しかしシドニー からメルボルンまで1000キロ。
さすがに遠すぎる。
私はシドニー から300キロ離れた首都「キャンベラ」
をまずは目指すことにした。
キャンベラまで車で5時間。
一発でいくのはハードルが高すぎる。
オーストラリアは街から街までが
広すぎるので、野宿も想定しないといけない。
勇敢と無謀は違う。
最悪野宿になることを踏まえ、
私はあるものを購入した。
"敷布団"だ。
四国お遍路の旅で野宿をした時に、
いかに敷布団が大切かを思い知ったので、
今回は事前に折り畳み式敷布団を購入した。
寝袋はデカすぎて、今のバックパックには
入りきらないし、寝袋に完全に入った状態で
何かに襲われたら抵抗できない。
しかし敷布団に上から毛布を被るスタイル
なら、一発食らってもすぐに寝技で勝負する
ことができる。
私はRIZINのYouTubeを毎日見てるので、
少しはMMAをできるはずだ。
#やったことはない
滞在していた宿から15分ほど歩いた
場所でスタートすることにした。
ダイソーで購入したスケッチブックに
「Go straight」〔まっすぐ〕と書き、
私は歩道沿いに立った。
開始して30分ほどした時に、自転車に乗った
インド人風のおじさんが話しかけてきた。
インド人
「何でスタート地点をここにしたんや?」
総将
「なんかこの建物が気に入ったからやで」
インド人
「意味わからん。ここじゃ車通れねぇだろ。」
総将
「でもこの建物インスタ的に映えるだろう」
インド人
「でもお前、ここにいても車止まれねぇじゃねえか」
インド人風おじさんの鬼の説得により、
私は彼がおすすめする大通りまで30分ほど
歩いて移動することにした。
正直、プロヒッチハイカーを副業でやってる
私的にはこの場所が車止まりにくいことは理解
していたが、15キロの荷物を背負って歩くのが
辛かった。
しかしインド人風おじさんの言う通り、
この場所ではいつまでたっても成功しないと
思い、アドバイスを受け入れることにした。
気を改めて、交差点の前でヒッチハイクを
再スタートした。
もうここまで重たい荷物持って歩いた
んだから、絶対に前に進んでやろ。
その気持ちでずっと立っているが、
なかなか止まってはくれない。
途中信号待ちの車がクラクションを
鳴らして「こっちへ来い」とジェスチャーをした。
ついに来た!!
「ミランダまでか?分かった。
ちょっと20分くらい待っててくれ。
必ず戻ってくる。」
そう言って信号は青になり、車は前に進んだ。
良かった。
ここでも車は止まりにくそうだったけど、
なんとか乗せてもらえそうなので、次に繋がる。
私はもうヒッチハイクをする必要が
なくなったので、その20分の間にこの日の
SNSの投稿の文章を書いていた。
しかし30分経っても彼は戻ってこない。
もう少し待とう。
50分経って、この日投稿する文章の下書きを
書き終えた時も、彼は戻ってこなかった。
正直、本当に戻ってくるとはあんまり期待
してなかったが、ショックはでかい。
これもヒッチハイクだ。
「あの時乗れなくてよかった」と
思えるような出会いが次に待ってる。
切り替えてヒッチハイクをスタートするが、
時刻は18時を超えて真っ暗になった。
その時に一台のヤン車から窓を開けて
「オイ!!」と叫んで煽ってくる奴がいた。
煽り方平本蓮やん
と思いながらも、その煽りに心が折れた。
どうする、このまま粘るか?
今ならまだ宿に帰れる。
旅人界の李牧が出した答えは、、、
"全軍撤退"
一度宿まで帰って、戦略を練り直して
リベンジすることにした。
初めてのオーストラリアヒッチハイク。
完全に敗北だ。。。
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