中原一歩の小山田本
中原一歩『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』を読んだ。2021年の五輪騒動のとき、唯一、小山田本人へのインタビューをとりつけて記事を書いたライターが、その後も地道に取材を重ねたノンフィクション。
取材を始めるまでコーネリアスを聴いたこともなかった著者が、「ネット炎上」や「メディアの責任」への関心から書き始めているので、小山田擁護ありきの論調でないのが読んでいて安心感がある。今後同様の追跡調査を行う(できる)者が出るかと考えると、この件に関する決定版となる本と言っていいと思う。
取材で裏どりした最初の本
取材対象は小山田や所属事務所、雑誌関係者はもちろん、学生時代の校友たちにも及ぶ。特に中学時代の「いじめ」の現場に居合わせた人物たちにも取材しているので、小山田がやったとされるいじめの「何がどこまで事実か」をようやくそれなりの蓋然性をもって推論できるようになった。
40年前のいじめの内容を検証するなんて誰もが不可能だと思っていたところ、本書はそれをやっている。もちろん、いじめ被害者にはたどり着けず、「バックドロップ」の直接の加害者(小山田ではない)も特定はされたが取材拒否、ということではあるのだが、現時点でこれ以上の当事者の声を求めるなら、「お前が取材してみろ」という話だと思う。
取材の結果、小山田がやったとされた障害者への継続的な暴行、食糞強要、自慰強要といった凶悪な「いじめ」の多くは、やはり存在がかぎりなく疑問視されることになった。風評へのカウンターとして頼りになる検証がようやく現れた、と思う。
釣り合わない罰
小山田擁護ありきの論調ではない、と書いたが、この本の基本的な姿勢は「小山田にも落ち度はあったが、それにまったく釣り合わない罰を受けた」というところだろう。
私もあの夏以来、一人の小山田ファンとしてそう思ってきたけれど、それを説得力をもって主張する支えはなかった。本書は小山田サイドのよくも悪くも脇が甘いところも、殺害予告まで出される苛烈なバッシングで心身が壊されていく過程の恐ろしさも、どちらも克明に描かれているから、これでようやく判断材料がそろったのではないか。
これを読んでなお「小山田は自業自得」と言う人もいるだろうし、逆に「小山田は完全無罪」と言う人もいるだろう。読んだ上でその判断に至るなら仕方ない。私はどちらにも同意できないけど。
前者はともかく、なんで「小山田は完全無罪」という論に乗れないかといえば、あの夏に起こった炎上が本当に完全に事実無根の「冤罪事件」のようなものだとは、やっぱり私には思えないからだ。
かつて彼が複数の雑誌にいじめの思い出を嬉々として語っていたという事実そのもののショッキングさは消えない。問題になった『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』の記事、特にQJのほうを読めば、気分が悪くなるのは当たり前だと思うし、ほかならぬ私も発売当時に読んでショックを受けた読者の一人である。皆が「リテラシー」を身に付け、雑誌の原文を読めば「誤解」が解けるなどとは思えない。
念のため繰り返すが、その「罪状」が、本人が殺害予告を受け、家族にまで攻撃の刃が及ぶほどのマスヒステリーを正当化できるほどのものだったかというと、私はそんなわけはないと思っている。「小山田無罪」とは思わないが、彼が過大で不当な「罰」を受けたのではないかとは強く思う。
『ロッキング・オン・ジャパン』と私
バッシングのきっかけとなる記事を作ったROJの編集長/ライターである山崎洋一郎には、取材を断られている。ただ驚くべきことに、炎上の後、小山田の事務所側と山崎との間で騒動収束に向けての交渉があったことや、そこでの平行線ぶりが紹介されている。だから間接的にではあるが、本書によって現在の山崎の態度は公表されたとも言える。
何度も取材を申し込んだ著者に対する山崎のメールはあまりに官僚的で、私の中での彼への評価はひとまず確定してしまった。
私はこれまでべつに山崎が「敵」だとは思っていなかった。むしろ名物の「2万字インタビュー」は面白いと思っていたし、雑誌にも特別に悪いイメージを持っていなかった。判型が変わって一発目の小山田表紙号も、もちろん発売当日に買って、期待して読んだ。でもまあその結果、いじめ発言にぶちあたって、小山田に失望する結果になったわけだが。しかしそれもあくまで小山田への失望で、雑誌へのそれではなかった。
ああいう発言が出るのは、小山田が山崎に心を許しているからこそだと思っていたし、アーティストとじゃれあう関係性を作って踏み込む山崎のスタイルにも読者として一定の期待感を持っていた。アーティストの敵どころか伴走者くらいに思っていたし、そういうイメージを売りにした雑誌だったと思う。
だから山崎が、自分が作った記事を大きな理由としてひとりのアーティストが瀕死のダメージを受けていて、アーティスト側が「事実と異なる内容も多く記載されております」と言っているんだったら、それ相応のコメントを出してくれるんじゃないかと期待していた。メディアの説明責任としても、個人の情けとしても。
現実には、山崎はそういう責任をまっとうする人間ではなかったということが、これでほぼ確定してしまった。事務所との交渉を、彼が4月から社長を務めているロッキング・オン社の社員は「殴り込み」とも表現していたらしい。期待した私が馬鹿だった、と思うしかない。
坊っちゃんノリが魅力であるものの
ところであのとき小山田に失望したのは、「いじめをしてたなんて酷い」という道徳的な怒りというよりも、ヘラヘラと「不良自慢」をしていることそのものに対する失望だった。私がフリッパーズ・ギターを好きだったのは、「ロックは不良のもの」というイメージをひっくり返したところだったから。
本書は小山田の学生時代や生い立ちについても丹念に取材していて、結果的に評伝としても非常に読みごたえがあるのだけど、それを読むと、やっぱりあの記事の不良自慢のようなノリは、本当にイメチェンしたくて迷走していた一時期の過ちだったのかなとは感じる。和光には内進(内部進学)と外進(外部からの進学)でカラーがあって、小山田のような小学校からの内進組には特に、ヤンキーを馬鹿にするような風土があったと。私がフリッパーズに共感したのも結局そういうお坊っちゃんノリの部分だったと思う。
そしてそういう「金持ち喧嘩せず」的なお坊っちゃんノリの悪い部分が、今回の件では炸裂しているなとあらためて思った。小山田という人は良くも悪くもお人好しがすぎるというか、主体性がないというか、成人してもだいぶぼんやりしているところがあると思う。雑誌に乞われて「いじめ」経験をホイホイ語ってしまうし、問題になっても抗議もしなかった。
それでも友達や知り合いに乞われるままに仕事を回し合っていったら、自然と高級で洒落たものができてしまうし、自然とYMOやらオノ・ヨーコみたいな権威にもつながってしまう。良くも悪くも一般大衆を相手にせず、芸能界とは別のルートで商売をしてきたから、事務所もシビアなコンプライアンスには慣れていない。本書によれば2018年には弁護士からもいじめ発言への公的な対応をアドバイスされていたということらしいが、具体的な対策には進まず、うやむやになっていたようだ。
そういうアーティストと事務所が、いつものノリで「知り合いが困っているから」と五輪の仕事を受けたから、こんなことになってしまった。コーネリアスのMVやステージ用映像などを全面的に手掛ける辻川幸一郎の誘いだったということなのだが、いくら恩義のある仲間だとはいえ、脇が甘すぎるのではないかとは思う。
周囲は五輪開催に反対している人ばかりで、本人もコロナ禍の五輪開催には疑問を抱いていたという。それならなおさら断る勇気を持ってほしかった。そもそも開催2か月前に辞任ドミノのドタバタで欠員が出た尻ぬぐいのような仕事だし。受けるけど名前は出さない約束だったとかも言っていて、いやいやそこまでして受ける義理はないでしょう。流されやすすぎるよ小山田! もっと自分を大事にしてくれよ!
災い転じてなんとやら
ただ、五輪の仕事さえ受けなければ……とは、今の私は全然思っていない。五輪での炎上がなければ、いじめ発言の件はずっとグレーなまま、正面から弁解することもできないまま、いつか炸裂する時限爆弾のように小山田の上に重くのしかかったままだったはずだから。
あそこで大爆発が起こったせいで、もちろん短期的には深刻なダメージを受けただろうけれど、小山田も、ファンも、このことを正面から話せるようになった。それは大きな解放だったと思う。少なくとも私にとってはそうだった。
こうしてまともな取材を経たドキュメント本が出て、小山田もやっていないことはやっていないと、堂々と主張することができるようになった。
本人も認めている一部のいじめ行為や、雑誌でいじめを嬉々として語っていたという事実そのものについては、今後も評価は分かれると思う。というか、否定的な評価をされて当然だと思う。ただそれが一人の人間を社会的に抹殺するための正当な理由になるかといえば、私はならないと考える。
流行りに乗って小山田に石を投げた人たちは、この本を読むことはないだろう。それはそういうものだと思うしかないと思う。私だって、興味がない芸能人なんかのゴシップを受け取って、酷いなと思ったり怒りを覚えたりして、それを人に言ったりもするけれど、事後検証なんてほとんどしたことがない。こういういい加減な怒りなんて、個人が「リテラシー」を高めれば消えるものでもない。熱しやすく冷めやすい大衆の一人として、興味のない人物に対するそういう「忘れっぽさ」はむしろ救いだとすら思う。世間的に忘却されるに任せるというのも一つの現実的な対処法だろう。
応答し続ければすこしずつ変わっていくはずだ。いつか攻撃されるかもしれないとおびえていた20余年が過ぎて、いまは本人の声明も、第三者への取材を踏まえたちゃんとした本もあるんだし。
以上、発売日の7月24日中に読了はしていたものの、何か感想を書かなければと思って時間が経ってしまった。集大成的な本なので、こちらもそれなりに考えをまとめておきたかったからだけど。七夕の夜に観たコーネリアスの三十周年記念ライブとこの本で、ようやく自分の気持ちにも一区切りがついた気がしている。