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「The El Records Story」書き起こし Part 3/4

The El Records Story - Part 3 - Mike Alway - Interview by Iain McNay

(Part 2はこちら

日本での成功

イアン・マクネイ(以下、イアン):〔エルでプロデュースされるアーティストは〕性格俳優のようなものですね。

マイク・オールウェイ(以下、マイク):そうなんです。とてもいい指摘だと思います。まさにその通り。普通のレコードの作り方というより、映画のキャスティングのようなものです。そしてその結果、より楽しく、限りなく良いレコードを作ることができました。本当に。つまり、それには非常に優れた音楽性が必要で、幸いにもそれを実現するための予算があったのです。プロデューサーとしてのリチャード・プレストン。これらの素晴らしいレコードのほとんども、あのサウンドを作り出すのに不可欠な要素でした。これらのレコードは今、あらゆる分野で尊敬を集めています。またあの時代のエルのレコードの最大のインパクトは、日本人に向かったののも事実だと思います。日本のJ-POPは、私たちのレコードが出るまでほとんど存在しなかったでしょう。

イアン:日本人は理解してくれたんですよね。イギリスでは苦戦し、プレスもされず、セールスも最低限だった。でも、日本では売れました。

マイク:そうですね。今、この距離を置いて、本当にすべてを説明できます。そうなったのは、イギリスの人々は私たちがズルをしていると思っていたからです。そうでしょう。マスコミには、私たちがやっていることに賛同し、理解し、感激し、それを活字にしてくれる個人もいました。編集会議でエル・レコーズのことを「これはマジで重要だ」と言うのです。しかし、年配の人たちや伝統主義者たちは、「でも、これは本来の役割を果たしていない。ロックンロールじゃないよ」と言うんです。ロックンロールに必要な形式にあてはまらないと。フランク・ザッパは私に言いました。フランク・ザッパが素晴らしい例で、こうしたことにルールはないのだと。フランク・ザッパは、世界中のあらゆる折衷主義を体現していました。何でもできるんだ、とね。当時のイギリス人は、それに慣れていなかったんです。パブで演奏したり、汚い場所で演奏したり、国中を旅してひどい目に遭ったりしなければ、ゲームに参加する資格はないんだ、と。でも、日本では全然違うんです。日本では、物事が自然に様式化された、マンガのような社会に住んでいる。物事に真実を求めるのではなく、ありのままを受け入れる。彼らはイメージをそのように捉えていて、それがスタイルであり、単純に、消費するかしないかだけなのです。だから、エル・レコーズを理解するための精神的な準備がずっと整っていたわけです。あらゆる面で、理解すべきことがほとんどないからです。曲の中に出てくるルネサンス建築のことなど知らなくても、歌を楽しむことができるということです。日本人の場合、言語の問題があることが多いですが、それを美しいメロディーと美しいルックで克服できたんですね。こちらのレコードをご覧になってください。

Would-Be-Goods – The Camera Loves Me (Él, ACME 14)

イアン:オリジナルのレコード盤ですね。

マイク:例えば、ウッド・ビー・グッズです。これは、若い日本人にアピールすることになりました。これは私の手から自然に出てくるもので、私にとって自然なものなんです。しかしそれが偶然にも彼らにアピールしたのです。バッド・ドリーム・ファンシー・ドレスも同じように即効性がありますね。まさしくそうです。華やかで、大胆で。これは重要な音楽だ、クラシックなアルバムだ、と主張していて、イギリス人にはものすごく嫌われました(笑)。レンガの壁の前に立っているような男たちの集まりじゃなかったですからね。それから、表面上はドラッグも関係ありません。幻覚作用のようなものはあったかもしれませんが、みんなそこには踏み込まないんです。都会的なリアリティを感じさせるような要素もありませんでしたね。

ザ・キング・オブ・ルクセンブルグ

イアン:そして、日本でのツアーがありました。エル一行をパッケージした最初のツアーです。デレク・ジャーマンが撮影したんですよね?

マイク:そうです。デレク・ジャーマンはすべての公演にいたわけではありません。彼は最初の公演に参加していました。パッケージは、ザ・キング・オブ・ルクセンブルグ、アンソニー・アドヴァース(Anthony Adverse)、ルイ・フィリップ(Louis Philippe)でした。

The King Of Luxembourg – Valleri / Sketches Of Luxembourg (Vap, 25602-12)

イアン:ザ・キング・オブ・ルクセンブルグとは、サイモン・ターナー(Simon Turner)ですね。

マイク:サイモン・ターナー、そうです。

イアン:彼はCherry Red TVでもインタビューを受けています。

マイク:サイモン・ターナーは、ロバート・ミッチャムと共演した『大いなる眠り』の子役だったんですよ。彼は次なる〔ダニー・〕オズモンドや〔デヴィッド・〕キャシディになるべくして、ジョナサン・キングに育てられていました。彼はそれだけのルックスを持っていた。私たちがチェリー・レッドにいたころ、彼がやってきて、一時期、私たちのために働いていたこともありました。

イアン:そうでしたね。

マイク:プレスルームでね。だからザ・キング・オブ・ルクセンブルグは、彼がジョナサン・キングと一緒にいた頃に戻って、うまくやり直すための手段だったのです。そして、彼はそれを見事にやり遂げました。サイモンが作った最高のレコードは、まさに傑作であり、多くのファンを持っています。アラン・マッギーは、私たちがどうやって「Valleri」を作ったのか理解できず、ただただ素晴らしい、特別なレコードだと思ったと言っていましたね。自分では作れないようなレコードだと。私はそのことをとても光栄に思っています。そういえばサイモンはツアーのとき、ずっと飲みっぱなしでした。東京の撮影所に彼を連れて行ったんですが、そこで彼は「A Picture of Dorian Grey」に合わせてマイムしたんです。そのときのサイモンは、私がタクシーに乗せたり降ろしたりしなければならないほど酩酊していたんですよ。撮影所の中までね。そこで照明が点いた。雲は晴れて、プロフェッショナリズムが現れ、彼はプロの俳優ならではの素晴らしい身体表現を披露してくれました。カメラマンが最後に思わず拍手をしてくれました、本気でしたね。まあその後、彼は元の姿に戻ったんですけど(笑)。でも、それをステージでやってのけたサイモンは、信じられないくらい上手でしたよ。ええ、信じられないほど良かったです。サイケデリックなアンディ・ウィリアムスみたいな感じで、素晴らしかった。そしてデレク・ジャーマンはサイモンと長い付き合いになり、サイモンは彼のためにいくつかの映画音楽を提供しました。デレクはスーパー8のカメラを持っていて、会場のあちこちを撮影していましたよ。

イアン:その映像を見つけたいんです。サイモン・ターナーの家のどこかにあるはずなんですが、残念なことに残っていないそうです。

マイク:そうですよね。サイモン・ターナーの実家かなにかで、ベッドの下、缶の中に保管されているかもしれませんね。

エルの崩壊

Bad Dream Fancy Dress – Curry Crazy (Él, GPOT 33)

イアン:では、エルがどのような段階にあったのか、最初のフェードアウトについて簡単に教えてください。

マイク:いいでしょう。ウッド・ビー・グッズと、ザ・キング・オブ・ルクセンブルグの2枚目のアルバムで、私たちは本当に勢いに乗っていました。ウッド・ビー・グッズとバッド・ドリーム・ファンシー・ドレスで、スタイルが本当に確立されていました。その頃、ハンキー・ドリー(Hunky Dory)という子供グループと契約したいと思っていました。彼らはサセックス州のルイスに住んでいて、運命的な出会いがありました。それで、このパートリッジ・ファミリーみたいなグループと、我々の作家陣とプロデューサーで仕事をすれば、ヒットすると思ったんです。でも、事務所の状況が変わって、あなたは海外に行くことになりました。

イアン:旅行中でしたね。

マイク:残念ながら、みんなが私の熱意やあなたの熱意を共有していたわけではありませんでした。チェリー・レッドにとっても過渡期だったわけです。いくつかのアイデアは実を結ばなかった、とだけ言っておきましょう。エル・レコーズは、私が経営しない方が良いレーベルになるという考えが一般的だったんです。実際、あなたもいないのですから。

イアン:そうですね、難しい時期でした。わかっていただけるでしょうか。

マイク:そう感じていた人たちがいたのです。エル・レコーズの何たるかを理解していることはとても重要で、それはつまりキャラクターなのです。エル・レコーズを正常化しようとする人はほとんどいません。そんなことをすれば、その良さが全部なくなってしまう。それが問題なのであって、彼らは本当に、もしそうしたかったのなら、おそらくそのまま閉鎖すべきだったと思います。

イアン:そしてエルの最後のいくつかのリリースは、あなたは関わっていません。

マイク:そういう状況が反映されていたと思います、ええ、残念ながら。そして、そのことに関しては、誰にも良い印象を与えないと思っています。私は何よりもアーティストに失望しているのです。彼らがそうした理由も理解できますが、私とやっていたときのようなスタイルは持っていませんでした。そう感じました。妥協しすぎているように感じたんです。

イアン:それで、あなたは基本的にその絵から離れていき、エルはその後、非常に早く死んでしまった。

マイク:ええ、そうです。でも私はその絵から離れたくはなかったんです。しかし、結果的にそうなってしまいました。

Part 4に続く

[翻訳:sosaidkay]

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