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チェリー・レッド物語(2):1991年から現在まで

原文:
The Cherry Red Story
https://www.cherryred.co.uk/the-cherry-red-story/
上記テキストの後半、"The Cherry Red Story 1991 to 2017"という見出し以降の部分。なお小見出しは訳者が適宜補った。

(前半はこちら


再発盤と著作権ビジネスにシフト

イアン・マクネイは1991年、大きく変化した音楽業界の中で会社を再編成することを意図してチェリー・レッドに戻った。イアンはこう説明する。「マーティン・コステロが音楽出版(コンプリート・ミュージック)を経営し、レーベルを監督していた。素晴らしいことに、4年経っても私にはまだビジネスがあった。マーティンが主に情熱を持っているのは出版で、その間にレーベルの活動はかなり低下していた。それから間もなく、アダム(・ヴェラスコ、現チェリー・レッドMD)を雇ったんだ」。

アダムは1992年にチェリー・レッドに入社し、こう説明している。「16歳で学校を出て、ジャーナリズムのコースに進み、BBCの研修リサーチャーとして働いた。音楽の仕事がしたくて、『ミュージック・ウィーク』に広告を出したんだ。業界でいろいろな仕事をした後、チェリー・レッドから面接の電話をもらった。オフィス・ジュニアの役をもらって、それからが始まりだった」。アダムは数年後にマネージング・ディレクターになるまでに、チェリー・レッドのオフィスでほとんどの役割を担いながら出世していった。

イアンの休暇中に音楽業界は大きく変化していた。イアンはこう語る。「チェリー・レッドをどうやって前進させ続けるかという決断を迫られたとき、カタログを作ることを思いつき、たくさんのインディペンデント・レーベルの権利を獲得し始めたんだ。また、その頃に会社をアダム1人に戻し、ゼロからの再建を彼に課した。会社はこのままではうまくいかないと思ったし、十分なイニシアチブと潜在的なリーダーシップが感じられなかったんだ。私は再び経営に携わりたくはなかったが、アダムならできると感じたので、一掃してほぼ再出発した」。

アダムはこう説明する。「91年頃、イアンがフリックナイフの取引でビジネスに戻ってきて、マーク・ブレナン(リンク・ミュージック)と連絡を取ったんだ」。イアンはこう続ける。「マーティン・コステロがロル・プライヤーとマーク・ブレナンを呼んで、レーベルのことをこの2人に話したらどうかと言ったんだ。マークはパンク・コレクターズ・シリーズのアイデアを持っていた。それが私たちの最初のコレクターズ・シリーズだった。これが重要だったのは、彼が私たちのカタログを見て、再プロモーションを通じて何か少し違った形で出せるかを検討し始めたことと、さらに他のソースからライセンスするというアイデアも持っていたことだった。マークはレッドライノの権利を確保する手助けをしたことにも一部責任があり、私はその時点でフリックナイフ、ノー・フューチャー、ミッドナイト、イン・テープを買い占めていた。パンク・コレクターズ・シリーズは本当にうまくいった」。アダムはこう語る。「パンク・コレクターズ・シリーズをきっかけに、輸出ビジネスを立ち上げることにした。ゴス・シリーズ、ブリティッシュ・スティール・シリーズ(メタル・コレクターズ・シリーズ)、サイコビリー・シリーズ、そして後にフットボール・コレクターズ・シリーズを作ったんだ。それが会社の拡大の始まりだった。最初の頃は月に1枚だったけど、ある時期から月に10枚くらいリリースするようになった」。

サッカーがとりもつ仲

イアン・マクネイ。「フットボール・コレクターズ・シリーズは本当にいいアイデアで、最初からうまくいった。マイク・オールウェイの手柄に違いない。彼は『Four-Two-Four』というクラブ・コンピレーションを作った人で、それが私にアイデアを与えてくれたんだ。最初はアーセナルで、次にスパーズ、ニューカッスル、リバプール、エヴァートン、イングランドと続いた。その後、ティム・マドウィックが手伝ってくれるようになった。面白かったのは、従来の小売店では基本的に販売されなかったこと。多くの店では、どう扱っていいかわからなかったんだ。私たちはクラブに直接販売し、通信販売で多くの量を移し、ファンジンで宣伝した。小売店がフットボール・ジャンルのコーナーを持つようになったのは、2、3年後のことだった」。「私たちはショップにジャンル・カードを提供した」と、アダムも振り返る。「小さなサッカーボールと我々のロゴが入っていた。当時のすべてのミュージック・ショップに配ったんだ。私たちはサッカーのコンピレーションを本気で研究して、カップ戦の決勝戦の曲などわかりやすい曲はすべて手に入れただけでなく、さまざまなクラブのファンジンを編集している連中なんかに教えてもらって、本当に無名な曲まで調査した」。フットボール・コレクターズ・シリーズの評判を高めたのは、細部へのこだわりだった。無名で入手困難なトラックを見つけることは、サッカーファン、特に本物のファンにとって必要なことだった。アダムはさらにこう説明する。「このシリーズは60枚ほどリリースされ、多くのクラブでは2枚目、3枚目のコンピレーションをリリースした。当時はクラブと密接に協力し、どのクラブとも良好な関係を築いていた。それは成功し、みんな私たちの真似をし始めた。サッカーのアルバムをリリースしたのは、本当に私たちが初めてだったんだ」。イアンは続ける。「チェリー・レッドが当たり前のことをしなかったと同時に、新しい境地を切り拓いたもうひとつの例だ。シングル盤を除いては存在しなかった、サッカー関連のレコードというジャンルを創造したわけだから。それは何かまったく新しいものだった」。

Various – 4-2-4 The Él Compendium Of Soccer (Él, ACME 19)

この頃、チェリー・レッドはノンリーグ・フットボールのスポンサーシップの世界に関わり始めた。当時ライマン・リーグでプレーしていたキングストニアンFCのシャツのスポンサーになった後、チルトニアン・リーグ、ヘレニック・リーグ、後にコンバインド・カウンティーズ・リーグ、そしてさまざまなノンリーグ・カップ戦のスポンサー契約を結んだ。チェリー・レッドは長年にわたってサッカーに情熱を注ぎ、その情熱はコンピレーション作りよりもさらに先に進んでいる。イアンはこう語る。「以前の私たちは、水曜日の午後にハイド・パークに行ってサッカーをしていたんだ。全スタッフが参加し、さまざまなジャーナリストやディストリビューター、アーティストを招待した。契約中の人も、契約候補の人もね。楽しかった。当時A&Rを担当していたマイク・オールウェイは、この即席のサッカー試合を契約候補者の素質を見極める方法として使っていた。突然、チェリー・レッドとの契約について話をしにオフィスに来た誰かが、スタッフや他のさまざまな人たちとかなり激しい試合に駆り出されるのだ。マイクはよく言ったものだ。『イアン、サッカーの実力は関係ない。成功するためには、音楽的な能力だけでなく、強いキャラクターも必要なんだ』。ある時は『Sounds』や『NME』と11人制でプレーするようなちょっと変わった対抗戦もあったんだけど、あれは結構真剣になったね! たいていの場合は、男子も女子も楽しくやっていた。最高のプレーヤーのひとりがケイト・ジャカネロで、彼女は明らかに女子サッカーの先駆者だった」。近年、チェリー・レッドはスタッフで構成された5人制の強力なチームを育ててきた。数シーズンにわたって、彼らは屋内の5人制サッカーの音楽業界リーグでプレーしていた。イアンは続ける。「昔は、遊び半分で、変わった選手を起用したこともあった。あるとき、選手が2人ほど足りなかったので、リーズとイングランドのU21代表でセンターハーフを務めていたクリス・ホワイトと、当時キングストニアンFCの監督で、1975年にレザーヘッドがFAカップに出場したときの快進撃で有名な、レザーヘッド・リップことクリス・ケリーを起用したんだ」。RPMのマーク・ストラットフォードは、このチームでの自分の役割と、一度は得点さえしたことを懐かしく回想している。「ジョン・ロバーツ(プロダクション・マネージャー)の見事なスルーパスの後、私はゴール左上隅にシュートを決めた。ジョンから他の選手へのパスが邪魔になってボールにつまずき、横っ飛びしてキーパーを混乱させたこともあった。とはいえ、私はかつてチェリー・レッドのカラーを身にまとい、チェリー・レッドの誇り高きスポーツの歴史にゴールをもたらしたんだ」。

チェリー・レッド・レコーズ・スタジアム2016のイアン・マクネイ、ジャー・ウォブル、ニール・アードリー、アダム・ヴェラスコ

ここ数年、チェリーレッドはサッカー活動への支援を強化しており、現在はリーグ1のAFCウィンブルドンの新スタジアムのアウェースタンドのスポンサーを務めているほか、チャンピオンシップのウィコム・ワンダラーズのトップチームキットとトレーニングキットのスポンサーも務めている。

チェリー・レッドは、さまざまなスポーツ活動だけでなく、深い音楽知識のおかげで、長年にわたってトロフィー・キャビネットを急成長させてきた。特に印象に残っているのは、2009年のAIMクリスマス・クイズだ。ロンドン中心部で開催されたこのクイズで、チームは独立系レーベルや音楽ジャーナリストたちと対戦した。音楽的な適性を競う過酷なラウンドが何度か行われた後、スコアは同点となり、勝利はデジタル・マーケティング・マネージャーのリッキー・マーティンの腕(文字通り)に委ねられた。『インディペンデント』紙と首の皮一枚で並んだ後、リッキーは果敢にも腕相撲で賞を獲得したのだ。彼の言葉によれば、「これまで会った一番の大男」とのことだ。チェリー・レッドには現在も活発な音楽クイズ・チームがあり、近年はオフィスのメンバーやアンソニー・フィリップス(ジェネシス)などの世界的な音楽アイコンを含む、駆け出しのクリケット・チームも発足した。

ジャンル特化型の再発で成功

コレクターズ・シリーズの成功に続き、外部の既存レーベルをチェリー・レッドに迎えるという点で、最初の突破口となったのがRPMだった。「キース・ウェストから情報をもらったんだ」、とイアンは回想する。「キースは、RPMを経営しているマーク・ストラトフォードを訪ねるべきだと言った。マークと話をして、両社の間に良い相乗効果があることがわかったんだ」。アダムが続ける。「彼は確立されたカタログを持っていたから、たくさんのリリースを出していた。ピナクルのセールス・カンファレンスで、マークがいつもプレゼンをしていたのを覚えている。そのレーベルは有名で定評のあるリイシュー・レーベルだったが、私たちがカタログを引き継ぎ、今日に至るまでマークがレーベルを監督し、すべての新作リリースの面倒を見続けている。次に私たちが関わった再発レーベルはレヴ・オラで、カタログは持ってこなかったけれど名前には定評があったので、私たちはジョーと一緒に何年もかけて非常に多彩なカタログを作り直した」。

チェリー・レッドはその方向性を大きく変え、自分たちが得意とし、人気のある新しいものを見つけていた。さまざまなジャンルに進出し、そこには拡大する余地があった……それもチェリー・レッド独自のやり方で。ジャンルに関してチェリー・レッドほど多様なレーベルは他にない。ほとんどのリイシュー・レーベルは特定のタイプの音楽で知られているものだ。イアンはこう語る。「ユニークだったのは、RPMやレヴ・オラ、それからエソテリックのような活発なレーベルを私たちが手に入れたことだ。チェリー・レッドとの関係はそれぞれ微妙に異なっていた。それぞれのレーベルにとって最適な関係を見つけるということだ。それぞれのレーベルの強みを発揮させ、弱点をカバーする。サッカーチームに例えると、優れたフォワードがいるけれど、必要なときには優れたディフェンスがいるようにするんだ」。アダムはこう推測する。「メジャー・レーベルからのライセンスも始めた。RPMとレヴ・オラを通して彼らとの関係を築き、知られざるカタログや知られざるアルバムの多くをリリースし始めたんだ」。イアンは続ける。「どの大手企業とも関係を築くのは簡単ではなかった。彼らは、さまざまな関係者から、さまざまな素材をライセンスするよう依頼を受けるが、当然、彼らが懸念するのは、仕事が適切に行われ、期限内に支払われるかどうかだ。私たちが常に実行してきたことのひとつは、適切な場合にはアーティストを巻き込むだけでなく、ロイヤルティを期限内に支払うことだ。ユニバーサルの門を叩くのに5年ほどかかったことを覚えている。ランナウェイズのカタログをどうしてもリリースしたかったからだ。それ以来、彼らとの関係はとても良好で、他の大手企業ともそうだ」。

チェリー・レッドの真の精神に則り、次の試みは1970年代のグラム・ロックを取り上げた。アダムは言う。「70年代専門のレーベルについて、グラム・ロック・シーン全体について私たちは何年も話し合ってきた。パンク・コレクターズ・シリーズを運営していたマーク・ブレナンは、グラムの大ファンだった。私たちはある日『試してみよう』と思ったんだ。何かやってみよう、というのが私たちの哲学だ。会社を危険にさらすようなことでなければ、新しいアイデアに挑戦するのが好きなんだ。もちろんマークはキャプテンOiレーベルで知られているが、私たちはキャプテン・グラムと呼んでいるね! 7Tsレーベルの最初のリリースはグリッター・バンドだった。それからファンやコレクターからのフィードバックを待った。インターネットが普及する以前から、私たちはいつもみんなに手紙を書くようにお願いしていたから、ファンからの素晴らしいアイデアがいつもたくさんあった。この頃、80年代ポップへのリクエストが多いことに気づき始めた。最初はちょっと懐疑的で、コレクターズ市場なんてないと思っていたんだ。でも、みんなからちょっとした勧誘を受けるようになり、またもや新しいことに挑戦する精神で、80年代ポップに挑戦することにした。80年代ポップ・ファンほど獰猛で忠実なファン・ベースはないとすぐにわかった。チェリー・ポップというレーベル名は、一緒に働いていた友人のベッキーからもらった。オフィスでその話をしていたら、彼女が『チェリー・ポップってのはどう?』って叫んだんだ。彼女からはいまだにロイヤルティーをせがまれてるよ!」


Various – Scared To Get Happy (A Story Of Indie-Pop 1980-1989) (Cherry Red, CRCDBOX10)

そこから理にかなった次の段階は、『Scared To Get Happy』のようなジャンル全体にわたるボックスセットや、歴史的なアーティストのコンピレーションを手がけることだった。『A Story of Indie Pop 1980-89』や『Close To The Noise Floor』などだ。アダムはこう説明する。「リイシュー市場全体が進化している。以前は、ほとんどの会社がボーナストラック付きの1枚組のCDをリリースしていた。最近は市場が大きく変わり、人々はより多くのものを求めるようになった。多くのアルバムは、見つけることができる限りのボーナス・トラックを死ぬほど収録している。私たちは、人々がキャリアの長いアーティストに興味を持っていることに気づいた。特にボックスセットやアンソロジーに十分な音源がある場合は、彼らの全楽曲をカタログ化しようとするのはいいことだ。コンピレーションに関しては、『Best Of Punk』や『Best of Pop』といった格安CDがたくさん出回っているので、私たちは切り口を見つけ、深く掘り下げることのできるシーンを描写することで、差別化を図っている。わかりやすいトラックだけを選びたくはない。ビッグネームも収録しているけれど、ファンが興味を持っているのはもっと無名な名前や曲だと感じているんだ。ファンが求めているのは組み合わせの妙なんだ。それと同時に、私たちは正しい切り口を見つけたいし、これまでになかったものを見つけたいし、どうすれば人々に興味深い形で表現できるかを常に意識している。私たちのコンピレーションの多くは、ある時代やシーンを物語っているんだ」。

チェリー・レッドの歴史の中でリリースされた最も重要なボックスセットのひとつは、ホークウインドのプログレッシブ・ロックというジャンルを代表するアルバム『Warrior On The Edge Of Time』である。乗り越えられないと思われたハードルを乗り越え、アダムはさらにこう語る。「カタログの大部分について、現メンバーと元メンバーから20人以上の署名をもらわなければならなかった。もちろん、それは困難なことだ。バンドと元マネージャーのダグ・スミスの助けを借りて、なんとかメンバー全員を探し出し、契約書にサインしてもらったんだ。『Warrior On The Edge Of Time』に関しては、うまく発表できたと思いたい。マーク・パウエル(エソテリック・レコーディングス)は、バンドを別次元に引き上げるような形でこの作品を発表するという、素晴らしい仕事をしてくれた。ホークウィンドは常に活動しているし、世界中をツアーしている。彼らと長く一緒に仕事ができることを願っている」。イアンはこう総括する。「私たちは諦めない。プロジェクトをクリアするのに数年かかるかもしれないが、そのプロジェクトに価値があり、可能性を感じれば、続けるだけだ。ボックスセットに関しては、人々が買いたいと思うフィジカル製品を作り続けることが課題であり、それはますます難しくなっている。時間が経つにつれて、フィジカルはより工芸品に近くなっていく。人々が何を欲しがるかを先回りして考えなければならないが、それがチェリー・レッドのやり方だ。私たちは常に物事の行く末を考え、先手を打つようにしている。私たちのボックスセットは、それ自体が画期的なものだ。非常によく練られ、プレゼンテーションされている。大物と無名のものを組み合わせることで、さらに魅力的なものになるんだ。何が入っているのか興味をそそるから。それらは、歴史上のその時期のあるジャンルを定義するものであり、後世に残る工芸品となる」。他にリリースされたボックスセットには、『Creation Artifact: The Dawn Of Creation Records 1983-1985』、『Millions Like Us: The Story of the Mod Revival 1977-1989』、『C86 - The Deluxe Edition』、『Action Time Vision: A Story of UK Independent Punk 1976-1979』、『Still In A Dream: A Story Of Shoegaze 1988-1995』などがある。

新譜リリースの再開

チェリー・レッドは2009年にニュー・アルバムのリリースを再開したが、そのきっかけはマーク・アーモンドのソロ・アルバム『Orpheus in Exile』だった。アダムはこう説明する。「バーニー(・アシュトン、SFEレコーディングス)から、マークのニュー・アルバムをリリースしないかと持ちかけられたんだ。私たちは長年リイシューの方に専念していたので、一緒に仕事をしたことのあるアーティストがニュー・アルバムを出そうとアプローチしてくることもあったのだが、いつも少し渋っていた。試してみたいとは思っていて、マークとならうまくいくと思えたんだ。新しいアルバムには間違いなく可能性があった。結果的に私たち双方にとってうまくいった。そのおかげで、他のバンドにも声をかける自信がついたんだ。メジャーの新譜リリースが減り、アーティストが契約を打ち切られるようになったから、レコード契約を結んでいないけど確かなファン・ベースを持っている素晴らしいアーティストの宝庫ができていた。足を踏み入れたらうまくいったので、それをもっと拡大したんだ」。いまやそのリストは数百にもなっており、その中にはザ・ゾンビーズ、ホークウインド、トッド・ラングレン、ハウス・オブ・ラヴ、クラウディア・ブリュッケン、スワーヴドライヴァー、ポリフォニック・スプリー、アンディ・ベル、ベティ・ラヴェット、ゴーカート・モーツァルト、ザ・フォールなどが含まれる。アダムはこう続ける。「いちばんビッグなグループのひとつがザ・フォールだ。マーク・E・スミスとの関係を楽しんでいるよ。私たちは謎めいたアーティストと仕事をするのが好きなんだ。ローレンス(フェルト、デニム、ゴーカート・モーツァルト)はファミリーの一員である素晴らしいソングライターで、彼との仕事を楽しんでいる。ローレンスとはずっと一緒に仕事をするつもりだ。チャート・ヒットもいくつかあって、ザ・フォールによるものや、ホークウインドのトップ30アルバムもあった(『The Machine Stops』、2016年)」。

現在、チェリー・レッドは26以上のレーベルの本拠地となっており、そのすべてはそのジャンルのエキスパートが率いていて、幅広い音楽をカバーしている。ソウルやファンク、ジャズから、ロック、プログレ、パンクまで……そしてポップ、スカ、カントリーも充実している!

マイク・オールウェイ

チェリー・レッドの形成期を支えたレーベルのひとつが、元A&Rのマイク・オールウェイが率いるエル・レーベルだった。エルは、マイク・オールウェイがチェリー・レッドに復帰した1986年に再発足した。マイクはこう説明する。「レーベルの初期コンセプトは、コンテンポラリーなシーンに対する私の応答だった。私は、音楽の内と外の両方で、演出の連続性とアートディレクションに重点を置いた新鮮なアプローチを提供しようとしたんだ」。演劇的な、あるいは映画的なアプローチをとったとマイクは続ける。「ポップアートと伝統の融合。『おしゃれ(秘)探偵(The Avengers)』のテレビシリーズや、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーのコダクローム映画からは特にインスピレーションを受けた」。あらゆる機会をとらえて業界の決まりごとから離れようとしていたマイクは、エルが5枚の10インチEPをプレスでのファンファーレとともに同時リリースしようとしていたときのことを覚えている。「美しいジャケットの色校を見せたのだけど、その週に担当した『Melody Maker』の記者は曲の試聴用カセットを置き忘れていってしまったんだ。当時はもちろんインターネットもなく、締め切りも迫っていたので、私たちは彼にジャケットをよく見て、そのビジュアルから示唆されるサウンドに沿ってレコードをレビューしてみるように提案した。その記者は好意的で参加に同意してくれ、この斬新なアプローチを『素晴らしいゲーム』だと思うと書いてくれたんだ。そして1週間後、私たちは貴重な宣伝の大きな柱を手に入れたことに気づいた」。遊び心にあふれた態度が好意的な評価を後押ししたケースだった。2004年以降、エルは、ポップ・サイケデリア、軽いほうのジャズ、音楽の印象派、20世紀の前衛、そしてインドやブラジルの音楽など、音楽における演劇や映画の世界へとはっきりと移行していった。つまり、元のレーベルに影響を与えた文化や多様性が、ある意味で一周して元の位置に戻ってきたのだ。

マーク・ブレナン

マーク・ブレナンは長年チェリー・レッドに関わっており、現在は7Tsとアナグラムというレーベルを率いて、それぞれ入手困難なグラム・ロックとパンクの絶版アルバムをリリースしている。マークは当初の発想をこう語る。「私がイアンと最初に出会ったのは、当時の私のビジネス・パートナーだったロル・プライヤーと一緒にオフィスに来たときで、その頃チェリー・レッドはアルバム・リリースを増やす方法を探していた。私はパンク・コレクターズ・シリーズのアイデアを持っていた。彼らは本当に優れたパンクのカタログをたくさん持っていたし、〔ブレナンとプライヤーが運営する〕リンク(Link)の作品や他のソースからのライセンスを手助けできると思っていたんだ。シリーズを始めてからは、リリース・スケジュールを月1枚から月3、4枚に増やしていった。イアンと私はフルハム通りにあるカフェに通い、まともなリリース・スケジュールを立てようと決心した。新譜リリースに自発性を持たせるようなものをね」。レーベルの創意工夫は、群れから抜きん出るのに役立った。チェリー・レッドがヴィニー・ジョーンズをカンヌで開催されたMIDEMのセールス会議に連れて行ったのは、その良い例だ(本当に驚くべきは、それが等身大の段ボールの切り抜きだったことだ)。マークは続ける。「イアンが、1966年のワールドカップ決勝でイングランド代表としてゴールを決めたマーティン・ピータースを、当時のディストリビューターであったピナクルのセールス会議に招待したときのことを覚えている。マーティンはサプライズ・ゲストで、ウェストハム時代の話やイングランド代表でのプレーについて話してくれた。イアンはまた、当時スポンサーだったキングストニアンFCのゴールをリプレイで見せて、集まった聴衆を退屈させることもあったね!」。

ティム・マッジウィック

ティム・マッジウィックは長年チェリー・レッドに携わっており、チェリー・ポップ・レーベルのためにさまざまなポップ関連のレア盤を制作するかたわら、アーセナルFCを応援し、ティースデールの商業農場で羊や子羊を育てている。ティムはサッカーのコンピレーションを手がけるために、90年代半ばにチェリー・レッドに引き抜かれた。「当時は何もかも違っていて、何事もサッカーのファンジンを通して行われていた」とティムは振り返る。「私はさまざまなアーティストのマネージメントをしていたけど、イアンはサッカーのレーベルを再開したがっていたんだ。私はオフィスに入って、アダムとアーセナルの話をした。そういうことだね!」。サッカーから音楽へと徐々に移行していくというのは、チェリー・レッドの初期はまさにサッカーに集中していたし、マーク・ストラットフォードやマーク・ブレナンの初期の頃もそうだった。サッカーがビジネスの中心であるような小さなチームで仕事をすることで、楽しい日々を過ごすことができたのだ。「ウェンブリーでイングランド代表の試合があるたびに、チェリー・レッド版の接待をしたものだ。スタジアムの近くにあるカレーハウス、ウェンブリー・コテージにみんなを連れて行ってね! マーク・ブレナンはいつもタンドリーチキンを注文していたんだけど、ある時ついに理由を聞いたら、ケチャップをかけられないものは信用できないって言われた」。現在、ティムが生産しているのは素晴らしい音楽だけではない。彼のラム肉は賞に輝くもので、2015年のグッド・テイスト賞を受賞した。今年はマトンを狙っている。

RPM、ビッグ・ブレイク、エソテリック

RPMレーベルは、1960年代から1980年代のイギリスとアメリカのリイシューと特注コンピレーションを専門としている。『The Teenage Opera』にジョー・ミークの『I Hear A New World』、ジ・エアロヴォンズ、モッズを定義する『Looking...』ボックス・セットなど、多くの象徴的なリリースが作られてきた。派生シリーズには、イギリスとアメリカ以外の60年代/70年代の録音を集めたRPMインターナショナル、ニュージーランドとオーストラリアに焦点を当てたフレンジー、クラシック・ソウルとR&Bの遺産を集めたシャウトなどがある。レーベルの創設者であり代表のマーク・ストラットフォードは、チェリー・レッドとの付き合いが始まったきっかけをこう振り返る。「イアンは当時私たちが代理で扱っていた1980年代のポスト・パンク・バンド、オー・ペアーズの音源をベスト盤としてライセンスすることを相談しに、オックスフォードの私のオフィスを訪ねてきた。彼はオー・ペアーズのベスト盤と、RPMレコードがチェリー・レッドのレーベル・グループに加わることになる種を持ち帰った」。

ウェイン・ディクソンは、60年代、70年代、80年代のクラシックなブラック・ダンス・ミュージックを専門とするレーベル、ビッグ・ブレイク・レコードを主宰している。その旅はサイケデリック・ソウルやジャズから始まり、ファンクやフィリー・ソウル、ディスコ、そしてストリート・ソウル、ポップ・ダンス、エレクトロまでに至る。ウェインがチェリー・レッドと連絡を取ったのは、ソニーで数年間コンピレーションを作った後だった。ウェインは言う。「結局、私がアダムと連絡を取ったのは、彼らがリリースしたアルバムのことをあまり気に入らなかったからなんだ! 私ならもっとうまくやれると思ったし、私たちがやったグロリア・ゲイナーのアルバム(『Never Can Say Goodbye』)は新レーベルを立ち上げるための完璧な出発点だった。アイデアは可能な限り幅広くとろうとしていた。アメリカの多くの人々が一度は購入したことがあるブラック・ミュージックをリリースするということだ」。BBRのディスコグラフィには400枚弱のリリースがあり、これらのクラシック・ジャンルにはまだ大きな需要があることを示している。

2007年に設立され、マーク・パウエルがレーベル代表を務めるエソテリック・レコーディングスは、プログレッシブ、サイケデリック、クラシック・ロックの本拠地であり、すべてのリリースは最高の音質を保証するために、可能な限り最高のソースから細かくパッケージングされ、リマスタリングされている。このレーベルのリリースは、優れた歴史と伝統を持つアーティストの過去作品と、刺激的な新作の両方をカバーしている。バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェスト、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター、アンソニー・フィリップス、ザ・ムーディー・ブルース、トッド・ラングレン、ヴァンゲリスなどだ。エソテリックの姉妹レーベルには、エソテリック・アンテナ(定評のあるアーティストや新人アーティストの新譜に特化したレーベル)、アトムヘンジ(ホークウインドのカタログや彼らのサイド・プロジェクトに焦点を当てた、先駆的なサイケデリック&クラシック・ロック)、リアクティブ(タンジェリン・ドリームなど、ドイツのプログレ、エレクトロニック、エクスペリメンタル、アンビエントの名盤)、マンティコア(PFMやピート・シンフィールドなどのアーティストをフィーチャーしたELPの70年代クラシック・レーベルのリバイバル)、コクトー・ディスク(他に類を見ないビル・ネルソンのカタログ再発盤)などがある。

エソテリック・アンテナは、元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットと、惜しくも脱退したイエスのメンバー、クリス・スクワイアのコラボレーションであるスクワケットの『A Life Within a Day』で最初の大成功を収めた。その後、トッド・ラングレンの高い評価を得た2枚のアルバムとジャック・ブルースの最後のスタジオ・アルバム『Silver Rails』がビルボード・チャートにランクインした。ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターのアルバム『A Grounding in Numbers』と『Do Not Disturb』、ジョン・リーズ率いるバークレイ・ジェイムズ・ハーヴェストの『North』もヨーロッパで成功を収めた。2014年、アンテナはムーディー・ブルースのメンバー、ジョン・ロッジのアルバム『10,000 Light Years Ago』もリリースした(ムーディー・ブルースの元メンバー、レイ・トーマスとマイク・ピンダーも参加しているのが特徴)。

2017年、エソテリック・レコーディングスは設立10周年を迎え、プロコル・ハルムとザ・ムーヴのカタログを再発し、レーベルとしてさらなる成功を収めた。ビー・バップ・デラックスの全カタログ、バークレイ・ジェームス・ハーベストの旧パーロフォン&ハーベストのカタログ(ゴールドディスクをとった名盤『Once Again』を含む)、イエスのメンバーであるクリス・スクワイアの伝説的なソロアルバム『Fish Out of Water』、カーヴド・エアの最初の4枚のアルバムを獲得したおかげで、レーベルにとって今後さらに興味深いプロジェクトが予定されている。プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカーのソロ作品と、『ブロークン・バリケード』以降のプロコル・ハルムの全カタログも、エソテリック・レコーディングスで再編集される予定だ。

その他のサブレーベル

7T'sレコードは、すでに100タイトル以上をリリースしており、70年代以降のあらゆるものを扱うレーベルとなっている。10ccのアート・ポップから、ザ・グリッター・バンドのグラム・ストンプ、ショウワディワディのロックンロールまで、70年代にはすべてがあった……そして7T'sレコードにもすべてがある。このレーベルは、キャプテン・オイとアナグラム・レコード・レーベルも運営する音楽業界のベテラン、マーク・ブレナンが監修している。

デイヴィッド・ウェルズがマネージメントするチェリー・ツリーは、チェリー・レッドのフォーク/シンガーソングライターの特注レーベルで、60年代後半から70年代前半のレア盤や名盤の決定版、また同時期の未発表音源のリリースに専念している。再発されたアーティストには、デイヴ・スワーブリック、イアン・キャンベル・フォーク・グループ、ジュリー・コヴィントン、ヤン・デュークス・デ・グレイなどがいる。デイヴィッドはまた、サイケ/ガレージ期の特注レーベルであるグレープフルーツ・レーベルも統括しており、ひとつのアーティストのキャリアをまとめるアンソロジー(ザ・ハード、ザ・ソロウズ、ザ・ニッカーボッカーズ)や、1966年から70年にかけてのレア盤/名盤の決定版(ダンカン・ブラウンのデビュー作、スキップ・ビファーティ、ティンカーベルズ・フェアリーダスト)をリリースしている。

クロイドン・ミュニシパルは、デジタル世界でアナログ・ポップ時代を理解しようとする試みである。このレーベルは、セイント・エティエンヌのボブ・スタンレーがキュレーターを務めている。彼は、古い45回転盤や78回転盤のレコードを箱の中から探し出し、さっと洗ってパッケージングし、手頃な価格で再び入手できるようにするのが大好きだ。ボブはこれを公共サービスだと考えている。それはまた、過去、つまりポップスの黎明期をキュレーションする方法としても意図されている。

HNEレコーディングスは、ロックとメタルの世界から最高の名盤を再発することを使命とする、ハードロックとヘヴィメタルのレーベルとして設立された。これまでモーターヘッド、ユーライア・ヒープ、ダイアモンド・ヘッド、ガールスクール、ミート・ローフ、アリス・クーパーなどをリリースしてきた。最近HNEは、ディープ・パープルのレコード・レーベルであるパープル・レコードと提携し、もともと1968年にイギリスのパーロフォン・レコードと契約し、翌年EMIのプログレッシブ・レーベルであるハーベストに移籍した時期のアルバムをリリースしている。パープル・レコードは1971年に設立され、ディープ・パープルのレコードをリリースするだけでなく、バンド・メンバーが展開していた様々なサイド・プロジェクトや、彼らが発掘し尊敬していたアーティストもリリースしていた。このレーベルはやがて、ディープ・パープルのジョン・ロード、ロジャー・グローヴァー、デヴィッド・カヴァデール、グレン・ヒューズのソロ・デビュー作や、イヴォンヌ・エリマン、ロニー・ジェイムス・ディオのエルフでの初期リリースをリリースする本拠地となる。このレーベルはヒュー・ギルモアが監督している。

ホット・ミルクは、チェリー・レッドのオフィスでエディ・ボール(ビジネス・アフェアーズ、パブリッシング)によって運営されている、失われた名盤を蘇らせるレゲエ・リイシュー・レーベルである。プロデューサー、エイドリアン・シャーウッドの貴重なアーカイブや、ジ・アップセッターズ、バリー・ブラウン、キース・ハドソンの失われたアルバムなどがリリースされ、CDと12インチでリリースされている。

レモン・レコーディングスは、70年代から現在までのクラシック・ロックとニュー・ウェーヴの最良のアルバムを扱っており、レアなアーカイブ・クラシック、高品質な再発盤、有名バンドの未発売アルバムをフィーチャーしている。2003年に設立され、A&Rのエキスパートであるスティーブ・ハモンズによって運営されているレモン・レコーディングスは、ガールスクール、シティ・ボーイ、ハンブル・パイ、バックマン・ターナー・オーバードライブ、ミック・ロンソンなど、ロック史に名を残す大物アーティストを擁し、力強く成長している。

モレロ・レコードは2012年7月に設立され、最高のカントリー・ミュージックのリイシュー盤をリリースしている。リリースの多くはこれまでCD化されたことがなく、世界中のコレクターに人気がある。このレーベルは音楽専門家のリー・シモンズが指揮を執り、ランブリン・ジャック・エリオット、ジョージ・ジョーンズ、タミー・ウィネット、ミック・ソフトリーなどを取り上げている。

ナウ・サウンズは、スティーブ・スタンレーによって設立されたレーベルで、彼はレヴ・オラの50タイトル以上のプロデュースからスタートした。このレーベルは、創造性豊かな西海岸の音楽シーン、そしてその先の、前人未到の音の道を探求することに専念している。ソフト・サイケデリア、爽やかなハーモニー・ポップ、ガールズ・グループ、スペクター・サウンド(とその模倣者たち)、フォーク・ロック、ダウナー・フォーク・サイケ、そしてその中間にあるものすべてを通して、ポピュラー音楽の黄金時代(1964~1972年)を讃える。リリースには、限定ボーナストラック、長いライナーノーツ、未発表写真が含まれる。

フェニックス・シティ・レコードは、ショーン・フラワーデュー(パーマ・インターナショナル/ザ・ローファーズ)によって運営されている。このレーベルは、世界中の最高のスカ、ロックステディ、レゲエ、ソウル、ダブに焦点を当て、名盤のリイシューと衝撃的な新しいサウンドをミックスしている。ソニック・ブーム・シックスやローダ・ダカールの新譜がリリースされている。

尊敬する『Mojo』誌のジャーナリスト、デイヴ・ヘンダーソンが主宰するレーベル、ライチャスは、痛切なカントリー、忘れ去られたソウル、その他奇妙なエキゾチカを専門としている。ジョージ・ジョーンズからハンク・スノウの不朽の名曲「When Tragedy Struck」、そしてディランのひねくれた曲作りのインスピレーションのルーツまで、それがライチャスのサウンドだ。

ロビンソングスは、チェリー・レッドのライセンシング・マネージャー、ポール・ロビンソンが運営する、ジャズ、ファンク、ソウルのベスト盤をリリースする専門レーベルである。ロビンソングスのリリースの特典は、通常1枚以上のアルバムが手に入ることで、ダブル・アルバムやベスト盤コンピレーションを得意としている。ロビンソングスからリリースされるアーティストには、ザ・バー・ケイズ、カメオ、ジミー・キャスター・バンチ、コン・ファンク・シャン、ジョニー・ギター・ワトソンなどがあり、ジャズ・ファンク・シーンではイドリス・ムハンマド、ボブ・ジェームス、ハンク・クロフォード、リー・リトナーなどがいる。全タイトルがリマスターされ、現在最高のジャズ、ファンク、ソウル・ジャーナリストたちによるスリーヴ・ノーツが付いている。

ストライク・フォース・エンタテインメントはチェリー・レッドと提携し、80年代、90年代、そして現代のポップ・アーティストの新譜と再発盤をリリースしていく。SFEは、マーク・アーモンド、アンディ・ベル、ジミー・サマーヴィルなどの新譜をリリースし高い評価を得ているほか、ヴォルフガング・フリューア(クラフトワーク)、ダスティ・スプリングフィールド、ライザ・ミネリ、エレイン・ペイジなどの再発盤やコンピレーションもリリースしている。SFEはまた、最高の特殊DVDもリリースしている。第一次世界大戦からスウィンギン・シックスティーズのロックンロールまでのいろいろな歴史ドキュメンタリーや、カルト・クラシックな長編映画も多数ある。

ソウルミュージック・レコーズ(SoulMusic Records)は、クラシックとコンテンポラリーのR&Bとソウル・ミュージックにおける最高のサイトのひとつとされる、その名を冠したWebサイトから順当に発展して2008年に設立された。このサイトはもともと、著名なR&Bの歴史家、作家、スリーブノーツライター、音楽ジャーナリストであるデイヴィッド・ネイサンによって2000年に作られた。チェリー・レッドとの提携以来、このレーベルは飛躍的な成長を遂げ、現在ではナンシー・ウィルソン、ザ・テンプテーションズ、ジョージ・デューク、ザ・ポインター・シスターズ、ザ・スリー・ディグリーズといった世界的なアイコンを含む150枚以上の再発盤と新譜を誇っている。デヴィッド・ネイサンはこう語る。「私は長年クライヴ・リチャードソン(シャウト・レコーズ、ソラー・レディオ)と仕事をしてきましたが、素晴らしいWebサイトを拡大しようとしたとき、彼がアダムに連絡を取ってくれました。音楽とソウルの豊かな歴史に対する私たちの愛が、ソウルミュージック・レコーズをソウルが目指すべき場所にしているのです」。

著作権ビジネスとオーラルヒストリー

ここ数年、チェリー・レッドはライセンスのカタログを築き上げてきており、現在では過去50年間のほとんどすべてのポピュラー音楽ジャンルを網羅する膨大な録音物の目録を扱い、多くの音源の世界的権利を保有している。出版部門であるチェリー・レッド・ソングスを通じて25,000件近くの著作権を管理しており、マスターも管理しているため、多くの楽曲をワンストップで提供することができる。チェリー・レッドの楽曲は、『ストレンジャー・シングス 未知の世界』や『コール オブ デューティ』など、さまざまな映画、テレビ、ゲームで使用されている。マット・ブリストウ(商務担当)はこう説明する。「私たちは、映画やテレビ番組のディレクターと一緒に、撮影したシーンに音楽を合わせるために働く音楽監修者とよく会います。すぐに使えるトラックがある場合が多いのですが、私たちのデータベースにアクセスして、それを彼らのシステムに組み込むこともできます。そうすることで、あるテーマに関する曲が必要な場合、私たちがその曲を持っている可能性があるということを彼らがすでに知っているようになりました。何十年もの間に私たちがリリースしてきたさまざまなスタイルやジャンルの音楽を求めてやってくる人々と、関係を築いてきたのです」。

チェリー・レッドTVは、音楽アーティスト、レーベル、作家との綿密なインタビューを配信する、レーベルのポータルサイトだ。インタビューには、トッド・ラングレン、ビッグ・カントリー、スージー・クアトロなどが含まれ、彼らのキャリアについて語っている。アーティストやソングライターと並んで、クリエイション・レコード、ベラ・ユニオン、クッキング・ヴァイナルなど、最も影響力のあるインディペンデント・レコード・レーベルの立役者たちのインタビューもある。これはイアンのビジョンで、彼はこう語る。「レーベルのボスにインタビューするというアイデアからチェリー・レッドTVを始めた。創設者へのインタビューを通して、レーベルのストーリーを知りたかったんだ。ジャングル、ミッドナイト、クリエイション、クッキング・ヴァイナルなどのレーベルを取材した。チェリー・レッドにとって、このような素晴らしいストーリーを世に送り出し、みんなに聞いてもらうことは、私たちのやり方の一部だった。ここ数年でそれは発展し、一緒に仕事をした多くのアーティストにもインタビューするようになった。アンソニー・フィリップス(ジェネシス)がその良い例だ。私たちはチェリー・レッドTVを進化のプロセスだと考えていて、『My Adventures in Music』という新しいシリーズを始めた(ジョン・レッキー、フィル・ウェインマン、マーティン・ヒース、ゲド・ドハーティのインタビューを含む)。これは、この業界で長いキャリアを積んできた人たちに話を聞き、音楽業界で働き始めたいと思っている他の人たちに見識を提供するシリーズだ」。

2017年初頭、チェリー・レッドはその充実した名簿に加え、エキサイティングな新カタログの入手を開始した。ザ・フォールのバック・カタログの権利を購入するだけでなく、レーベルは現在、レジデンツとそのマネージメントであるクリプティック・コーポレーションとパートナーシップを結んでいる。T.K.O、パープル・レコーズ、グレン・ヒューズ、シアター・オブ・ヘイトの権利(2016年末に契約)と並んで、チェリー・レッドは現在、メル&キム、カーヴド・エアー、ビー・バップ・デラックス、キム・ワイルド、ハワード・ジョーンズ、アーサー・ブラウンのカタログのすべて、または重要な部分の権利を所有している。

2018年から2020年まで

レーベルは2018年に創立40周年を迎え、9月に開催されたAIMアワードでは、独立系UK音楽を普及させまた枠を押し広げるためのたゆまぬ努力が評価され、イアン・マクネイ会長に特別功労賞が贈られた。チェリー・レッドはまた、英国初の「ナショナル・アルバム・デー」(2018年10月13日)を支援した(そしてその形成に一役買った)ことを誇りに思っている。これは不朽のフォーマットであり、音楽を楽しむための真に特別な方法であるアルバムを国全体で祝う日だ。ナショナル・アルバム・デーは現在、何千人もの人々が参加する恒例行事となり、BBCラジオによって全国的にサポートされている。

ストローブスの膨大なバック・カタログを保有するウィッチウッド・メディアや、インディーズ・レーベルのネイティヴ、イネヴィタブル・レコーズ(デッド・オア・アライヴ)を買収したことで、カタログ事業も拡大した。また、ザ・フォールの音源やジェネシスのファースト・アルバム『From Genesis To Revelation』の契約も結ばれた。

2019年末から2020年初めにかけて、チェリー・レッドはサファリ・レコード(トーヤ、ジェイン・カウンティ、ザ・ボーイズ)、エメラルド・ミュージック(ゼムのジム・アームストロングとジョン・ウィルソン、ミッキー・モデルなど)、チャプター・ワン(レス・リード、エピソード・シックス、サムライ、グラハム・ボンドなど)などのレーベルとアルバム・カタログをさらに獲得した。

チェリー・レッドはまた、アトリックス・レコード(ピーター&ザ・テスト・チューブ・ベイビーズ)やネイティブ・レコード(スクリーミング・ツリーズ)など、多数のインディーズ・レーベルのカタログも獲得している。2020年に獲得したアーティストのカタログには、グレン・ヒューズ&トラピーズ、ロックバンドのザ・ステアーズ&エドガー・ジョーンズ、サイケデリック・ロックバンドのジュヴリー、ヘヴィメタルバンドのサー・ロード・ボルティモア、サイケデリック・ロックバンドのアウトスカーツ・オブ・インフィニティ、NWOBHMバンドのスパイダー、ギタリストのポール・ブレット、レコード・ロデューサーでミュージシャンのトム・ニューマン、カナダのパブロッカーのフィリップ・ランボウなどが含まれる。

近年、チェリー・レッドはチャートでも成功を収め続けている。レーベルのベテラン、ホークウインドがスタジオ・アルバム『All Aboard The Skylark』(2019年7月)で全英アルバム・チャート34位を記録し、元カーター・ジ・アンストッパブル・セックス・マシーンのフロントマン、ジム・ボブは2020年8月のソロ・アルバム『Pop Up Jim Bob』で26位を記録した。

2020年、チェリー・レッドは、ブーガルー、トータリー・レディオ、SFOBレディオなどの放送局で聴ける、まったく新しい月刊ラジオ番組で活動の幅を広げている。これに加えて、アーティストや業界の重鎮との綿密なインタビューをYouTubeやポッドキャストで配信している。

今年で42年目を迎えるこのレーベルは、継続と成長を果たした羨望の的であり、年間400以上のリリースを誇る、世界で最も多作なレコード・レーベルのひとつである。イアンはこう推測する。「70年代後半のインディペンデント・レーベルは3つしか残っていない。エース、ベガーズ〔・バンケット〕、チェリー・レッドのABCだ。他はみんな閉鎖したか買収された。私たちは、A&Rが上手な人を選び、歴史を踏まえ、彼らが得意なことを活かして、チェリー・レッドの枠組みにはめ込む。彼らが得意な要素で活躍し、苦手な部分を私たちがカバーするわけだ。そこにはアートがある。チェリー・レッドで一貫しているのは、自分たちの仕事に対する情熱と、自分たちが代理する音楽とアーティストのためにベストを尽くすという決意だ。私たちはあえて人と違うことをし、新しい機会を探し、自分自身を改革することを厭わない」。

チェリー・レッド・レディオの番組で、イアンがレーベル設立当初の話をするのを聞いてみよう。

[翻訳:sosaidkay]

訳者からひとこと

「The Cherry Red Story」の後半、"The Cherry Red Story 1991 to 2017"という見出し以降の部分の翻訳です。おそらく2017年時点で一回完結したのち、2018年から2020年までの情報も追記されたものと思われます。

1991年にイアン・マクネイがチェリー・レッドに復帰してから現在に至るまでの経緯が、関係者の証言を交えながら記されています。90年代に入って新人発掘がうまくいかなくなり、再発盤と著作権ビジネスに活路を見出していったこと、そして現在は「出版部門であるチェリー・レッド・ソングスを通じて25,000件近くの著作権を管理しており、マスターも管理しているため、多くの楽曲をワンストップで提供することができる」ような体制にあるという、外からは見えづらい実態が説明されていて非常に興味深いです。

チェリー・レッド以前にレコード会社で働いた経験があったイアン・マクネイには、音楽出版と著作権ビジネスの可能性が早いうちから見えていたということなのでしょう。前半部分でも、チェリー・レッドの80年代の拡大期を支えたチームとして、音楽制作部門でのマイク・オールウェイと、音楽出版部門のセオ・チャーマーズの名前が同格で取り上げられていました。「セオの任務は、外に出かけて、たとえ録音物を私たちが持たなかったとしても、興味深いバンドの出版契約を結ぶことだった」。複数のインディー・レーベルの音源をワンストップで管理する、原盤権がなくても出版権だけでも持つ、みたいなことをもともとやっていたわけですね。

そういえば前半の翻訳で少しコメントした、マイク・オールウェイとの関係がなぜ途切れなかったのかという疑問。もしかするとマイクがブランコ・イ・ニグロに引き抜いていった看板アーティストたちについても、出版権はチェリー・レッド・ミュージックに残ったままだったから、って事情があったのかもしれませんね。「マット・ジョンソン(ザ・ザ)、ベン・ワット、トレーシー・ソーン、ゴー・ビトウィーンズはすべて長期出版契約を結んだ」とありますし。移籍は不義理には違いないが、EBTGが売れて、出版権ではチェリー・レッドも潤ったから、決定的な訣別には至らなかったということかも。

まあそれはともかく。訳していて一番楽しかったのはサッカーについてのくだりですね。単にサッカー好きが集まった会社なだけでなく、音楽と結びつけてサッカーのコンピという新ジャンルを開拓したり、サッカーチームのスポンサー契約にまで乗り出したり。自分たちでプレーするのも好きで、マイクが契約候補の音楽家の「キャラ」を見るオーディション代わりにサッカー試合を使っていたというのも狂っていておかしかった。

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