スピオカフラワーガーデン的世界観
一応住人ですが・・・・
近年、とても認識のおかしい人が増えています。元々7割がそうなので今更感は強いですが、その理由は「元々潔癖症気味な人が多い」というのが大きな理由です。生きることに人生前半で疲れ切ってしまい、ユートピア思想に憑りつかれたまま成長している、あるいは成長した人が多いです。中には本物の神聖系が混じってるので、そういう人は首都圏にも稀ながら存在します。自分はそういう人には「目を覚ませ。人間はそんなこと考える生物じゃねーよ」とここではリントの言葉で話せ的に叱責します。実際、こんこんと説教したところ本当に目を覚ました自称人間が2人ほどいました。
結果
ネイチャー(風)ムーブメントとか、愛護系とか、宗教やスピリチュアリズムにハマり、そういう商売の餌になったり政治的な道具になる人が多いです。ある意味、その総合格闘技の本場みたいなところが沖縄、九州、東北、北海道です。要するに、地方度が高いほどそういう問題が良くも悪くも増えます。いろいろ嫌な予感がするというか、あっと思った人は勘がよろしいと思います。その感性はぜひ大切になさってください。
間違いだらけの世界と住民
彼らにとって、また神聖系にとっても必然的にこの世界も住民も間違いだらけですが、「そっちが主流派」を形成していて、どっちかと言えばそういう人たちの巣なのですよ。雑に言えば彼らの修練場的な性質が強いので、元々神聖側は少数です。そして、最悪なのは実は目に見える悪ではなく、腸内環境よろしく活動する「日和見菌」の方々です。実は一番最悪最低なのが彼らです。何故なら、趨勢次第で便利な方につくということを慣習的に繰り返しており、悪の側についてる時に最も自分が正しいという顔をしているのが彼らだからです。
正しさと数字
正しさは、既に説かれてるので今更説明する必要なんてどこにもありません。どんな理由があろうと他害するべきではない。しかし、他害する者を止めるには少なからず他害するしかない。あとはそれを万人に納得させるための方便や、抑止力としての量刑がある。ある意味、あらゆることを方便に依存してるのが日和見菌たちです。一応、比較的彼らが生きやすいようにできてますしね。
経験
経験したり教わることなしに、良いも悪いもあるものか。無知は罪ではない。はい、その通り。無知は罪じゃありません。ただし、「大半の人は全くの無知ではなく、知能に深刻かつ決定的な問題を抱えていることもなく、知らぬフリを決め込んでいるか、自発的な判断や思考を単に放棄してるかのいずれか」であって、その行為の責任は本人にあります。
ユートピア思想
全ての人は正しく生きるべきで、そうすれば問題のない世界ができる。良くも悪くも、スピオカフラワーガーデンの住民の7割はこの信念に憑りつかれています。しかし、この世界の神聖系は1割未満です。7割は日和見菌。残りは真正の悪です。この意味を考えてみましょう。
絶対に正義や善が優勢にならないと約束された世界で、人が生きるにはかなりの努力を必要とします。日和見菌の方便に「自分が決めたことじゃない」「世の中はみんなそうなんだ」があります。そこは個人がどうするかには直接関係ないんですが、少なくとも彼らはそれを方便にのらりくらりと生きています。
彼らは秩序の中の無秩序を拡大する習性があり、ある意味それが経験の全てです。昭和世代後期はまさに彼らがつくった無法と無秩序を実現していました。学習しろと思いますが、正しさを持たない彼らがどんなに学習意欲を持とうと、結果的には欲に服従するのがせいぜいです。彼らは欲のために生きていると断言し、善意だって欲じゃないかと嘲笑います。私的欲求と全体的理想の違いは、少なくとも彼らにとって絶対に受け入れてはならない禁足地みたいなものです。
また、中には真正の無秩序主義、混沌派がいて、彼らにとって秩序に服従することは本能的な忌避を引き起こすものです。ですから、普段から秩序と正しさに対する忌避、拒否を他人に焚きつけるわけです。
スピオカフラワーガーデンの住民は怠惰である
以上の状況で、スピオカフラワーガーデンの住民の殆どは、現実逃避するか、祈ったり願ったり、あるいは救世主を待ち望むだけの怠惰な生活を貪ります。善意や正義を信じることは結構ですが、自分で実践しているならまだしも、一切の問題のないところに避難してそのまま現実逃避して一生を終えることが殆どです。言ってしまえば、彼らは世界の良化に一切貢献していません。ただの引きこもりですからね。同胞がそんな体たらくなのに、いったい何故世の中は良くならないのか?などと疑問を持つのか理解できません。答えを繰り返しますが「あなた方がひきこもって何もしないから」です。
かくて救世主は・・・
現れるわけないじゃないですか。既に正しさは説かれています。それを人間がきっちり頑張ればマシにはなります。そのマシにするべき人たちが黙って何もせず引きこもってるんですから、人事を尽くすの部分がまずできてないんですよ。何もせずに勝手に悩んで勝手に諦め、その自覚すらないような体たらくで世の中がきれいになったら、むしろその方がおかしい。頭の中で自己完結してはいけません。世の中に良くなって欲しいなら、現実にアプローチしてください。どんな想いも言わずに届くと思わないことです。
一部の神聖系はまだ能力がちょっと残ってたりして、言わない人の言葉や気持ちが普通にわかったりするので、それを当たり前だと思い込んでいます。問題は、彼らは比較的純粋な感情や感覚以外を汲み取れないということです。自覚的にというか、まるでスイッチみたいに「疑うモード」を使わないと、彼らは人間的な正しい疑問を持てません。
スピオカフラワーガーデン住民の理想的姿
自己完結しないこと。下ばかり見ても自分が良くなるわけじゃないし、、まして他人が勝手に良くなることだってありません。必然的に、ほっといたら世界は悪化し続けます。自分の正しさと行為の全容を全方位的に疑ってみる必要だってあります。自分は正邪聖俗の全面の間に挟まってるので断言できますが、相互理解なんか一切足りてません。ずっと不足してたんだということがわかるし、マシなのは比較的まともな人間が集まってるところだけで、そこの人たちだってきっとそこで引きこもってます。全体的に言えば何も足りていません。状況に縋らず、思想信条にも縋らず、自分で実行し、実現していくことを覚えてください。それが世界をマシにする唯一の方法です。
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