安倍元総理銃撃事件にショックを受けないあなたへ
あなたは別に間違っていない。世の中には動揺しやすい人と動揺しづらい人がいる。動揺しやすい人は世界観を外部的に依存する人であり、こうした人たちは奇怪な信念を抱えているが、その執着は世界に依存している分だけ外部刺激に過敏に反応してしまう。
わたしのようなに人間は、常に状況は変化するもので、それがいつ誰でも起き得ると考えるため、「起きることが起きただけ」と考える。これは自閉的性格の結果だが、学習の結果でもある。
そもそも、安倍元総理の役割は、酷な言い方をすればとっくに終わっていた。既に本人が生きているかどうかは問題ではなく、その思想なり主張なりがだれによって実現されるか?のほうが重要なのである。
そして、これもまた酷な言い方をすれば、このドラマティックな事件が起きたことで、世の中を刺激する役に立った上、最期を華々しく飾れたのであり、結果的に非常に幸運だったのかもしれない。
もちろん、暴力や犯罪は悪であるとお断りしておく。わたしには人命に対する感覚がほぼ乾いてしまっている(親類だろうと関係者だろうと関係ない)ので、人が死ぬなんて当たり前のことだとしか思えないだけだ。そういう人間は一定数いるので、それ自体は間違ってないと言っておく。これも多様性である。1つの刺激に多数がショックを受け、行動不能になった場合でも、一部は一切動揺せずに行動できるのだ。
自分は言うなれば、生死より正邪の方がはるかに優先度が高い人間なのだ。たぶん、他の生死なんて大した問題ではないと感じる人は別に大きな優先度があるのだろう。そういうわけで、安倍元総理の死に思うところはない。彼の行動は大体正しかったし、それが消えることへの問題と影響はあるだろうが、結果的に彼の思想や主張は「英雄の死」によって間違いなく刻まれ、必ずどこかに受け継がれるだろう。
犯人の動機がもし、「政治的な動機ではない」のが事実で「特定宗教団体の幹部だったと思い込んでいた」のだとしても、殺人は完全に悪手だった。前者なら、既に表舞台からほぼ消えている人間の存在をわざわざ際立たせ、その主張が正しいとまで印象付けたことになる。後者なら「殉教者」を生み出したことになり、これも英雄効果を持ってしまうため、宗教団体をより活気づかせることにしかならない。
犯人の主張は現実的とは思えないが、これが偽装なのかはこれからの捜査である。特定宗教団体との関連というのは、陰謀論に毒されていたという意味である可能性と、そう偽装している可能性の両面が考えられる。
なんであれ、厳正(この言葉は厳しさではなく、正確さのほうを強調している)な捜査を期待します。