エイリアン:ロムルス  ※ネタバレ注意

我が家に帰れず、ほぼ振り出しからの再出発

キャメロンの呪い

ターミネーターもですが、シリーズの「興行成績上の」最大の貢献者ですが、問題は「オレ色を出しまくるアメリカン的オレが面白い映画」をつくる人なので、一応リスペクトはあるものの、よくあるハリウッド映画にしちゃったんですよね。乱暴に言えば、売れてしまったその歪みを全体のストーリーを通して吸収しようともがき続けてるのが続編諸々って感じです。

歪み

ターミネーターもですが、その最高最悪の最大の歪みを吸収できなかった結果が、3作目に見事に表れた「反動」です。1作目から真逆に一直線に走り出した2を観れば「いや、この作品ってそういうのじゃないから」と反感を抱く人間が現れるのは必至です。A級とは言わないまでも、一級のB級映画って面白いよね!というコアで厄介でめんどくさいファン層が本物のファンですからね。

結果

売れてしまった2作目をそのままに、以降を正史からパージすることになりました。結果として、正史がだいぶシンプルになりました。今作は、「エイリアンを原点回帰させる」ことが目的だと監督は述べています。しかし、それ以上に重要なのは、エイリアンをフランチャイズ可能にする出口をつくることだと思います。それが、「正史がリセットされた」理由だと考えられています。持続可能なエイリアンへのアップデートです。既に飽きてる人はともかく、好きな人は現在も大好きなんですよ。ぼくも毎年夢に見る程度には大好きですしね。

アンドロイド考

アンドロイドの役者さんは上手い人が多いですよね。アンディの役者さんはズバ抜けていると感じました。「人間と似て非なる思考の機微を上手く表現できる」というあたりが本当にすごいと思います。

ルーク

アンドロイドの設定って、実際あんまり詰められてないので、何処から何処までをアテにしていいのかちょっとわかりませんが、エイリアン1作目を全作オマージュで作ってみた感じの今作におけるルークは、アッシュの顔だけどハイパーダインシリーズという何とも解釈し辛い製品なんですよね。アッシュは初期の設定ではウェイランドユタニ製ではない(スコット監督発言)のですが、その設定もパージされちゃった模様で、「偶然似た」ということになると思います。

ルークが邪悪に見える理由

  前振りをだいぶ丹念にやってますが「アンドロイドは意味的な指令以外を問題にしない」という部分です。アンディは「レインの利益を最優先する」という指令に沿っているので、それを達する限り手段を選びません。しかし、言い方を変えれば、それは「指令だから」問題にしているのであって、AIは何を基準に動くかを設定次第で幾らでも変えることができるという表現として、あのディスクが登場するわけです。変化後にわかることは、「主観的な記憶(記録)は感情のトリガーではない」ということです。何しろ指令が変わってしまった以上、それに資することのない記録を相手にすべき価値がありません。

特に、ルークが邪悪に見える理由は「企業側である」という部分が、更に機械的な性格を強調しているからです。しかし、それに反するかのように、ルークは研究成果の保存が「結果的には人類の利益になる」ということを「私的な意見として」吐露しています。研究者としてつくられたせいなのか、研究者やってたらそうなったのか、彼、「良くも悪くも本当に真面目」ですよね。ただ、これは「機械的な感情」です。「種全体として利益になるのだから、それは善だ」ということです。想ってはいるんですよね。「あいつらがバカみたいなマネしてしんだりしなきゃ、わたしだってこんなザマになっちゃいないよ」というバカな子を持った親みたいなんですよね。経験が余計に歪んだ方向に達観させてしまったのだろうか、というのもちょっと考えたりしました。

あと、現代的な事情と言いますか、時が過ぎ去り、取り残されて動けなくなった、頑なに経験則を是とする孤独な老人の象徴のようにも見えました。老人の意見や認識の幾らかは事実です。しかし、老人の時代は終わっています。そして、歴史の通り、若者にとって重要なのは「共感と今」であり「仲間と自由」です。アッシュに似せた理由は、特にそこにもあったんじゃないかと思います。アッシュを知っているのも老人ですからね。そういう対比として、馬鹿で経験不足だけど「やってみる」若者たちは物語の全容を知らないし、語ることもできない。しかし、未熟だからこそ「物語を動かす力を持ってる」とも言えます。

今作の「邪悪なアンドロイド」という感じで登場するルークですが、彼は実際、悪意なんてものはたぶん持ってないと思います。結果がわかっていても彼なりの善意を尽くして「人間は生き残りたい」という意に沿った様々な忠言をした痕跡がありますし、その結果を受け入れ難いとも思ったようです。結果、アンディに「人間の意のままに操られるな(失敗するぞ)」と掛け値なしに善意で助言しているわけです。

思うに、ルークは視聴者に不当に邪悪視されていると感じます。意図的にそう誘導する演出がなされてるように見えますが、彼は「仕様に沿って期待される役割を可能な限り果たす」努力をしています。しかし、そうでありながら、「その結果がどうあれ」彼なりの善意や感情の片りんも見せています。ただし、それは飽くまで主観の範囲でしかなかったり、結果が予想通りじゃなかったり、人間というものに対する理解や認識不足だったりと、どうにも「存在としての限界が災いした」としか言いようがない気がします。実は彼も、この物語における「理不尽な仕打ちによって破滅した犠牲者の1人」だと思えてなりません。

ですから、自分には多くの人が感じたであろう「ロムルスと共に滅ぶ邪悪」に対するカタルシスはなく、文字通り「運命に振り回され、とうとう最期の機会を逃し、善意を達成できなかった悲しい老人の末路」と思えてなりません。飽くまで邪悪はウェイランドユタニであり、本丸は滅んでないのです。

アンディ

人間は思い出をやたら重宝がる(記憶と感情を無駄に大事にする)という対比のように、アンディはディスクによって変質します。もちろん、歩く計算機の価値基準とは「第一に設定された指令」であり、次に記録(記憶)です。第一指令という基準(おもり)がないと、機械には生物的不快感や恐怖や、それに基づく経験もありません。疑似的に作り出された模倣は、指令に基づく記録に対する「意味上の」ただの迎合に過ぎません。

ルークは「指令とは別に」私的感情や経験上の認識を区別していました。あれほど研究成果に拘った理由の1つは、会社の命令である以上に、自分の存在意義と見做している部分が大きいと思われます。単に状況に迎合していただけのアンディも、経験とアップデートを通して自我の片りんを獲得します。恐らく、あのアップデートがなければ、アンディは疑似人間どころかただの模倣人形の域を出なかったのではないでしょうか。反応はするけど知的活動は殆どしていなかったし、少なくともレインの弟というロールはそれで十分果たせていたのですから。

アンドロイドという技術と個体

ただ、この物語における二体のアンドロイド飽くまで「疑似人間」に過ぎず、「物語上の時代の発展途上の技術」だとも言えます。今後、発展型の中に「真に邪悪な個体」や「偶然発生した聖者」なんてのも出てくるかもしれないし、「史上最もよくできた凡俗」というのも現れるかもしれません。パージされた物語では、「真に邪悪なアンドロイド」が登場していますから、恐らく今後、この筋に沿ったアンドロイドが出てくるでしょう。スピンオフで小説しかありませんが、アンドロイド主人公の話も既にあります。自分は次作あたり、アンドロイドが主人公になるんじゃないかと予想しています。

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