自分で自分をほめるということ
自分をほめる。これ、私にとってすごく得意であり苦手なことなんです。
…さっそく矛盾しているよね。失礼しました。
もともと、いわゆる自己肯定感は高いと思います。自己満足、自画自賛、根拠のない自信…。これらは私にとってとっても身近なキーワード。周りに似たようなタイプの人が少なかったこともあるかもしれません。よく否定されたり馬鹿にされたりしてきました。「いつか痛い目見るよ」なんてセリフ、何度も言われてきました。
最も身近な存在である両親がまず、こういうタイプじゃない。だからテキトーなくせに妙に自信満々な言動をたしなめられることも数多くありました。反論したいけれど、できない。だって根拠がないから。それが悔しい(笑)。いつしか堂々と自分をほめることを遠慮するようになってきました。
これまでの人生、ありがたいことに絶体絶命な場面は経験したことがありません。極限まで来たかと思ってもなぜか、何とかしてきたしなってきました。そうやって潜り抜けるたびに「ほら、何とかなったじゃん。やっぱり私は運がいい」という意識が色濃くなっていくのです。成功体験のすべてが「何があっても結局大丈夫なのよ」という大前提をさらに強固にしていくのです。
一方で常に「万が一(最悪の事態)」を想定し生きているタイプの方に言わせると、「世の中そんな甘いもんじゃない」と苦言を呈したくなるみたい。自画自賛せず、謙虚に生きること。これはとても大切なことだと思います。でも心の中で「私、よくやった!よくできた!」って喜びたいのにそれを全面に出さずにいるとくすぶってきます。だから誰もいないところで、自分だけに聞こえるように言っています(笑)。
自分ほめとは少し違いますが、自分で自分を奮い立たせたり勇気づけしたりすることもまた、自己肯定感につながる行為ではないでしょうか。
大好きな遊助の「History」って曲にこんな歌詞があります。
絶対なんてない!けど絶対大丈夫だ!
って誰も言ってくれなかったから
鏡を見て言い聞かせた
お前はできる お前はできる お前はできる お前はできる
これを聞いた時、本当にスーッと心に沁み込みました。
結局最後にはうまくいく。と信じてはいるけれど、やっぱり成功している未来が見えなくて不安になる日もあります。そんな時、この歌詞のように自分で自分に言い聞かせます。「私はできる」と。自らを奮い立たせる呼び掛けができるのも、自分を信じているからだと思います。
ここまで「ほめ」と書いてきましたが、アドラー心理学をかじった身としては、大事なのは「ほめる」ではなく「勇気づけ」だと思っています。ほめるって上下関係が存在する上から目線な行為で、評価とか賞賛に近い。でも勇気づけは横の関係で相手とともに喜ぶ姿勢。行動に対し元気や勇気を与えるもの。他人に向けてだけでなく、自分に対しても勇気づけしていけたらいいな。
実は昨日、ハッシュタグ #自分ほめ企画 というものを見つけたので参加してみよう!と急遽書き始めた記事だったのですが、締め切りも昨日だった模様。ま、いいや。企画ではなく、ただこのテーマで書いたものとしてしれっと投稿します(笑)。