シンプルの裏にある複雑さとの葛藤~本当のシンプルさとは~

これからの時代は、可処分時間の奪い合い。

よく目にする話題だ。

可処分時間とは、

自分の判断で自由に使うことのできる時間
参考:https://gakumado.mynavi.jp/freshers/articles/53482(マイナビ フレッシャーズ)

自由に使える時間をより、自分のために使うという意識が強くなるというという事だ。

情報を発信する人達は増え、情報は溢れている。

その情報を受け取る側からすれば、より良い情報を自分のために受け取りたいと思うのが当たり前。

ここで、可処分時間の奪い合いが出てくる。

これは、情報に限った事ではなく、サービス全般に関して言える事なんだろうけど、

時間の概念が有益なもの

と捉えられるようになると、有益なものとしてコンテンツの分厚さよりも、

よりシンプルなものに需要が出てくるように思う。

このシンプルさというのが案外難しい。。。

シンプルである事の難しさ

自分もこのnoteを書いているが、伝えたい事をうまくまとめれなくて、ついついボリュームアップしてしまう。

また、指導者として子ども達に話する時も、ついつい話が長くなったりする。

サッカーのプレーを見てても、こんな事がある。

サッカーの目的はゴールを決める事。

なら、手っ取り早くゴールを決める事が一番シンプルなはずだ。

手っ取り早くゴールを決めれたらその選択をした方がいい。

それができないから、パスを回してゴールへの導線を作る

こんな優先順位になるはずなのに、

相手との力関係を無視して、シンプルに行けるのに、パスして遠回りする。

こんなケースが多々見られる事がある。

これを、手段の目的化と言って、

子ども達には、「パスを回す事が目的じゃないよ」

と伝えるんだが、シンプルな事が、複雑な方向にシフトしていく事はよくある。

だからと言って、シンプルに考えとけばいい。

ここに、シンプルにする事の難しさがあると思っている。

サッカーを例にしてみたが、話す事にしても、文章を書く事にしても、

目的を達成するには、ただシンプルなだけでは、

簡単にゴールを奪う事もできないし、

伝えたい事を伝える事もできない。

シンプルの裏側にある複雑さを知っておいて、それらを上手くまとめあげる事で本当のシンプルさに出会う事ができる。

だから、シンプルにしようの中に、複雑になっていく過程というものが必ず存在している。

もし、それがなければシンプルではなく、適当と言った方がいいくらい。

シンプルにする事の難しさは、この複雑さとの葛藤にあると思う。

シンプルを求めるために

では、シンプルにする事に必要な事は何だろうか??

正解かどうか分からないが、

・目的を明確にする
・必要な知識を得る(引き出しを増やす)
・抽象度を上げて共通点を探す
・まとめる

頭の中でこんな作業が必要になるんじゃないかと思う。

「人間は考える葦である」

パスカルという哲学者の有名な言葉なんだが、このパスカルについて面白い話を聞いた事がある。

パスカルは、ある時、時間がなく物事を説明する時、喋りたい事をたくさん喋って人に教えを説いたそうだ。

聞いてる人達にとっては、物凄く凄い内容でさすがパスカルさんとなったそうだが、

パスカルは、

「時間がなくシンプルに伝える事ができずあなた方の時間を奪ってすいません」

と謝ったそうだ。

「人間は考える葦」というのも、すごくシンプルな言葉なんだが、色んな知識の集合(複雑さ)の中から、

やっと出てきたシンプルな答えなんだと思う。

だから、シンプルさを求めるためには、

ただシンプルである事じゃなく、色んな段階(複雑さ)を経てシンプルが生まれると考えなければいけない。

これから、可処分時間の奪い合いが始まる。

シンプル思考を手に入れる努力をしなければいけないと思っているところだ。

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