日記

7月7日(木) 流星群

七夕。
親に敷かれたレールを忠実に走り続ける夫婦。
織姫と彦星。楽しいのかな。楽しいんだろう。

ただそこに起きた出来事を、どのように伝言、描写するかで出来事に色や立体感、尾ひれが付くのだな。
織姫視点からすると、「頑張りすぎよ。恋をしなさい。」と言われて、仕事を忘れるほどの恋をしたというのに「働け!!!恋人と会えるのは年一回!」と言われる物語だし。
彦星視点では、「よく働いてて偉いね。いい女の子紹介しちゃう!」と言われて、その人との恋を楽しんでいただろうに、「働け!!!恋人と会えるのは年に一回!」なんて言われたらたまったもんじゃないだろ。

流石に月イチで会わせてあげなよ。

20代も中盤になると1年が淡く短くなってくる。変わるのは天気くらいだ。そんな日々が365日あって、そのうちの1日だけて。笑えちゃうよ。

第三者視点から語られている時点で、その物語は第三者の思考が入ってしまう。その人が見た七夕なのであって、本来の七夕はこの私が見て聞いて触れて感じるものなのだろう。

見ていない聞いていない触れていない、私が知る七夕はどこにも無い。

織姫も彦星もいない。遠い昔、中国で天文学に興味を持たせるために作られた御伽噺なのだ。

その御伽噺を多種多様な第三者が第三者なりの解釈をし、広まり今に至る。淘汰された解釈もあるだろう。

今ある常識も昔から勝ち上がってきたものなのだろう。善悪で淘汰された常識もあるだろうが『誰が言ったか』で淘汰された常識は負けなのだろうか。内容次第では今をより良くできるものだったのでは無いだろうか。

地球の引力に魂を引かれながら燃えていく星たちの最後の輝きを見ながら考えた。

おやすみ。

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