日記

6月27日(月) 飛行船
今日は監視日だ。空にうようよと飛行船がいた。地下街でブラブラした。

ナメクジレースで3000負けたがカタツムリレースで3500勝った。勝ち分の500円で焼きとうもろこし、ビール、アヒージョを食べた。地上とは違う味わいがある。ダクトから香ってくる車の排気ガスがアクセントだ、と古着屋の店長が言っていた。ヘラヘラ笑ってかわしたが、アクセントになるはずも無い。自分への皮肉だったのだろう。陽の光を浴びて生きていくことが出来ない自分への。

濡れたベンチで飲み食いをしていると、じいさんが隣に腰かけてきた。近くの缶詰工場で働いているらしい。ペットのモグラが家の地下を開拓しているんだそうだ。地下にも地下があるのだと、改めて驚いた。彼らにとってここは''地上''なのだ。

私たちにとっての飛行船が、彼らにとっての太陽、ただそれだけのことなのだと知った。監視日は地下街に限る。新たな気づきがそこら中にある。いや、地上でもそうなのだろう。陽の光が無い分、他の光を求めて五感が敏感になる。私の場合はそれが視覚だっただけだ。当たり前と思い込んでいる生活が、全く異なる生活を送っている者からしたら、非日常になる。このような考えに気づき、感動し、忘れていく。

地下での出来事はほとんど覚えていない。地上に出たからだ。飛行船はまだ空を漂い、カメラを地上に向けている。太陽も同様に光を地上に当てている。

地下でこの文を書けば良いのだが、自分が書いたということも忘れ、荒唐無稽な文章を信じられなくなるのだ。

脳は単純で複雑でメカニズムを知ったところで結局は操られているだけなのだろう。そんな支配から解放された(逃走した?)人々が地下で暮らしているのだ。

もちろん、これは架空の日記である。断片的な記憶をツギハギし、想像やイメージで埋め、なるべく我々の日常に寄せた日記だ。

地下の入口さえも思い出せない。
そんなものは無いのかもしれない。
いや、無いのだろう。

服に付いた焦げた醤油のシミも、ポケットに入っていたモグラの爪も、気のせいだ。作られた記憶だ。

古着屋ではそろそろ服を買おう。
工場で作られているセミの缶詰も食べてみよう。
空に飛行船が見えたらそうしよう。

次の監視日はいつだろうか。重力とそれに伴う気圧、そして視線が降り注ぐ畏怖されるこの日を楽しみに待とう。

おやすみ。

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