日記
6月29日(水) 嵐のち快晴
雨が窓を叩く音で目覚めた。熱波、寒波ときて今日は嵐だった。雨風が家を揺らし、さらに鼓膜を揺らしてきた。グワングワン。ベロンベロン。酔った時のように頭がガンガンガガンと締め付けられた。
こんな時は横になるに限る。足パカなどの寝ながらできる運動をし、くだらないネットニュースとためになるネットニュースを見た。次の職のために勉強もしなきゃなぁと思いつつ、ラジオを聞きながら寝た。
逆に静かすぎて昼寝から覚めた。爆音の静寂だった。雲ひとつない空、煌々と輝く巨大な太陽。たった2〜3時間であの嵐を伴った積乱雲たちが立ち去った。その瞬間を見逃したのが悔しくて悔しくてたまらない。起きていれば。いやこれでいい。次の嵐が楽しみになる。後悔でなく反省を。ポジティブにいこう。
嵐で騒いでいたカエルやカタツムリたちが陽の光で焼かれている。カエルは田んぼにそそくさと逃げるが、カタツムリたちの逃げ場はない。助けようとすら思わないのは何故なのだろう。害はない。触るのを少し躊躇する見た目ではあるが直接的にも間接的にもカタツムリに対して「クソ〜!」と思ったことは一度もない。目の前にいる、恐らく苦しんでいるであろう家を背負った軟体動物を何故助けないのか。逆に助けるとしても、何故助けるのか。状況が違えば助けたりしたのだろうか。
生まれが違えば?
環境が違えば?
カタツムリたちは助けを必要としていないからだ、という結論に至った。どこまでも他人本意な私が基本的にたどり着く答え。
求められ、応えられるのであれば、力になる。
そうでなければ断る。この生き方が正しいのかわからないが、死ぬ直前に正しいか否かがわかるだろう。
おやすみ。
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