八咫の舞跡

味の違いを言語化することにつかれて、肝心の味を覚えてないことに気付いた。そしてまた、気付いただけましだ、とそのように思った瞬間、味はさらに遠のいた。何もしないことに耐えられない、ただそれを浴びるだけということのみで時間を過ごすことができない。だから味を説明して回った。全体的にすべてが甘い、丸い、それ自体を強く感じると言うより対極にあるものが遠ざかっていく感覚、丸みの対極にあるものが遠ざかっていくような味覚の傾きを感じながら数日を過ごし、つかれ帰ってからまた数日、休まることのない日々の中で、彼はいくつもの、言葉の置き所の難しい感触を味わったという。

旅はどうでしたか?と訊かれ、まずはその甘さを伝えた。他に見るべきものがなかったということを意味しない――彼にとって、その甘さこそが旅の第一の感慨なのだと、そういうことを意味しない。ただ、当たり障りないところからスタートするだけだ、ものごとを。そんなこと何もしなくてよいのだ、ただ、何もしないでもいられないということなのだろうか。

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