花火の前で

the phenomenonsの臨界事故という楽曲は私が2011年の3月から6月にかけて制作したもので、当時18歳だった彼が何を思っていたかというのは、実のところ本人にもよくわかっていない。実際にthe phenomenonsがこの楽曲を演奏し始めたのは確か2014年に入ってからだったと思うのだが、タイトルがタイトルなので、その楽曲の意味するところ・意図するところがなんなのかということを説明しなければならないこともたまにあった。その度に何を語ってきたかということもだいぶ忘却の彼方なのだけれど、少なくとも嘘をついたことはたぶん無く――つまり「この曲を通じて社会に現状の問題点を訴えたいんです!」とかいう勇敢な主張なども一切することなく、センシティブさに欠ける内容にがっかりした人もいたのかもしれない。

何かをしなければならないと思った、というのが基本の動機で、しかしそれは「何かをできると思った」ということではないということ、そして「何かをしなければならない」というのも、どちらかといえば自分勝手な、言い換えれば「この瞬間を逃してはならない」などという――つまるところ現状の世界に対して自分の貢献価値を問うのではなく、現状の世界の中に自分が探し当てたい何かがあるかどうかばかりを考えているのである。いま世界に対して自分にこそできることがあるはずだ、とは思わない。ただ、いま自分にとって大事な何かがこの世界のどこかにあるはずだ、とは、いつも、何かにつけて思ってしまう。

あらゆることに心は痛む。平和を望むし、貢献できることがあるならしたいと思う。ただ、自らに価値を発見していない者や、決定していない者、そしてそもそもそれを考慮する気がない者にとっては――激動の瞬間における「何かをしなければならない」という謎めいた衝動、そこから溢れるどんな行動も、実のところ、曲を演奏するのと同じくらい虚無な行いであるかもしれない。曲を演奏するのと同じくらい、ということについて、どう思う?こんな状況下で。曲を演奏している場合ではないような気もするが、しかしそれを言えば、今までずっと、曲を演奏している場合だったことって、あっただろうか?

そこにおいて言えば、たとえば十一年前の臨界事故という曲名はなかなか、こずるいものだったとも言えるのかもしれない。今にして思えば、他ならぬ自分自身に対して「演奏してる場合なのか」とかいう疑問を忘れさせる程度には、そのタイトルは「そのときやらなければならないこと」として私自身を支えていた、かも、しれない

……ただ、思い返してみれば、そこで作られた当の臨界事故という楽曲のテーマこそがまさに「何かをしなければならないと思うことの危険性」だったのだった……そして「それでもそれを止められないということの重要性」までを含めた、そういう曲だったな、あれは……

はははは、は、書きながら思い出しましたわ、そうでしたね。そうだ、彼はそのことを当時からずっと考えていたよ、実際、そんなことをしている場合かはさておき彼は曲を作ったわけだが、まさにその、そんな状況下で曲を作ることを選択すること、それ以外のことを選択しないことの危険性とかを、そのまま曲の内情に孕ませて……

壁を破ることは、あるいは、ひとつの事故
ここにいることは、あるいは、ひとつの自己

18歳のころの彼が書いた歌詞だが、おどろくほど私は、いつまでもこの問題と向き合っているのだな
やってる場合だったのかは知らない ただ君がその当時それをやったことになんだかよくわからんが私はいま若干励まされたよ

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