見つけてくれてありがとう
「見つけてくれてありがとう」
慕っている配信者が時に嬉しそうに、時に畏まって口にしていた言葉。
クリエイターにはきっと身に染みる感慨。
だって、スマホひとつでもはや誰もが表現者。
好きを気軽に晒せるようになったことは、それを強く押し支えてくれている。
好きを気軽に探せるようになったことは、やっぱりそれを強く押し支えてくれている。
好きなものを好きと言えるのは幸せなことだし、好きな人に好きを伝えられるのも幸せなこと。
その意味なら、幸せはわりと気軽な距離まで近づいてきてくれた。
そんな気はしている。
じゃあ、気軽に好きに出会えるかっていうと、碌に知りもしないマッチングサービスに訊いてみたってきっとそうで、なんだかんだ数を打って当ててみるしか、今はない気がする。
そんな風に思ってしまうのは、少数派なのかな。
「それは高望みが過ぎるからじゃない?」
マッチングを引き合いにすれば漏れなく聞こえてきそうな声。
だけど、自分の好きに妥協を許したら一体何が残るんだろう。
仕事や課題、パートナー探しなら理解できる。
付き合ってみて分かってくる魅力は大いにあっていい。とっても素敵なこと。
だけど、まず付き合ってみたくなる魅力だって大いにあっていいじゃない。
だって好きなことだよ?
妥協が好きって人は聞いたことがないよ。
琴線に触れる出会い。
運命の恋って言い換えてもいい。
それは、クリエイターにとっては風船に結んだり空き瓶に封じた手紙の返事が来るような奇跡。
それは、ファンにとっては広大な砂浜からお気に入りの石や貝殻が見つかるような奇跡。
幾らテクノロジーが助けてくれても、それには結局、どっちにしたって作り続けるしかないし、探し続けるしかない。
だってAIに「あなたの好きはこれです」なんて決め付けられるディストピアもねえ…
友達や好きな人のお勧めを得られたり、マッチング自体と相性良ければ重畳だけれど。
「きっと出会えるよ。だってそこはたくさんの人たちのたくさんの好きでできているんだから」
なんて気休めが過る。それがいつなのかは教えてくれないのが狡い。
好きを究めるのも、また道なんだ。
なのに、誰の時間にも体力にも限りがあって。
だから、見つけてくれてありがとう。
琴線に触れる出会いじゃなくても。
むしろその方が多いんじゃないかな。
どうかその気持ちを大切にして、自分の瞠る好きに出会えるように、自分の時間を有意義に気持ちよく過ごして欲しいんだ。
ここまでわざわざ袖を振り合いに来てくれてありがとう。
だからせめて、退屈しのぎになっていたなら嬉しいな。
投稿した記事のまとめ
また、形式や分量でもざっくり2種類にまとめてみました。
一つ目がさっくり。
検証、考察、まとめなど、搔い摘んでも内容把握に差し支えないもの。
また、小説なら掌編まで。
二つ目がじっくり。
それなりに腰を据えて読む分量。短編以上。
と、一応まとめてみましたが、思うようにご覧ください。